7月9日の日記
散歩した。三つ編みに編み込まれた髪の束がゴミと絡まって歩道の脇に落ちていた。一見、黒いぼろきれのようであったけど、少し色褪せてパサパサし、所々つんつんと編み込みに反して無秩序に刺だった感じが布でないぞという空気を出していた。立ち止まって見る。一瞬、カラスの死骸かと思った。まさか髪の毛の束が落ちていると誰が想像しようか。ぎょっとした。断髪後のチョンマゲのようで、髪の毛じゃなく、束、そして、三つ編みされたその存在感。見なかったことにしてそそくさとその場を離れた。歩きながら見なかったことにしようとと呪文のようにつぶやくようにして。誰が何の理由で歩道に三つ編みの束を捨てたのか。わからない。
久しぶりに料理。トマトの煮込み。家にある最も大きい寸胴鍋で。玉ねぎ、セロリ、豆、ズッキーニ、ニンニク、鳥肉などをどっさり入れて煮込むだけ。味付けはカレースパイス、塩、コショウ、適当に醤油などを入れて適当に。野菜からだしが出るのでコンソメとかもいらない。油を使わない。平日、料理するのは面倒なので、これをそのまま食べ続け、飽きたら適宜アレンジして別のものにして食べ続けることにする。野菜不足は解消されそうだ。味は、今のところとても美味い。次も食べたいなと思っているので保証できる。次の次は、、、わからない。
昼、TVジャパンでNHKスペシャルの原発危機の討論をやっていた。時間の都合上第一部だけ。第二部は来週また同じ時間にやるようだ。徹底討論と言っていたけど、現在までの時間経過 -玄海原発再開の地元佐賀県の苦悩、ストレステストを発表するまでの政府の紆余曲折、伊予原発への愛媛県知事の対応など-を示す取材ビデオが大半であった。討論はというと、原発推進反対派の技術論に推進派(柔らかく言えば反対に対する懐疑派)が技術論で返す (技術論はもちろん大事だが)、または、重箱の角をつつくように言葉尻を反論するという相変わらずのいつもの風景が大半を占めていたようだ。なんだか、見たといいながら推論めいたことを書くのは途中で飽きて詳細が思い出せないからだ。こんな討論はもう見飽きた。徹底討論ならば、「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように」という点で技術/科学的裏付け、導入/建設/運用過程、事故対策/処理/コスト負担、未来への責任(事故処理/放射性廃棄物処理) 等々を明確にし、現在進行形で進んでいる福島の現状、未来への負の遺産 (事故処理、残留放射線、原発をすれば出る放射線を帯びたゴミ処理など) を直視して討論、議論して欲しかった。それがなければ、事故発生前の議論 -推進、反対両派が自分の意見を言い合うだけ- と本質的には何も変わらない、もしくは後退する。それが怖い。
世界の二割の地震が集中すると言われるし日本で、地震のない国と同じような技術体系で原発を進めることはできないだろう。日本の原発技術は世界一だと言っていたらしいけれど、何か起きた時に水で冷やすだけしか手を打てない技術が世界一なのだ。冷やす水も停電して注入できなくなったのだ。電気を作る原発が電気がないと暴走してしまう皮肉。フィンランドの核廃棄物のゴミ捨て場のオンカロでは、そのゴミが「安全」になるまでは1000000年貯蔵管理するのだそうだ。人間が生きているのかと思える時間スケールで今生きている人間がその安全を保証できると誰がいるのか。百万年後、文字や言語が残っているかわからないので、このゴミの危険性を百万年後の人にわかるような絵を貯蔵施設に掲示するのだそうだ。
今ある自分の数少ない手持ちのコマで考えて僕は脱原発派だ。脱原発は「今」ある人の暮らし(といっても、今の状況をが示すように原始生活に戻るとか、江戸時代に戻るとかそういうことはない)、考え方、システムなどを変えることを迫るだろう。それで世の中が悪くなるとは思えない。これから数年単位で混乱するだろう。この過程を無責任に偉い人達に任せることは避けたい。なるようになるさは止めたい。無責任なのに他人を責めることはしたくない。自分の身の丈で考え、振る舞いたいと思う。わからないことがいっぱいありすぎるのでもっと勉強しないといけないけど。
イタリアで国民投票で脱原発に動いたが、投票とした一般市民が「日本人が事故を起こすんならイタリアじゃ原発なんて無理でしょ」言っていたっけ。
大問題だがわからないことが多過ぎる。わからないことを、わかったふりしをてわすれない。なかったことにしない。
追記:
天野祐吉さんのブログ記事「政府広報ってなんだ」は面白い。
http://amano.blog.so-net.ne.jp/
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