2011年1月13日木曜日

熱燗、脳と身体

昨晩、「鉄板焼き」が日本食であることを知った。日本食レストランにて。

ご相伴に預かって日本酒の熱燗を頂く。ビール好きを自称しているが、熱燗は飲めるぞ。と正月、実家で密やかに思っていたのだが、昨晩も美味いなと率直に思ってしまった。米と日本人の歴史から言えば当然か。ビールの苦みと対極にあのほのかな甘さと辛さ。角が無いというべきか。単純に自分の胃が痛んでいるだけなのかもしれないが、熱燗の日本酒は暖かみのある記憶となった。って、胃が痛んでいるのに酒を飲んでいていいのか??? おつきあい程度ですけどね。

睡眠サイクルが乱れていたのだが、昨晩は朝3時前に目覚めるものの、ここで負けちゃいかんと深呼吸をした後、身体全体の力を抜いて、よだれを垂らすかと思う程、口元の力まで抜いたらいつの間にか寝られた。時差ボケと言い訳して眠れない日々を誤摩化す日々であったが、結局、起きてしまった後に、あれこれ考えすぎているのだ。「これは時差ボケて起きたのだ」と思い込み、そして、「あーあれがさー」「あーこれがさー」とか思い浮かんでは、何も結論が出ないのに、寝返りうちながら右往左往しているのが眠れぬ理由なのだ。

眠れない理由は、邪念が全てだったかもしれない。眠りに集中するというのではない、それこそ、「無」になるということが昨晩の結果かもしれない。頭で無になろうと積極的に働きかけても駄目で、布団の上で思うがままの姿勢になって、手足が繋がる関節の力みを抜いて、体重を設置部分均等に布団にべたっと凭れかけると意識が彼方に行った気がした。とすれば、「無」というのは「脳」で制御するのでは無く、身体で行うものか。否、身体の制御は、脳が前もって行うものであるから、身体のスイッチをオフにするようなことかもしれない脱力を脳が制御、達成することで初めて、脳が「無」になれるのか。脳と身体は繋がっている。繋がっているからこそ、脳に制御された身体が脳をさらに制御し、心身を揺り動かす、そして、沈めるのではないか。

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