2011年8月29日月曜日

くうねるはしる

20k走る。走って気分はかなりすっきり。走っている時、色々ひらめくのだけど、なんで、意図も簡単に瞬時にひらめきは跡形も無く消えるのか。

距離に対する耐性はかなりついてきた。リズムに乗って、且つ、ゆっくりであれば、かなりの距離は走れる感じがする。

走った後の飯もうまいし、ベッドに入れば直ぐ寝れる (最近眠りが浅いけど)。


2011年8月27日土曜日

うんこ

朝起きて海沿いに短い距離のジョグ。大潮で干潮時刻だったのでいつもより奥行きが深い干潟が広がる。干潟でカナダ雁がアオサをついばむ。アオサギが干潟に潜む何かをつんばむ。海は朝日に輝いてキラキラと輝きながら深い青。

その時、犬の散歩をしている女性とすれ違う。犬が景色の良い芝生で気持ち良さそうにウンコをしていた。犬の表情はどことなく柔らか。スッキリ。って感じ。そして、とても気持ちいいのでニコッとしている様に見えた。景色の良い所でブリッとやるのはそれはそれは気持ちいいだろう。

カナダ雁の群は一カ所に集中してウンコをする傾向がある。一匹がすると皆が連鎖的にするのだと思われる。ジョグする時注意してもどうしても踏んでしまう位に密集したウンコの数々。どうして、群が一斉にある場所に集中してするのだろうか。大抵景色の良い所皆で一斉に排便にしているのを見ると、やっぱり景色が良い所でするのは気持ちいいのではないか。

自分もしてみたい。したら捕まるだろうけど。でも、そんなことができたら、毎日、独創的なアイデアが浮かんだり、日々が豊かになりそうな気がする。

カナダの最大野党であったNDPの党首Jack Laytonの国葬が今日あった。ラジオで聞いていた。聞いているだけでグッときた。弔辞にはユーモア/笑いがあったり。彼のことは報道で知る程度だったが、この間の報道を見る限りとても愛されていた人だったことが良くわかった。そして、この葬式の感じも。

彼が亡くなる48時間前の手紙の中でカナダの人々に語りかけている。

「友よ、愛は怒りに勝る。希望は恐れに勝る。楽観は絶望に勝る。だから、愛し、望み、楽観的でいようではないか。そうすれば、世界は変わるだろう。」。

こんな言葉を紡ぐことができる政治家が日本には残念ながら居ないと思う。

2011年8月26日金曜日

豊で美のある通勤路

風のない朝の通勤路。もう少しで新月というわけで干満の差が激しい入り江の水辺。風が無いので水面にさざ波一つなく鏡のよう。そこに朝日が映り込む。そして、隣接する建物が映り込む。建物を直に見れば直線的で角々しいのだけど、水面に映り込んだ建物はとても柔らかで美しい。朝日も同様に柔らかさが増す。それを眺めながらの通勤。なんて豊かなのだろう。

その通勤路の反対側ではアパートが建設中。若い大工さんが上半身裸で、はしごに乗りながら、板を片手で持ってそれを打ち付けている。以前からこの人は少し暖かくなると裸になる。そして、今日までに随分と小麦色に焼けた。板を持つ二の腕の割れ目と割れた腹筋は彫刻のようだ。奇麗な身体なと素直に思う。

そんな通勤路を経て仕事に向かった。

2011年8月25日木曜日

夕焼け小焼けで日が暮れて

限りなく透明に近い金色。

日没間際の太陽が地平線に沈みかけている頃の夕焼けはそんな感じだ。橙色だという固定観念が覆された。限りなく透明に近い金色。これでも言葉が足りない。見とれてしまう夕焼け。言葉を失う夕焼け。

そんな8時頃、僕はスーパーに向かった歩みを止めて眺めていた。

2011年8月24日水曜日

月と花

朝4時。起きる。最近眠りが浅い。頻繁に目が覚め、そして、夢を良く見る。その夢が楽しければ良いのだが、現実的な内容のものが多く魘される感じ。朝4時の東の低い空には月が輝いていた。12、3度の外に出てぼんやり眺めた。

昨日、自分の車がリコール対象になっていることをディーラーからの手紙で知った。車は土日位しか乗らないが、パワーステアリングが突然故障する可能性があると知れば、今日にでも修理したい。ディーラーに電話で問い合わせした所、来週の火曜まで埋まっていて修理は無理とのこと。しかも、修理対応は午前10時半から夕方5時まで。それじゃ、中々修理が捗らないわけだ。カナダというかビクトリアらしい。のんびり対応。しかし、リコールにそんなんで良いのだろうか? この前、120km/h出して良い高速を走った時、ハンドルがカタカタ振動していたがあれはリコール対象の要素が原因なのだろうか。言われてみれば疑問は尽きない。

今日も夕飯前に15km弱走る。曇り空。今日も野苺狩りの人々を多く見かけた。そして、車いすで看護の人に押されながら散歩している昨日のおばあちゃん達にあった。今日も表情はなく硬直していたけれど、きっと心底では気分いいのではないだろうか。

走り終えてクールダウンした時に路地に生えた紫色の花びらを持ったひな菊に似た花がとても奇麗だった。一瞬立ち止まって、花を眺めたら少し寂しくなった。

2011年8月23日火曜日

トレイル

ご飯前、家の前のトレイル片道5kmをゆっくり走る。夕刻6時40分に北に向かって走る。西には低い位置に太陽が橙色と黄色の中間位の色で輝いていた。日が短くなったものだ。風もなく、気温も寒くもなく、暑くもなく快適。

野苺狩りをしている老若男女が多い。腰にヨーグルトの空き箱を紐でくくりつけて、そこに取った野苺を詰めて歩いている女性。少し崖っぽくなったところを落ちないように手を繋いで一人が安全を確保しながら摘み取る若者男性二人。散歩がてらバケツを持って採ってはバケツに詰める前に口に入れてニコニコワイワイやっている家族。のどかだ。

往路5kmに達すれば、復路5kmが待っている。身体は軽く、復路の5kmが肉体的精神的にきつくは感じない。それはそうだ、走っているのか歩いているのかわからないくらいゆっくりした速度なのだから。

家の近くまできて車いすを押している二組とすれ違った。2台の車いすには。たぶん痴呆のおばあちゃんが乗っていた。近くに老人病院があるので、そこに入院している人なのではないだろうか。二人のおばあちゃんは、こんな陽気とのどかなトレイルを車いすに押されながら散歩しているが笑顔はほとんどない。一人のおばあちゃんは赤ちゃんの人形をぎゅっと抱え込んで一点を見据えていた。そんな二組は僕の背後に消えて行った。

2011年8月22日月曜日

夏の終わりの気配

本降りの雨。日の出が6時16分。日の入8時15分。足早に日照時間が短くなっている。そして、雨。路地に生えているアザミに似た植物は綿毛の大きな玉を重たそうにもたげ、風が吹くとそこから綿毛がふわっと飛ぶ光景もちらほら。街路樹の緑もすこしずつ元気な緑から黄色が増してきつつある。夏が終わりに近づいている。

2011年8月21日日曜日

奇跡

昨日久しぶりにバスに乗った。バスで通り過ぎ見える風景は、自分が運転する車から見える景色とは違うようだ。運転している時は、それなりにあれこれ運転に注意を払っているので、風景をぼんやり眺める余裕もない。また、見知らぬ人と場を共有しているというのも、見える風景のスパイスになるのかもしれない。不規則に停留所に止まるのも変化を与える。ここにいること、そこでみた風景、ここにたまたま居合わせた人、そこに止まること、全てが奇跡なのだ。日々生活していることは、正しく奇跡の積み重ねなのだが、そんなことは忘れがちだ。奇跡というと、大きなことを想像しがちだ。奇跡に鈍感になった時、日常が平凡に思えたり、他人に家族に優しくなれなくなる。そんなことをバスの車窓から景色をぼんやり眺めながら考えていた。そして、反省していた。

なんてことを考えたのは、くるりの「奇跡」を聞いたこと、それが主題歌である「奇跡」という映画の予告を見たからだろう。くるりの「奇跡」を聞き、予告を見ただけでも凄く切なくなった。切なくなる。そんな感情はここ最近になってようやくわかってきた。というか、敏感に身体が反応するようになった。年齢とともに涙腺が弱くなるというような話は聞いたことがあるが、それを実感している今日この頃。

奇跡のつみかさね。それが日々であり、その奇跡を感じられる年齢になってきたはずなのだが。。。

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奇跡
くるり

いつまでも そのままで
泣いたり 笑ったりできるように
曇りがちな その空を 一面晴れ間に できるように
神様ほんの少しだけ 絵に描いたような幸せを
分けてもらうその日まで どうか涙を溜めておいて
言葉は転がり続け 想いの丈を通り越し
上手く伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな
あぁいつもの君は 振り向いて笑う
溜め息混じりの 僕を許してね
退屈な毎日も 当然のように過ぎてゆく
気づかないような隙間に咲いた花
来年も会いましょう
さぁここへおいでよ 何もないけれど
どこへでも行けるよ 少し身悶えるくらい
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2011年8月18日木曜日

どどろ

朝起きようと思った5時に起きられず。だらだら7時まで寝ていた。快調なんでだろうと思うけど朝起きて直ぐ腹が減っていて何か食べたい。一人暮らしの怠惰か、シリアルにバナナを手で適当に千切ってそこに牛乳を入れて朝食のできあがり。テレビのニュースを見ながら、流しの前に立ったまま食べる。デザートはヨーグルト。そこに旬だと思うブルーベリーを入れて食べる。腹が減っているせいか、糖分を舌が欲し、とても敏感に果糖を舌が感じとる。美味い。時々、ブルーベリーに木片が残っていたりして違和感を感じたりもする。どちらの品目も食感的、見た目的にどろろ。

昼まで仕事が立て込んでというか、集中していた。時間があれば出かける昼の散歩を何時もの時間より遅めにする。朝夕の通勤路、脇に生えた野苺狩り+人によってはそこで立ち食い、を良く見かける季節になったと思っていたが、昼も野苺の幹にわさわさと生える刺を気にしながら野苺スポットで老若男女が刈り取っては食べ、そして、袋や容器に貯めて持ち帰ろうとしていた。皆、刺が気になって奥までは踏み込めない。小鳥はその奥まで難なく飛び込みついばんでいた。日本式高枝切り鋏があれば意図も簡単に採れそうだが、これこそが自然とのバランスというものか。なんでも「過ぎない」ことは大事だ。

その散歩の帰り、番傘を持った洋梨体型のおばさまに遭遇。番傘は日本で買ったお土産だろうか。小振り。だが、骨組みはしっかり竹で出来ているようだった。小振りの番傘に洋梨体型のおばさま。おばさまはとても大きく、丸みを帯びておられたので、持った番傘を含めたシルエットがトトロのようだった。遠目では。近づくにつれて、その様相がはっきりと目に飛び込んで来て、眩しいほどの桃色のTシャツと真っ赤な口紅はトトロにないけばけばしさであった。トトロではなくドロロ。そんな感じだった。

2011年8月16日火曜日

ホジホジ

元気がでない時、見る動画がある。それはAlpine climber, Jonny CoppのLong Ways。僕の日常ではあり得ない肉体的精神的に過酷な状況で、自分の身体と頭を駆使して、苦痛に歪みながらも笑顔と冗談を忘れずにいるところに強くひかれる。彼のスタイルは最小限の装備で新たなルートを果敢に攻めるタイプで、それだけに登攀の厳しさは増す。その中での笑顔と冗談を出せる底知れぬ強さ。Jonny Coppの良き登攀パートナーだったMicah Dashの柔和で目がキラキラした笑顔はそれを見ているこちらも思わず微笑んでしまう。この動画を見ると力が湧くというか、元気が出ないと思い込んでいる自分がちっぽけに思える。そして、できる限り笑っていたくなる。笑顔はその人の強さに比例するのではないか。仮説だが。そんな彼らは昨年Mount  Edgerで雪崩に遭って死んでしまった。しかし、その記録である動画は僕にとっては永遠である。

と、先日、僕が行ったトレイルのことを思い出しながら、仕事の後ランニングしている間ぼーっと考えていた。僕の場合、ランニング中は身体に負荷がかかっているので余分なことを考える余裕が無く、自分の底にある何かを何度も何度もホジホジしながらフッと何かが浮かんでは消える。走り終えたとき、浮かんだことは意図も簡単に何も残らず、腹減ったと肉体的な刺激が叫ぶだけだった。そして、腹が満たされた今、Jonny Coppのことが蘇って来て動画を見ていた。

そういえば、走り終えた交差点で、50代後半に見えるおじさんがアメ車のでかいバンに乗って左折していった。その時、彼の左手の中指と薬指は鼻の両穴にすぽっと嵌っていた。鼻を掘っているのか。痒いのか。わからない。僕の場合は鼻を掘るときは一本の指を鼻の穴に入れながらグリグリと回転を加えながらホジホジするので、二本を入れては掘り出すことはできない。鼻の穴二つに指を入れながら左折していく50代後半のおじさんは新鮮だった。ふっとした時にやってしまうこと。それは意外と見られているのだなと思った。

2011年8月14日日曜日

Strathcona Provincial Park

Strathcona Provincial Parkに行って来た。Victoriaから車で約4時間。最寄りは石狩市と姉妹都市であるCampbell River。最近停滞気味の心身に刺激を入れるべく山へ。

目的はCrest Mountain, および Flower Ridgeトレイル。両者とも全長(片道)5-6km。その間に1250m程登る。片道3時間程度が平均的な所要時間。トレイルとしては「難」レベルと言われる。

ネット上ではCrest Mountainの方が易しいようなことが書かれていたが、個人的にはこちらの方が難易度が高かった。トレイルは整備されているが、砂利道に小さい岩が乗っかっているようなところが多く、また傾斜はかなりある。上りはその傾斜から速度が出ないのでまだいいが、下りでは時々足を滑らすことがあった。幸い転ぶことも、怪我することもなく完歩した。

Crest Mountainの頂上には蔵王のお釜のミニチュアのような湖があった。水は透き通って、空の蒼が水面に映りとても清らかだった。その周りには残雪があってその標高を感じさせた。山頂からはもっと残雪が残る山並みが広がり、眼下には針葉樹林の森が広がっていた。

Flower RidgeはCrest Mountain同様の標高ながら、山頂手前の木陰にはかなりの量の残雪が残っていた。ここを渡ったあとが最大の難所で20分程度急傾斜の崖が続く。そこをゆっくり着実に登る。トレイルとはいえ、そこは人が歩いたことによって植物が生えていないだけの岩がむき出しにあるだけ。そこを注意しながら歩く。そして、頂上。山頂からは山並みが広がるが、Crest Mountainに比べると見晴らしは良くないように思えた。山頂には水たまりがあり、そのせいか、「蚊」が異様に多かった。ここでむき出しの首や頭頂部を何カ所も刺され、そのせいであまり景色を楽しむことはできなかった。

Crest Mountain, Flower Ridgeともにすれ違うのは一組だけだった。こんなTrailを好き好んで上るような人は多くないようだ。僕は彼らに比べると速度が速いようだった。ネット上の平均時間に比べ30分-1時間早い登頂だった。体力があるのか、それとも景色を楽しんでいないのか。

停滞気味の心身に刺激を入れるには十分の難易度あるTrailだった。

2011年8月9日火曜日

大目に見てよ

仕事部屋にいると肌寒い。現在、我が新たなる仕事部屋は改築真っ最中であり、壁のペイントがなされたばかりで未だその臭いが残り不快。そこで、部屋の窓は終止全開なのだ。午前中、曇り空で気温もそれ程上がらず、窓から入り込む風は冷たい。半長袖のシャツを着ていたがそれだけではどうにも肌寒い。しかし、その臭いを考えると窓を閉じたくはない。その葛藤からか、仕事にどうも力が入らない。窓の向こうの曇り空を眺め、力が入らないことを、その曇り空と肌寒さに責任転嫁した。責任転嫁してしまうと、どっと力が抜け、歯止めがかからなくなりそこねたが、そこは大人の私だほっぺたを抓ってパソコンを眺めれば瞬く間に集中力が蘇ったのだった。というのは幻想だった。

通勤路。例の烏に襲われるとおもって、先日剃り上げて毛の薄い頭を守るため帽子を被ってこちらは十分な気合いでその場を通りすぎる。が、その烏は居なかった。そこに守る巣があったわけではなく、ただただ機嫌が悪かっただけなのか。機嫌が直ってどこかに飛び去ったのか。

帰宅後、家の周りを走っていたら、ホームレスらしいおっちゃんが自転車を横たえてその場に寝ていた。頭は後輪上に取り付けたプラスチック籠に半分顔を突っ込んでおり死んでいるかと思った。が、いびきをかきながら普通に寝ていた。酒臭かった。そう言えば幸いにも私は酒を飲んで野外で寝てしまったことはない。が、酒に打ち負けた数は知れず。

今日はしっかりするぞ、今日は大丈夫、二度とあんなことするもんか、と思っても甘くなったり、考え過ぎたり、そんな考えすら途中で完全に忘れたり。そんなことを繰り返しながら一歩進んで二歩下がり、そしてまた一歩進む日々である。

2011年8月7日日曜日

Elk lakeで今日も走った。10kmルート。今日もスロージョグ。「ざくざく」という足音。そして、鳥の声。湖からする微かな波音。気持ちいい。昨日同様のスローだと思ったのだけど時間を見ると昨日よりずっと速かった。でも呼吸の乱れ、下半身の「芯」にくる違和感も無し。意外と自分の身体はいけているのかもしれない。が、油断は禁物。この段階では意識的にスローにしていかないときっと怪我をする。

その後East Sookeのトレイルへ。Coastルートをひたすら歩く。うちやElk Lakeでは眩しいほどの晴れだったとしても、ここに来ると霧が濃いことが多い。特に午前は。海に広がる濃霧が風に流れてトレイル側に流れてくる。午前中の気温はうち方面と比べると5度程度低いことはざら。昼夜の気温差がうち方面に比べると大きいので霧が発生しやすいのだろう。霧が流れる時、風が樹々にあたり葉っぱが擦れるザワザワとした音、そして少し高音のヒュルルが折り重なる。眼下には崖に波があたり、崖と崖が作り出す狭い空洞などでは見た目の波以上の低音のザブンというかダブンというような波音がして驚いたりする。

波や風、樹々からの音。人が殆どいないトレイルを歩いたり、走っていると感じることができる。家に居る時では考えられない程、鋭敏に音を感じ取る。低木の樹々がざわめくと動物がいることを察知し、緊張したりする。

音。子供の時には覚えていた記憶が蘇る。大人になっても、そんな音を感じられる力を失ってはいけない。忘れた時、森や川、そして海は自分から離れてしまう。

2011年8月6日土曜日

Elk/Beaver lake

走ってみた。といってもかなりスローなジョグ。一周10km。ルートは平坦なので思いのほか楽。この距離、そして素晴らしい景色。樹々。ランナーの数はそこそこ多い。

走ったり、歩いたりする時、あれこれ考え、そして、なんだか良さそうな考えが浮かぶ。浮かんで、そして、消える。あの良い案はどこに消えたのか。思い出そうにも思い出せない。その時は。経験上わかっているのだけれど、時間を経て消えた記憶が蘇ることがある。その考えは消えていたはずなのに、なぜか「そうそう、あのとき」とかいって蘇る。消えていない。ただ、思い出せないただけなのだ。

歩いたり、走ったり、その時、時間を忘れている。時間は忘れるが、そこで考え浮かんだ面白いことは時間を、かなり -数ヶ月以上- 経て蘇る。蘇るのは考えた頭の出来事だけではない、その時の身体の動きや疲労度、そして、空や海の色、樹々の緑や倒れた木に生えたキノコだったりもする。

そんな記憶の蓄積こそ、自分にとっての豊かな幸せなのではないか。

2011年8月5日金曜日

からす

通勤路。晴れが続いて黄緑と緑の中間の葉がわさわさと繁る。

その後半のところで、一匹の烏が通勤路を睨み、声高に僕を威嚇する。その威嚇は顔を乗り出して、且つ、全力でくちばしを開け、叫びその先を僕につきつけている。威嚇は鳴き声だけでなく、実際に僕の頭上をばたばたと羽音を立てて飛んで威嚇する。たぶん、自分の子供がその通勤路の街路樹にいるのだろう。

説得することはできないので、迷惑をかけないように足速にそこを通り過ぎようとするのだけれど、そのカラスの威嚇が和らぐことはない。頭上を爪を立てながら通り過ぎる。こちらは首をすくめそれをやり過ごす。

烏よ安心して欲しい。私はあなたを攻撃しません。仲良くしようよ。

2011年8月4日木曜日

身体

気分が滅入っている時は、おのずと体調も優れず。軽めに運動しながら積極的休養を取ったら体調は回復気味。気分も底からは脱した感がある。疲れが取れて、どうにかなるという楽観が顔をのぞかせ始めた。やっぱり身体に正直にすることだ。疲れてくると身体の変調に鈍感になるから、少しでも異変を感じたら即応すべきだ。

いい天気が続いて仕事をしていても外に出たくなる。出れないけど。座り仕事が基本なので身体が凝る。今週から部屋が変わって広いところに一人になった。そのため時々床に座ってヨガのポーズを取ってみる。とても良い気分転換になる。身体が元気ならなんとかなる。仕事にも前向きになる気になれる。

帰り道。足にびっしり入れ墨を入れている白人の若者を見た。気になったので歩きながらバレないようにちら見すると見えたのは「海の男」の三文字。一つの文字が10cm弱。でかすぎて圧倒された。友達にこの意味なんだとか聞かれているのだろうか。彼は海の男である。強靭な身体を持って、毎日前向きに生きていることだろう。きっと。

2011年8月2日火曜日

歩け!

ここのところ苦しい日々だ。あれこれ考えて、そうだろうなという自分なりの着地点が暗い。好転的な感情が浮かばない。こんな時に家に閉じこもるとろくなことはない。というのが経験上の答えだ。

こんな時は歩く。歩かなくても身体を動かせばいいのだけど、身体を動かす最も簡単な方法は歩くことだ。歩けるところはどこにでも広がっている。

歩いている間、あれこれ考えるべきことが思い浮かぶ。そして、あれこれとよさそうな答えが瞬間的に脳裏に浮かぶ。がたいていそんなものは家に帰れば忘れている。

忘れて、そして再度重苦しくなるが、歩いた分少し疲れているのもあって、苦しさの険しさが和らぐ。それは、疲れているから考えたくないからだ。

今回の苦しさは思いのほか大きい。だから歩く距離も長くなければならない。家にいると暗くなる。本でも読んで忘れようとするが、本を読んでも頭に入らない。だから、歩く。歩いて疲れて寝るのだ。