時差ボケで4時頃目を覚まし見えた朝やけは枕草子のようですばらしかった。一日中、快晴。気温20度前後。湿度低く快適。秋口−春まで雨が多いこの土地の夏は、人間にとっても自然にとっても待ってましたといわんばかりの勢いがあり、明るい。眩しい。そして、両者がとても嬉しそう。こんな時に仕事をしている場合ではない と思えてくるのだが、それはぐっと我慢するしかない。平日は朝と夕方に散歩でもして、おこぼれを頂いて我慢するのだ。
こんないい天気ですがすがしいのに、日本のニュースをみるとげんなりする。また、辞職か。辞職に至るこの過程がいら立つのだ。「報道に従え」ば言葉の汚い人のようだ。それにしてもだ。まだ仕事もしてもらっていないのに、こんな短期間に辞めさせるかマスコミ。どんな人が正解だというのだ。マスコミが正解とする人は誰なんだ。そしているのか? 教えてくれ。僕はそんな人はいないと思う。どこの政党もきっとどんぐりの背比べだし、今いる人で何とかやっていくしかないだろう。強力なリーダーシップ、スーパースターなんて求める必要もないと思う。それって、全て人任せ、他人事の感覚と表裏一体ではないか。政治家を非難するが、それを育てをしなかったのは、マスコミであり、そして、それに一票を投じる我々だったことは間違いない。1000年に一度という地震規模、複数機の原発事故が重なる危機。これを前後に何か社会的に変わるかもしれない。変わらざるを得ないということになりそうな時に、マスコミの報道記事、言説は益々定型化し、愚劣化しているように見える。煽動しないでくれ。「オフレコ」。これにも文句がある。長年の政治家とマスコミ記者の関係から生まれた慣習としてあったんじゃないの。たまたま今回は出たけど。
もう止めだ。こんな話。
今回は一人でこちらに帰って来た。家族がいない部屋は寂しい。そのかわり自由時間だけは担保される。日本に帰ったついでにまたまたさまざまな本を入手してきた。今回は震災関連の評論集、思想/哲学関連、そして、太平洋戦争をまたいだ前後の近代史に関するものが多い。評論では戦中、戦後と今回の震災/原発事故の相似性が頻繁に語られているようなので、少し近代史を勉強してみよう。そんなわけで、暇さえあれば本を読むということは当分続けそうだ。そして、疲れたら、外に出て散歩に出よう。
帰りの飛行機で「毎日かあさん」の映画を見た。機内本を読んでいたが、消灯されたあと読書灯をつけて本を読むのは気が引けたので映画に移行した。ハリウッドの洋画は面白そうにないし、こっちじゃみれない邦画を選択してのこと。子供がいい味だしていた。子供、アル中の亭主/その後の元亭主、母親/妻/パートナー。それらが絡まって生活して、ああだこうだして、最後に温かい関係になっていって良かった良かったと思った。その時の気持ちに依存はするが、できるなら終わりはハッピーなものがいい。
一人になって一番面倒なのが食事。さて何を食べようか。料理をするのは嫌いでない。ただ一人分を作るのが面倒なのだ。近くに定食屋、居酒屋、もしくは、安っぽい中華屋があれば迷わず行く。
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