書き物の締め切りがあってそれに追われた一週間。この間、強い余震があり、そして、原発は相変わらず予断を許さない。って当たり前である。
というか原発は廃炉まで何十年もかかる代物であり、その歴史は1942年のシカゴ大学での研究が起源というたかだか70年という技術なのだ。発電に利用する方法はわかっていても、それが「暴れ出したら」それを「諌める」ことは専門家にとっても難しいものであることは今回良くわかった。
自分は原子力のことは今まで何も考えていなかった。原発資料館に子供の頃行ったことがあるがそこで覚えているのは自転車をこいでダイナモで電気を発電するのがいかに難しいかを知ったこと位だ。今考えればそれは、原発以外の技術はいかに発電効率が悪いかということを暗に示していたということだろうか。
今我々は電気を使った生活を享受している。これは素直に認める。日本ではその電力の三割以上が原子力になってしまっていることも知っている。原子力がなければ今の生活を維持できないという理屈も一理ある。が、今の生活を維持し続ける必要があるかはどうか。
たった30年位前は原子力への依存率は数%だった。その当時に比べれば、今の電化製品の電気効率は良くなっているはずである。その当時同様の「夜が暗い」生活に戻れば電気の消費量はその当時以下になる可能性はないのか。原子力=二酸化炭素を排出しない、故にエコという理屈は奇麗だ。しかし、短絡的かなとは今思う。廃炉するにも何十年の代物だ。核廃棄物に関してはその時間を超える長さの管理が必要なのだ。エコと原子力は実は真逆の代物なのだ。きっと。
福島の原発問題が収束することを願う。そして、自分が使う電気と生活に関して考えたい。そして、原発がなければ日本は本当に駄目なのか。エコノミストとかいう人々がいうように。。。これは偉い人が考えるのではなく電気を使う皆が考えなくてはならない近々の宿題だろう。
何かが無い時、無くなっちゃった時には何かで賄ったり、我慢したり、工夫して生活する というのが一般的な生活感ではないか。それだったら原発なくてもなんとかなるんじゃないか?
私は、昔、学校の先生に言われたことを思い出す。特にテストの後によく言われた。
「間違いをしたら、その間違えは何だったのかを考えて、次に間違いをしないようにしましょうね」
今、一部で勢いを増しつつある考え方は、間違いを(その根本から)見直さずにこれからも突き進めと言っている気がする。もっと強固な防御施設やバックアップを作って安全を期せば大丈夫だと言われるかもしれない。が、今回学んだのは、所詮我々が強固と思われるものを作っても、それに対して「想定外」の災害が起きて、意図も簡単に我々の想像を超えて被害が発生するということではないか。その時にまた「想定外」っていうのか。これじゃ先生に叱られるではないか。
「同じ問題出したのに なんであなたまた間違えたの」
「だって想定外だったんだもん」
少し止まって考えませんか?
数千年かけて学んだ「火」の使い方も時々間違って火事を起こす人間である。火は水をかければ、酸素を無くせば消えてくれる。そして、放射能も出さない。「原発神話」って、原発は暴れ始めたら人間には手に負えない神様みたいなものなのだ ってことなのか?
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