2011年7月31日日曜日

East Sooke

朝5時半に起床をする。その後、East Sookeのトレイルに行って歩きまくるというのが昨晩の計画。

目覚まし時計がジリジリなって起きるも、ベッドに身体が張り付いて離れない。糊が毛穴から溢れ出、寝ている間にすっかり乾いてベッドにがっちり張り付いちゃった。そんな感じ。時差三時間あるところから帰って来て、少し疲れていたのかもしれない。10時間飛行機を乗り継げば時差三時間が発生する。北米大陸のなんと大きいことよ。

結局六時半に起きてボヤボヤ。その後、やっぱり計画通りEast Sookeまで行く。Andersen Coveの駐車場に車を止めて八時半に歩き出す。

Coast Trailを目指す。昨晩の情報では結構難しい(険しい)ルートだとのこと。行ってみると言われる通り中々。海に沿ってルートが続き、岩が多い。時々崖。そして、岩をよじ上ることしばしば。でも、人は少ないし、景色が素晴らしい。青い海。そして向こうに見えるアメリカ。そこに見える山山。といいたいところだけど今回は雲に隠れていたのは残念。それでも青空と太陽に輝く海は素晴らしい。トレイルは乾いていて歩き易かった。でも、時々岩を上らないといけないけれど。それを楽しめたら素晴らしいトレイルと断言できる。

所々海には小舟が群集し、釣りをしていた。大きい魚を狙っているようだった。

いいですよ。このTrail。

2011年7月30日土曜日

St. Petersburg

フロリダ州 St. Petersburg に出張。この市を拓いた一人がロシア人でそれにちなんでサンクト/ペテルスブルグと同じ名前にしたらしい。

昼間は暑くて湿度が高いが、日の出前後は気持ちが良く滞在先前にある散歩道(トレイル)を毎日歩いた。海から昇る朝日の美しさは素晴らしかった。橙色で水平線近くで揺らぎながら足早に昇る太陽は、昼の攻撃的な白っぽい色に徐々に徐々に歩んで行くのだった。

近くにダリ美術館があって、最終日仕事が早く終わったので見に行って来た。中学の時、初めてしったダリの絵とダリ本人の写真は衝撃的だった。生の絵を時代を追って見ると、彼の絵の変遷が良くわかった。絵を見て何に対して怒っていたのだろうと感じた。そして、キリスト教に強く影響を受けているように思えた。鉛筆で書かれた顔が無く、片膝をついたデッサンが印象的だった。

2011年7月24日日曜日

日曜日も歩くのだ

昨日。Mount Douglas まで歩いて上る。登り口の選択を間違えて一度隣の尾根を上って下って、そして本丸に挑む行程。隣を上る前は崖があり急。そこを上りきって本丸を眺めた時は、その距離が遠く感じた。それでもそこから眼下に広がる景色も中々で気力は維持できた。Mount Douglasからの眺めはさらに素晴らしかった。海に見える島々。少しが霞がかかりながら向こうに見える大陸と雪を被った山。そして、海の蒼。

今日は1時間車を強走らせてChina beachへ。China beachにはいかずにJuan de Fuca Trailをてくてく歩いてBear beachを目指す。Trailは一部がぬかるんでいて普通のランニングシューズで行ったのは誤算だった。Bear beachにあと2km位の所ででかい動物の足跡が点在。イヌかと思ったが、どうも違う。嫌な予感がするので退却。だって、目的地は熊ビーチですから。退却途中、泥濘を避けて木の根っこに足をかけて切り抜けるつもりが左足を乗っけた瞬間に滑って思い切り左の骨盤を打った。ずぼんは泥だらけになったが怪我はしなかった。良かった。

車の帰り道、先のTrail で退却したのが悔しくてEast SookeのTrailに行く。海を見るぞ。今度こそ。と挑戦。予想に反して片道1時間半。予想に反した分、海が見えた時の興奮は大きく、誰もいないので奇声を上げてしまった。海は崖下に広がり、Beachではなく磯だった。磯を構成する岩は密度が高く黒くそまった堅い岩に見えた。自分が知る日本の磯とは見た目が違う。海は透き通り、海の向こうにはアメリカが見えた。

結局、二つのトレイルを挑戦して6時間歩いていた。足には乳酸がたまり怠さがある。これは我慢できたが、25度位まで上がった天気で喉が渇いてしかたなかった。用意した水は600ccでこれでは足りなかった。

短い夏だ。歩き倒そうと思う。

2011年7月21日木曜日

とらうま

夕方の散歩は今や日課だ。海側は風が強いのは当たり前だが、ここのところはひと際強い。それでも負けずにとことこ歩く。今日は歩くこと2時間半。

家の前の船のお医者さん、ドックに「とらうま」という名の船が船台に乗って陸でのメンテナンスを受けている。「とらうま」といっても「Tiger Horse」という名の船で「トラウマ」とは関係はない。

2011年7月19日火曜日

Humidex

カナダ中央部から東部にかけては熱波らしい。ニュースを聞き流すように聞いていたら、ウィニペグで46度だというので驚きとともにバカ正直に信じていた。この世のもんじゃないなと思いながらも疑いもせず。

嫁さんにこれは伝えねばと思い、伝えると信じてもらえなかった。冷静に考えればその通り。

もう一度ニュースを見て真剣に聞いてみると、それはhumidexというものだった。計算式は下記の通りで、露天温度を使って出る係数を気温に加算する。人が平均的にどんだけ暑いかを示す係数というのがhumidexというものらしい。カナダ特有の指数であるということ。勉強になった。日本の不快指数に似たものだろう。へーこんなのあるんだね。カナダ特有ということは、日本人が平均的に感じる暑さの指数にはならないのかもしれない。

こっちは早速夕方あたりから雲がかかってきており、風も強い。あっちが暑いが、こっちは気温がまだ上がらない。その暑さと天気をこっちに少しわけてくれ。 七月も2/3が過ぎてしまった。日本はこの時期に強烈な台風が襲っているし変だ。


humidex = (air temperature in Celsius) + h
h = (0.5555)*(e - 10.0)
e = 6.11 * exp [5417.7530 * ((1/273.16) - (1/dewpoint in kelvins))]

2011年7月18日月曜日

鳥肌もの

なでしこジャパン。優勝おめでとうございます。こちらでは試合時間が丁度昼。それも日曜。ゆっくり見れた。押される展開なのに選手は落ち着いているように見えて、こっちも落ち着いて見られた。同点弾が決まった時、優勝が決まった時、鳥肌がたった。すごいもんだ。

今日は久しぶりにばりっと晴れ。気持ちいい。せっかくの夏なんだから晴れが続いて欲しいが、水曜日あたりから崩れるとの予報。何なんだ今年の夏は。根性無しめ。

せっかく晴れたので夕飯食べた後、散歩。ダウンタウン方面へ。人出多し。観光シーズンか。

会社から帰ってくる時、上半身裸で短パン、両手に片手10kgを超えると推測される鉄アレイを持って汗まみれ、表情なく散歩している六十を超えるだろうおっさんに遭遇した。昨日と違う意味で鳥肌。だが、去年の夏にも彼にあっている。彼も夏を待っていたのだろう。

2011年7月16日土曜日

バランス

今になって晴れ間が見え始めたものの、午前中は雨が降って、午後も曇り。この大陸の東側は熱波が来ているというのだが。向こうが熱波なもんだからこちらは気温の低い雨がちの天気なのか。これがバランスというものか。

昨日ニンニクをスライスしてネギと鰹節とともに豆腐に散らして食べたら、午前中ずっと吐く息が刺激的だった。肺から出る空気は食道を通らないはずだと思うのだけど不思議だ。ニンニク臭が鼻からすっと出ている感じ。それでも、ニンニク臭が残っているからか、ここんとこのネガティブモードからアクティブモードになって、少し雨が降っているのに歩きたくなって歩いた。3時間強歩いたら、靴下によって足の指が拘束されていたせいで右足の薬指に豆ができて潰してしまった。歩いている時はハイになっていたせいか気づかなかった。

帰って来たらニンニク臭は消えていた。

うなぎ を食べたい。山椒をかけて。肝吸いも。

2011年7月13日水曜日

なでしこ

なでしこじゃぱん って誰がつけたのか知りませんが、決勝進出おめでとうございます。明るいニュースです。自然体である時に最大のパフォーマンスが出る。ということを再認識しました。自然体が何か。結局、雑音に遮られずやるべきことに集中するということでしょうか。それも、集中する時に無駄な労力がなく、入り込めちゃう感じ。ネガティブ因子が思い浮かぶことなくて、試合前の恐怖とか無く、ぐっと入り込めるかんじ。誤解を顧みずいえば、「どうにかなるさ」という感じ。入り込んだ時は、チームメイトと応援の声しか聞こえてないのではないかな。それでもって、相乗効果でパフォーマンスが上がるのでは。「どうにかなるさ」は、もちろん練習に裏付けられた自信があると思うけど。負けたら、相手は、とか無駄な想像をしないことが、最大のパフォーマンスを生む必須条件だと思うのですが。

昨晩、雨が降って、通勤路の街路樹というか脇に生えている樹々の葉っぱに露が乗って奇麗だった。その露である水は、水道水よりも純粋な気がした。

2011年7月10日日曜日

横並びの不幸

今日も海外生活といっても日本と代わり映えのない日曜日。こっちにいるからせっかくなんで何かするということもない。生活するっていうのはそんなことだけど。

朝起きて、不意にテレビをつけたら「アンパンマン」をやっていた。一人暮らしの身ではこの発見を息子に伝えることも出来ず。残念ながら一人で見た。息子愛読のアンパンマン図鑑に載っているが、たまにしかでないキャラクターが出て来て、「おー載ってた載ってた」と言いながら見ていた。TVジャパンが日曜朝6時からアンパンマンを放映していたとは知らなかった。といっても一人じゃ無用の長物か。

帰った時思ったのだけど、日本では朝6時代に昔のようにアニメをどこでもやっていない。民放はどんぐりの背比べの情報番組で横並び。今の子供は登校前のあの時間をどのように過ごしているのだろうか。情報番組を見て、テレビの向こう側で流れる定型で何か言っているようで言っていないコメントの数々を浴びているのだろうか。寝てるのか。ネット? 私はあの時間に見る名作アニメの再放送を楽しみにしていた子供だったので、子供にとって気の毒な時代だなと思ってしまう。ひるがえって、このご時世である。横並びの番組形式なら各社で輪番で番組休止したらいいのに。そしたらテレビ局は自信を持って節電を訴えられるじゃないか。

テレビじゃ個性が大事とか声高に言っているわりには、横並びのコンテンツ。マスを狙うためには結局あたりさわりのない中庸で年代問わず平均的に見てもらえそうな内容になるのだろう。相手を消費者として扱うマーケティングとかいうのを駆使して行き着いた先がこれなのかな。

ろ思っていたら、橋本治「橋本治という考え方」(朝日新聞出版社)内で「マーケティングの傘」というエッセイに出くわした。こういう時、「この文章に会ったのは運命じゃないか」と思って少し幸せな気持ちになるのは私だけか。以下抜粋。

相手を「消費者」として捉える、マーケティングという傘である。(中略)マーケティングの傘は、批評の傘とは違って、モラルを問題にしないのだから、この傘の中に「対象」として捉えられると、当然、不幸になる。

詳しくは本を読んでみて下さい。

わからないをなかったことにしない

7月9日の日記

散歩した。三つ編みに編み込まれた髪の束がゴミと絡まって歩道の脇に落ちていた。一見、黒いぼろきれのようであったけど、少し色褪せてパサパサし、所々つんつんと編み込みに反して無秩序に刺だった感じが布でないぞという空気を出していた。立ち止まって見る。一瞬、カラスの死骸かと思った。まさか髪の毛の束が落ちていると誰が想像しようか。ぎょっとした。断髪後のチョンマゲのようで、髪の毛じゃなく、束、そして、三つ編みされたその存在感。見なかったことにしてそそくさとその場を離れた。歩きながら見なかったことにしようとと呪文のようにつぶやくようにして。誰が何の理由で歩道に三つ編みの束を捨てたのか。わからない。

久しぶりに料理。トマトの煮込み。家にある最も大きい寸胴鍋で。玉ねぎ、セロリ、豆、ズッキーニ、ニンニク、鳥肉などをどっさり入れて煮込むだけ。味付けはカレースパイス、塩、コショウ、適当に醤油などを入れて適当に。野菜からだしが出るのでコンソメとかもいらない。油を使わない。平日、料理するのは面倒なので、これをそのまま食べ続け、飽きたら適宜アレンジして別のものにして食べ続けることにする。野菜不足は解消されそうだ。味は、今のところとても美味い。次も食べたいなと思っているので保証できる。次の次は、、、わからない。

昼、TVジャパンでNHKスペシャルの原発危機の討論をやっていた。時間の都合上第一部だけ。第二部は来週また同じ時間にやるようだ。徹底討論と言っていたけど、現在までの時間経過 -玄海原発再開の地元佐賀県の苦悩、ストレステストを発表するまでの政府の紆余曲折、伊予原発への愛媛県知事の対応など-を示す取材ビデオが大半であった。討論はというと、原発推進反対派の技術論に推進派(柔らかく言えば反対に対する懐疑派)が技術論で返す (技術論はもちろん大事だが)、または、重箱の角をつつくように言葉尻を反論するという相変わらずのいつもの風景が大半を占めていたようだ。なんだか、見たといいながら推論めいたことを書くのは途中で飽きて詳細が思い出せないからだ。こんな討論はもう見飽きた。徹底討論ならば、「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように」という点で技術/科学的裏付け、導入/建設/運用過程、事故対策/処理/コスト負担、未来への責任(事故処理/放射性廃棄物処理) 等々を明確にし、現在進行形で進んでいる福島の現状、未来への負の遺産 (事故処理、残留放射線、原発をすれば出る放射線を帯びたゴミ処理など) を直視して討論、議論して欲しかった。それがなければ、事故発生前の議論 -推進、反対両派が自分の意見を言い合うだけ- と本質的には何も変わらない、もしくは後退する。それが怖い。

世界の二割の地震が集中すると言われるし日本で、地震のない国と同じような技術体系で原発を進めることはできないだろう。日本の原発技術は世界一だと言っていたらしいけれど、何か起きた時に水で冷やすだけしか手を打てない技術が世界一なのだ。冷やす水も停電して注入できなくなったのだ。電気を作る原発が電気がないと暴走してしまう皮肉。フィンランドの核廃棄物のゴミ捨て場のオンカロでは、そのゴミが「安全」になるまでは1000000年貯蔵管理するのだそうだ。人間が生きているのかと思える時間スケールで今生きている人間がその安全を保証できると誰がいるのか。百万年後、文字や言語が残っているかわからないので、このゴミの危険性を百万年後の人にわかるような絵を貯蔵施設に掲示するのだそうだ。

今ある自分の数少ない手持ちのコマで考えて僕は脱原発派だ。脱原発は「今」ある人の暮らし(といっても、今の状況をが示すように原始生活に戻るとか、江戸時代に戻るとかそういうことはない)、考え方、システムなどを変えることを迫るだろう。それで世の中が悪くなるとは思えない。これから数年単位で混乱するだろう。この過程を無責任に偉い人達に任せることは避けたい。なるようになるさは止めたい。無責任なのに他人を責めることはしたくない。自分の身の丈で考え、振る舞いたいと思う。わからないことがいっぱいありすぎるのでもっと勉強しないといけないけど。

イタリアで国民投票で脱原発に動いたが、投票とした一般市民が「日本人が事故を起こすんならイタリアじゃ原発なんて無理でしょ」言っていたっけ。

大問題だがわからないことが多過ぎる。わからないことを、わかったふりしをてわすれない。なかったことにしない。

追記:
天野祐吉さんのブログ記事「政府広報ってなんだ」は面白い。
 http://amano.blog.so-net.ne.jp/

2011年7月8日金曜日

なんもないが

開高健の「白いページ」というエッセイ集を読んでいる。ペラペラと読んでいるだけなのに、ことばが研ぎすまされていて、踊っている ことを感じる。「輝ける闇」をまた読んでみたくなった。

あいかわらず食事が懸念材料だ。一人だと料理するのが本当に億劫で面倒くさい。売っている総菜よりは美味いものは作れる。が、それに自己満足しても充たされず。料理する原動力は誰かに旨い、不味いと言ってもらうことなんだろう。

なぜか今うなぎを食べたい。疲れているようには思えないが、食べたい。

2011年7月7日木曜日

七夕

 凹んでいてもしかたない。今朝は曇り。雨が降るかもとの予報。夏なのに珍しい。少し気象がおかしいような気がしないでもない。

息子が先月から幼稚園に通い始めた。そこで、つくった七夕飾りの写真が嫁さんより送られて来た。織り姫と彦星の飾りはクレヨンで顔がかかれており、-親ばかといわれても-、本当に良く書けていて大いに感動した。他の折り紙の飾りも、明らかに自分の幼稚園時代を超えていた。先生に書いてもらったと思われる願い事は、「こうえんで おかあさんと あそびたい」のだそうだ。おとうさんはいずこ? それよりも、願いごととしてはしょぼいなと思ったのだが、嫁さんの指摘により「こうえん」はこっちの家の前の「こうえん」であるかもしれないという考えが持ち上がり、切実な願いごとである可能性が急浮上し申し訳なくなった。ごめんな息子。

というわけで、凹んだ。

そうとはいえ、この便りがなければ七夕であることに気づかなかった。いかんいかん。あれも、これもと大小いろいろな願い事があるが、「家族みんなご陽気でありますように」

星に願いをと思うが、今の所曇天。星空を拝めるか微妙だが、雲の向こうに祈ろう。

2011年7月6日水曜日

できっこないを やらなくちゃ

サンボマスターの受け売りですが。

そんな気分になる、

その前は、ぐっと凹んだ、いや、ぐぐぐっと苛立ちました。できっこない と決めつけても仕方ない。できるかわからない、本当にできないかもしれない。できなくても、やんなくちゃ、なにもはじまらない。できるかどうか、よりも、できそうなことを、やってみるかどうか。がなければ、はなからできこない。何も動かない。

2011年7月5日火曜日

回復

快晴である。雲一つない。

一ヶ月強家を空けたせいで、鉢植えしてあった豆は一部に青い葉っぱを残すだけで茶枯れてしまった。1.5Lペットボトルに水を並々注いでそれを鉢の中の土に差し込んできておいたが足りなかったようだ。もう一方のシソは、シソらしい濃緑の葉が見られず、葉緑素が少し欠けた薄緑で小降りな背丈で弱々しくも生き残っていた。ベランダにある植木は、ここ一ヶ月雨が少なくなったからだろう、日本に行く前までにあんなに緑を蓄えていたのが嘘のように赤茶けた葉になり、葉自体が持つ本来の柔らかさがなくなった。いずれもたっぷりと水を与え、植物の力を信じて、ゆっくりと回復してくれるのを待とう。病がもっとも深い豆は回復するだろうか。それでも待とう。

昨晩は一度目覚めるも6時間弱寝られて、今回は意外と時差ボケが軽いのだな、と安心していたのに、昼前から猛烈な眠気。目を開けているのに頭は働かず。頭が重く、若干締め付けられるような違和感。身体にはまだ日本の昼夜サイクルが染みこんでいるようだ。こちらも徐々に回復していくことを待とう。時差ボケは治らない病ではない。

日本に帰った時、基本的には恩師と、そして時々後輩を交えて、一点で現場仕事をしていたのだけれど、その間、機会があって西から東まで大いに移動した。車窓、飛行機の窓から土地の風景を眺めていた時に田園風景ってなんて奇麗なんだと思った。田植えからそれほど時間がたっていないので水田の水が銀色に輝く。その上を雲が流れると、ちょぼちょぼと生えた稲と水の緑と銀に濃淡が生まれる。その濃淡が変化することから、視覚的に風があることを認める。視野を広げれば必ず山があり、そして川が流れる。豊かだなと思った。毎日目にしている時はそんなことを思わなかったけれど。

家の窓からは海に繋がる入り江と山というか高台が見える。その向こうにはアメリカワシントン州にそびえる高い山の頂上だけを望める。まだ残雪がある。それでも何か足りないのは、田園風景がないのと、山の木々が日本のように多様でないからか(日本でも杉、檜の山は多いけど)。ビクトリアの空港から家までの途中に農村地帯がある。そこを車で通ったりすると和む感じがあった。そこに水田はないけれど、自分に刷り込まれた風景とその農村地帯に共通項を見いだせるからだろう。

震災にあった東北、そして、それに増して原発事故に遭遇した福島のことが気になる。これから、いや既に風景を徐々に回復する作業が始まっているであろう。原発直近の福島においては、震災の被害が少なくても、放射線によってその風景から突然切り離された人も多いに違いない。風景があるのに届かない。その虚無感はいかばかりであろうか。少なくとも、枯れていても手の届くとこにあれば人の心は動く。

2011年7月4日月曜日

一人なにする

時差ボケで4時頃目を覚まし見えた朝やけは枕草子のようですばらしかった。一日中、快晴。気温20度前後。湿度低く快適。秋口−春まで雨が多いこの土地の夏は、人間にとっても自然にとっても待ってましたといわんばかりの勢いがあり、明るい。眩しい。そして、両者がとても嬉しそう。こんな時に仕事をしている場合ではない と思えてくるのだが、それはぐっと我慢するしかない。平日は朝と夕方に散歩でもして、おこぼれを頂いて我慢するのだ。

こんないい天気ですがすがしいのに、日本のニュースをみるとげんなりする。また、辞職か。辞職に至るこの過程がいら立つのだ。「報道に従え」ば言葉の汚い人のようだ。それにしてもだ。まだ仕事もしてもらっていないのに、こんな短期間に辞めさせるかマスコミ。どんな人が正解だというのだ。マスコミが正解とする人は誰なんだ。そしているのか? 教えてくれ。僕はそんな人はいないと思う。どこの政党もきっとどんぐりの背比べだし、今いる人で何とかやっていくしかないだろう。強力なリーダーシップ、スーパースターなんて求める必要もないと思う。それって、全て人任せ、他人事の感覚と表裏一体ではないか。政治家を非難するが、それを育てをしなかったのは、マスコミであり、そして、それに一票を投じる我々だったことは間違いない。1000年に一度という地震規模、複数機の原発事故が重なる危機。これを前後に何か社会的に変わるかもしれない。変わらざるを得ないということになりそうな時に、マスコミの報道記事、言説は益々定型化し、愚劣化しているように見える。煽動しないでくれ。「オフレコ」。これにも文句がある。長年の政治家とマスコミ記者の関係から生まれた慣習としてあったんじゃないの。たまたま今回は出たけど。

もう止めだ。こんな話。

今回は一人でこちらに帰って来た。家族がいない部屋は寂しい。そのかわり自由時間だけは担保される。日本に帰ったついでにまたまたさまざまな本を入手してきた。今回は震災関連の評論集、思想/哲学関連、そして、太平洋戦争をまたいだ前後の近代史に関するものが多い。評論では戦中、戦後と今回の震災/原発事故の相似性が頻繁に語られているようなので、少し近代史を勉強してみよう。そんなわけで、暇さえあれば本を読むということは当分続けそうだ。そして、疲れたら、外に出て散歩に出よう。

帰りの飛行機で「毎日かあさん」の映画を見た。機内本を読んでいたが、消灯されたあと読書灯をつけて本を読むのは気が引けたので映画に移行した。ハリウッドの洋画は面白そうにないし、こっちじゃみれない邦画を選択してのこと。子供がいい味だしていた。子供、アル中の亭主/その後の元亭主、母親/妻/パートナー。それらが絡まって生活して、ああだこうだして、最後に温かい関係になっていって良かった良かったと思った。その時の気持ちに依存はするが、できるなら終わりはハッピーなものがいい。

一人になって一番面倒なのが食事。さて何を食べようか。料理をするのは嫌いでない。ただ一人分を作るのが面倒なのだ。近くに定食屋、居酒屋、もしくは、安っぽい中華屋があれば迷わず行く。

2011年7月3日日曜日

久しぶりに

長いことブログの更新をしていなかった。震災と原発事故以降、なんとなく書く気になれずいたら、それをずるずると引きずって約3ヶ月間休業状態だったというわけだ。

昨日まで一ヶ月強、日本に戻っていた。大学の恩師と作業をする時間だった。久しぶりに長いこと現場作業をした。最初の頃は現場作業の勘が取り戻せずにいたが、その勘もほどなく復活し、よく働けた。そして、とても楽しい時間だった。

日本に行ったらテレビを見る時間が増えるかなと思ってみたら、ぜんぜん見なかった。見たのだけど、見る気になれなかった。結局、暇があれば本を読んでいた。震災、原発事故に関連する書物が書店に出ていたのでついつい買ってしまった。加藤典洋さんの「未来からの不意うち」、吉本隆明さん、鶴見俊輔さんの評論は引っ掛かり何回も読んだ。そして、今も読んでいる。

日本に居る間に浜岡原発の資料館に行った。原子炉の模型は圧巻だった。厚いコンクリート、金属壁に囲まれる炉心。神様を丁重に丁重に怒られないように蓋をして隠しているようだった。地震対策の展示の中には「津波対策は万全」と未だに訂正されず書かれたままだった。

今日はこんなところ。今後はなるべく更新する予定です。