あーでもない、こーでもない と考えている。諸々。色々な考えが亡霊のようにふわふわと浮かびは消える。亡霊はまた現れ、変化する。
考えている。何が大事か。多角度から考え、削ぎ落とし、芯を浮かび上がらせ、そして、どう決断するべきかを。しかし、自分の知識や知性などたかがしれていて、どこが芯なのかわからない。考えは、ふらふらとして全く頼りない。まだ、考えがだぶつき、惰性を持ったその力を止めおおせず、自分のものとして制御し加工しきれていない。
尺度は自分が学んだ積年の原理原則である。そんな尺度なのだから危うい。しかし、そこからしか私は判断することはできない。人の尺度を借りた判断では、間違いに気づいた時に、それを有耶無耶にし、その結果を「その」人に責任転嫁するであろう。であるからこそ、自分の原理原則を「今」の自分で濾過し直して微調整し、自己の納得を得た上で、尺度として利用すべきだ。間違うよりも、間違った時にそのことを無きもとすれば微塵も成長は無く、後退として背中に消えない爪痕を残し、その過程を飽きもせず繰り返すだろう。
自分の尺度の頼りなさに戸惑うよりも、揺らぎの中から得たその尺度を、真に受け止め決断しよう。
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