日本から初対面のお客様。ホテルまでお出迎えし、会社へ。時差もあってすっきりしない朝のようだったけど、とても優しい雰囲気を感じて朝から学んでしまった。自分勝手な私は、すっきりしない朝であれば、それが見事に顔に現れる人間だからである。人に対して優しい雰囲気、言い換えれば感謝の気持ちを示すことはやっぱり大事だなと学んだのである。学ぶことは日々ゴごろごろと転がっている。それを身にすることは難しいけれど、ゴロゴロ転がっていることを感じられることが重要だと思う。ゴロゴロ転がっていると思えれば日々日常は非常に楽しい。生きていることに希望を感じられる。本を読んでいて、ラジオを聞いていて、「その著者、語り手は私に向かって言っているわけではないけれど、それを自分に言っていると思えることは、生きる力を高める」といっていた (私の誤解?)内田樹先生 (最近私にとって新たな師となった。といっても本を読んで思い込んでいるだけだけど) の言葉を思い出す。
大野更紗「困っている人」(http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html) 更新。大野さんも師である。師は周りに一杯いる。あの人、この人。。。
そういう意味で人に会うことも重要だけど、その人から感じられる能力も大事なのかななどと思った今日の出来事であった。お客様ありがとう。
2011年1月30日日曜日
らしい日曜日
昨晩早く寝た。深い眠りだったようですっきりと6時前に起床。朝風呂しながらラジオデイズ(www.radiodays.jp)でダウンロードした対談を聞きながらぼんやりとシャワーヘッドを一時間強ずっと眺めていた。対談内容を聞き漏らしたく無かったので集中したせいかシャワーヘッドをずっと目に入れていても違和感無くいたのだった。見続けていたのは対談を聞き終わって風呂から出るときにはっとした位だ。
すっきりした感覚で窓から外を眺めたら晴れ間が見える。しかし、風が強い。散歩へ。昨日断念した海沿いを延々と歩く。途中、烏が死んだ小鳥を啄んでいた。雑食であるから当然な光景ではある。食べなきゃ死ぬってことを漠然と考えた。海は穏やか。残念だけど海の向こうの山々には昨日同様に霧でぼんやりしていた。結構な数の人が朝早くから歩いていて、みんなこの季節に希有な晴れを逃したく無いという共通の欲求なのだろう。風が強いのでやはり共通に寒そうな顔をしていた。
途中、納豆と蕎麦が食べたいと思う。ダウンタウンまで足を伸ばす。10時前だったので街をぶらぶら歩く。こちらは朝早いせいで人気は疎ら。中華街へ最後に行って念願の蕎麦、納豆、それに加えて蒟蒻を買った。蒟蒻は正月実家で食べた醤油で炒めたのが美味かった記憶より蒟蒻が目に入ったら手にしていた。
帰宅したら身体が冷えきっていたので熱めの風呂に再度入る。内田樹の「こんな日本で良かったね(文春文庫)」を手にして身体をずっぽり浸かる。読み終えて出たら2時間半経っていた。
まだ、蕎麦も納豆も口にしていない。現在、夕飯のためキャベツ1個を半分に切ってそこにベーコンを並べて蒸し焼きを作っている。蕎麦、納豆は明日にしようかなぁ。。。
まーこんな感じの日曜日らしい日曜日である。
すっきりした感覚で窓から外を眺めたら晴れ間が見える。しかし、風が強い。散歩へ。昨日断念した海沿いを延々と歩く。途中、烏が死んだ小鳥を啄んでいた。雑食であるから当然な光景ではある。食べなきゃ死ぬってことを漠然と考えた。海は穏やか。残念だけど海の向こうの山々には昨日同様に霧でぼんやりしていた。結構な数の人が朝早くから歩いていて、みんなこの季節に希有な晴れを逃したく無いという共通の欲求なのだろう。風が強いのでやはり共通に寒そうな顔をしていた。
途中、納豆と蕎麦が食べたいと思う。ダウンタウンまで足を伸ばす。10時前だったので街をぶらぶら歩く。こちらは朝早いせいで人気は疎ら。中華街へ最後に行って念願の蕎麦、納豆、それに加えて蒟蒻を買った。蒟蒻は正月実家で食べた醤油で炒めたのが美味かった記憶より蒟蒻が目に入ったら手にしていた。
帰宅したら身体が冷えきっていたので熱めの風呂に再度入る。内田樹の「こんな日本で良かったね(文春文庫)」を手にして身体をずっぽり浸かる。読み終えて出たら2時間半経っていた。
まだ、蕎麦も納豆も口にしていない。現在、夕飯のためキャベツ1個を半分に切ってそこにベーコンを並べて蒸し焼きを作っている。蕎麦、納豆は明日にしようかなぁ。。。
まーこんな感じの日曜日らしい日曜日である。
2011年1月29日土曜日
朝起きて暫くしてから散歩。海というか港に沿って歩いてみる。丁度、満潮で潮が満ちていてそれを岸壁から眺めていると吸い込まれそうな気がした。曇天で雨粒が少しだけ落ちていて、海の向こうの山並みの景色を見たかったのだけど少し霧がかかっており余りぱっとしなかった。
もっと海に沿って歩こうと思ったけれど、向かい側からどっとランニングをする集団が来て気後れしてUターン。その集団が去った後、後ろからまた集団が現れた。集団で走るのは他人の力を借りてトレーニングを継続させるよう背中を押す効果を狙った側面と、みんなで喋りながら走る楽しさを向上させる意味があるのだろう。しかし、過剰な人数で大集団で走ってこられると、向かい合う人間には圧力を与える。
海に面するコンドミニアムの庭に水仙だと思われる球根からニョキニョキと芽が出ていた。それを見て少し気持ちがほっこりした。
噂には聞いていたが亀山郁夫が新たに翻訳し直したドストエフスキー文学が面白いらしい。カラマーゾフの兄弟、罪と罰は挑戦したことがあるが翻訳された日本語のハードルが高かった。亀山郁夫自身、現代のリズムを意識した翻訳を心がけたと力説していたので読んでみたい。とpodcastを聞きながら思うのであった。
久しぶりにトレーニング室に行ってみると設備の充実度が増していた。なんと、ボートのエルゴメータまで設置されていた。知らぬ間に。久しぶりに20分軽く漕いで見た。昔の身体に深く刻まれた記憶で結構良いフォームでこぎ続けられた。股関節が柔らかくなったせいか、足を曲げた時に足裏に体重を乗せ易くなった気がする。今後はヨガ、散歩に加えてエルゴメータも取り入れようと思う。日々の楽しみが増えた。
もっと海に沿って歩こうと思ったけれど、向かい側からどっとランニングをする集団が来て気後れしてUターン。その集団が去った後、後ろからまた集団が現れた。集団で走るのは他人の力を借りてトレーニングを継続させるよう背中を押す効果を狙った側面と、みんなで喋りながら走る楽しさを向上させる意味があるのだろう。しかし、過剰な人数で大集団で走ってこられると、向かい合う人間には圧力を与える。
海に面するコンドミニアムの庭に水仙だと思われる球根からニョキニョキと芽が出ていた。それを見て少し気持ちがほっこりした。
噂には聞いていたが亀山郁夫が新たに翻訳し直したドストエフスキー文学が面白いらしい。カラマーゾフの兄弟、罪と罰は挑戦したことがあるが翻訳された日本語のハードルが高かった。亀山郁夫自身、現代のリズムを意識した翻訳を心がけたと力説していたので読んでみたい。とpodcastを聞きながら思うのであった。
久しぶりにトレーニング室に行ってみると設備の充実度が増していた。なんと、ボートのエルゴメータまで設置されていた。知らぬ間に。久しぶりに20分軽く漕いで見た。昔の身体に深く刻まれた記憶で結構良いフォームでこぎ続けられた。股関節が柔らかくなったせいか、足を曲げた時に足裏に体重を乗せ易くなった気がする。今後はヨガ、散歩に加えてエルゴメータも取り入れようと思う。日々の楽しみが増えた。
カモメはカモメ
薄暗い厚い雲の元、柊の赤い実が眩しい。雨で少ししっとりした葉を落としたこんもりとした木の中で雀に似た小さい鳥が優しくも甲高く嬉しそうに鳴いていた。そんな通勤路。
カモメに糞攻撃をされた一昨日。それ以来、上空を飛ぶカモメに異常に敏感だ。詰まらぬ考え事で下向き加減の目線で歩いていてもカモメの気を感じてしまう。そんな時、カモメが飛びながら糞をするって凄いもんだと思うのだった。飛びながら。人間で言ったら歩いていながらウンコをすることだ。腹痛でどうしようもなくてもう冷や汗まみれで漏らすということは稀にあるだかもしれない。ここにはトイレに行きたいが間に合わない、痛みと恥ずかしさで冷や汗まみれという状況が存在する(はずだ)。カモメは飛びながら涼しい顔で恥ずかしさなんて微塵もない。当然と言えばそれまでだ。が、しかしだ。
人間は社会の中で生きており、社会の常識 (所謂、人様の目)から外れてしまうことへの躊躇があり、恐怖、恥など負の感情を得る。社会が無ければそれを感じられない。群で飛ぶ鳥はいるがあれは社会とは言わないのではないか。社会の無いカモメは涼しくウンコを垂れる。人の社会は束縛を与え、時に鬱陶しいが、それがあるからこそ一個人に「無茶」なことをさせないという側面もある。だから、大人は最善の注意を払ってウンコを漏らさない。社会があるから人は安心を得ている。あぁ人に生まれて良かった。社会からつま弾きにされた個人は孤独であり絶望を感じ暴挙に走ってしまう。だからこそ社会は硬直しておらず、多様な人により構成されて寛容で懐が深くなくてはならない。だから、最善の注意を払った'のに'漏らしてしまった人を全否定してはならない。そうすれば、その過ちから人は学び社会に還元される。そんな社会を作るための個人を育てるために社会は学校を作り、子供を学ばせる。学校で勉強する、させられる意味は立身出世のためではない。より良い社会を作るためにあるのだ。カモメがカモメでしかないのは社会が無いからである。と、カモメに教えられた。って思ったのは、その時ヘッドホンで宮台真司が出演している「学問のススメ」をポッドキャストで聞いていたからだ。
それにしてもカモメ。飛んでいる時にウンコする場合、人と同じで腹筋に力を入れるとかするだろうか。歩いている時、一時的に腹筋に力を入れると歩みが阻害される。カモメに腹筋があるのかは知らないが、飛行に支障を生じないのだろうか。カモメに聞いてみたい。
カモメに糞攻撃をされた一昨日。それ以来、上空を飛ぶカモメに異常に敏感だ。詰まらぬ考え事で下向き加減の目線で歩いていてもカモメの気を感じてしまう。そんな時、カモメが飛びながら糞をするって凄いもんだと思うのだった。飛びながら。人間で言ったら歩いていながらウンコをすることだ。腹痛でどうしようもなくてもう冷や汗まみれで漏らすということは稀にあるだかもしれない。ここにはトイレに行きたいが間に合わない、痛みと恥ずかしさで冷や汗まみれという状況が存在する(はずだ)。カモメは飛びながら涼しい顔で恥ずかしさなんて微塵もない。当然と言えばそれまでだ。が、しかしだ。
人間は社会の中で生きており、社会の常識 (所謂、人様の目)から外れてしまうことへの躊躇があり、恐怖、恥など負の感情を得る。社会が無ければそれを感じられない。群で飛ぶ鳥はいるがあれは社会とは言わないのではないか。社会の無いカモメは涼しくウンコを垂れる。人の社会は束縛を与え、時に鬱陶しいが、それがあるからこそ一個人に「無茶」なことをさせないという側面もある。だから、大人は最善の注意を払ってウンコを漏らさない。社会があるから人は安心を得ている。あぁ人に生まれて良かった。社会からつま弾きにされた個人は孤独であり絶望を感じ暴挙に走ってしまう。だからこそ社会は硬直しておらず、多様な人により構成されて寛容で懐が深くなくてはならない。だから、最善の注意を払った'のに'漏らしてしまった人を全否定してはならない。そうすれば、その過ちから人は学び社会に還元される。そんな社会を作るための個人を育てるために社会は学校を作り、子供を学ばせる。学校で勉強する、させられる意味は立身出世のためではない。より良い社会を作るためにあるのだ。カモメがカモメでしかないのは社会が無いからである。と、カモメに教えられた。って思ったのは、その時ヘッドホンで宮台真司が出演している「学問のススメ」をポッドキャストで聞いていたからだ。
それにしてもカモメ。飛んでいる時にウンコする場合、人と同じで腹筋に力を入れるとかするだろうか。歩いている時、一時的に腹筋に力を入れると歩みが阻害される。カモメに腹筋があるのかは知らないが、飛行に支障を生じないのだろうか。カモメに聞いてみたい。
2011年1月28日金曜日
ドキンちゃんだって!
なんと言われようと「ドキンちゃん」。
息子の絵。親ばかだって?
知らんわい。人がなんと言ったって「ドキンちゃん」だぜぃ! この絵を飽きずに眺めビールを飲む至極の独り飲み。うまいなぁ。うまい。うまい。うまいって。絵もビールも。
離れていて寂しいけど、こんな嬉しいことがあったらお祭り気分だって。雨の日の虹みたいなもんだよ。嬉しいねぇ。
2011年1月27日木曜日
霧と身体の第六感
霧の朝。
昨日、日中は比較的暖かかった。日暮れ近くから気温が下がって朝を迎えたら霧。霧の中の徒歩通勤も良いものだ。歩いて行くうちに外気に直接触れる顔がほんのりしっとりする。
出勤時、カモメが上空をこちらに向けて舞う。突然それを敏感に捉え、足は止まった。そしたら我が30cm前にウンコが落ちて来た。止まった理由はそれを予感していたからだ。今日の身体は最高水準の第六感的感度を持つ稀にみる高いコンディションにある状態なのか?
手のひらを見ると表皮が少し剥け始めた。季節変わりの信号だ。何時からか記憶は無いが、季節が変わると表皮が剥ける。それもじわじわと。痛くも痒くもない。見た目は酷く、お釣りを貰う時に気が引けるのは自意識過剰な過去の事。今は剥けるがまま。冬から春に季節はグラデーションに変化しているので不連続でないはずだ。剥け始めは冬の終わりへの一歩を示唆するのではないか。
身体の応答は敏感で、飛行機で旅をすると爪が乾燥で割れたり、時に緊張で下痢になったり。お酒を飲み過ぎたりした時は、ヨガの左に身体を捻るポーズが辛かったり。それぞれ原因と結果は見事に繋がり身体は素直に反応し、時に自由で一方で身体に異変、束縛を与えるのだ。
身体は最高水準の感度を持っていたはずだが、一日を総じてみれば普通なのであった。
霧のロンドン。と良く言ったものだが、それは産業革命以降の粉塵の光化学的反応の結果(光化学スモッグ)であったそうだ。今朝の霧は飽和水蒸気量の原則に従っているに違いない。産業革命以降のロンドンでは光化学スモッグで死者が出ていたらしい。。。目の前で苦しそうにしている人は見かけなかった。
どうでもいいが、橋本治の本を読んでいる。面白い。口語的で意識しないと流れるようにして読んでしまう。その時、上の空になってしまうと理解が進まない。書き手の技術のおかげで流れるようにして読んでしまうのは実は落とし穴。理解するには集中が必要で、そうでなければその論理を一読で解釈することができない。特に私のように地頭が悪い人間は。
昨日、日中は比較的暖かかった。日暮れ近くから気温が下がって朝を迎えたら霧。霧の中の徒歩通勤も良いものだ。歩いて行くうちに外気に直接触れる顔がほんのりしっとりする。
出勤時、カモメが上空をこちらに向けて舞う。突然それを敏感に捉え、足は止まった。そしたら我が30cm前にウンコが落ちて来た。止まった理由はそれを予感していたからだ。今日の身体は最高水準の第六感的感度を持つ稀にみる高いコンディションにある状態なのか?
手のひらを見ると表皮が少し剥け始めた。季節変わりの信号だ。何時からか記憶は無いが、季節が変わると表皮が剥ける。それもじわじわと。痛くも痒くもない。見た目は酷く、お釣りを貰う時に気が引けるのは自意識過剰な過去の事。今は剥けるがまま。冬から春に季節はグラデーションに変化しているので不連続でないはずだ。剥け始めは冬の終わりへの一歩を示唆するのではないか。
身体の応答は敏感で、飛行機で旅をすると爪が乾燥で割れたり、時に緊張で下痢になったり。お酒を飲み過ぎたりした時は、ヨガの左に身体を捻るポーズが辛かったり。それぞれ原因と結果は見事に繋がり身体は素直に反応し、時に自由で一方で身体に異変、束縛を与えるのだ。
身体は最高水準の感度を持っていたはずだが、一日を総じてみれば普通なのであった。
霧のロンドン。と良く言ったものだが、それは産業革命以降の粉塵の光化学的反応の結果(光化学スモッグ)であったそうだ。今朝の霧は飽和水蒸気量の原則に従っているに違いない。産業革命以降のロンドンでは光化学スモッグで死者が出ていたらしい。。。目の前で苦しそうにしている人は見かけなかった。
どうでもいいが、橋本治の本を読んでいる。面白い。口語的で意識しないと流れるようにして読んでしまう。その時、上の空になってしまうと理解が進まない。書き手の技術のおかげで流れるようにして読んでしまうのは実は落とし穴。理解するには集中が必要で、そうでなければその論理を一読で解釈することができない。特に私のように地頭が悪い人間は。
2011年1月26日水曜日
季節はグラデーションのように
通勤途中で1カ所、キンモクセイに似た香りが優しく包む場所がある。そこは10mに満たない範囲で、朝しかその香りがしない。周りを見ても花が咲いているようには見えず不思議だ。だが、とても朝からいい気分になる。花の香りでないかもしれないが、春へ着実に歩んでいるように思える。
通勤路の傍らのアパートベランダの片隅で、日が照っているわけもないのに茶色と白の比較的ふっくらした猫が背筋を凛と伸ばして、でも顔は気だるそうに佇んでいた。通勤中の自転車ライダーや徒歩中の人間に「朝もはよからごくろうさん」とでも言いたげだった。そんな猫を観察していたがったがそうもいかず、いそいそと通り過ぎた。
帰社する時の明るさが目に見えて明るくなってきた。季節は着実に進んでいる。そして、一月が終わろうとしている。
通勤路の傍らのアパートベランダの片隅で、日が照っているわけもないのに茶色と白の比較的ふっくらした猫が背筋を凛と伸ばして、でも顔は気だるそうに佇んでいた。通勤中の自転車ライダーや徒歩中の人間に「朝もはよからごくろうさん」とでも言いたげだった。そんな猫を観察していたがったがそうもいかず、いそいそと通り過ぎた。
帰社する時の明るさが目に見えて明るくなってきた。季節は着実に進んでいる。そして、一月が終わろうとしている。
2011年1月25日火曜日
何もないけど鳥インフルエンザに思う
仕事以外はなーんにもありませんでした。
朝普通に起きて、徒歩出勤。飛び交う野鳥を見ながら、日本の鳥インフルエンザをあれこれ考えたりしたが。仕事を普通にして、そして帰社。徒歩で帰宅し、夕飯を食べて今に至る。
鳥インフルエンザ。日本で断ち切る努力は支持するけれど、渡り鳥によって感染する限り、他国と連携して対処しない限り解決しないだろう。感染を発生させてしまった養鶏場はテロにあったようなものだろうなと思う。殺傷処分後にリカバリーできる公的補助はあるのだろうか。その辺りの報道があってもいいように思うのだけど。
朝普通に起きて、徒歩出勤。飛び交う野鳥を見ながら、日本の鳥インフルエンザをあれこれ考えたりしたが。仕事を普通にして、そして帰社。徒歩で帰宅し、夕飯を食べて今に至る。
鳥インフルエンザ。日本で断ち切る努力は支持するけれど、渡り鳥によって感染する限り、他国と連携して対処しない限り解決しないだろう。感染を発生させてしまった養鶏場はテロにあったようなものだろうなと思う。殺傷処分後にリカバリーできる公的補助はあるのだろうか。その辺りの報道があってもいいように思うのだけど。
2011年1月24日月曜日
2011年1月23日日曜日
脈略無し
雨が降ったり止んだりの一日。
朝起きて一番。気分が重くなった。喜味こいしさんが亡くなった。いとし、こいしの漫才は好きだった。これでお二人が居なくなった。ああいう品があって、知的な漫才は風化されてしまうのかなぁ。。。
その後、再度布団に潜り込んでテレビを付けてみると都道府県別男子駅伝をやっていた。先週は女子駅伝だったが。男子駅伝をぼんやり見ながら、ユニフォームに個性が無いためか、混戦模様だとどこの都道府県なのかなどが一見して解り難い。どうせなら、背中に幟そこに旗印を付けて走ったらどうか。そこにはお国自慢を掲載してそれぞれの都道府県をPRする。各区間、掲載項目は自由。そうすればそれ相応の地方PRができるのではないか。一見してのどこかの区別が出来、地方PRができる一石二鳥。「餃子の栃木いいですねぇ。。。そう言えば日光東照宮派手ですよね。なんと干瓢が伝来して300年らしいですよ今年は」とか。一見してのどこかの区別と地方PRができる一石二鳥。ゴール地点に地方のゆるキャラが勢揃いしていたようだが、単体がそれぞれ地方にいれば力を発揮できるだろうが、ゴール地点に勢揃いして中途半端に披露しても地方PRになるとは思えない(ゆるキャラを日の目にした みうらじゅん がゆるキャラにスポットをあてた当時、地方の公務員は「ゆるキャラ」という括りに大概否定的で対応が冷たかったらしい。それに日の目が当たれば現在のように。。。)。幟。良い案だと思うがトップアスリートがそれを背中に走ってくれるかは知らないが。。。
その後、日本の時計文化に関するテレビ番組を見る。時計技術の進化は学ぶこと多かったが、江戸時代では日の出、日の入りが時間の中心にあって、日の出、日の入りから刻を決めている。その刻(時間)は夏と冬で異なることが面白かった。それを自動で調整して刻を刻む万年時計を発明した田中久重には大変興味が湧いた。田中氏はからくり人形をの弓曳童子を作った人でもある。
高橋秀実「からくり民主主義(新潮文庫)」読了。紋切り型の解答なんてない。マスコミ報道が全て真実ではない。等々、感じられて面白かった。気になる方はどうぞ読んで下さい。「痩せれば美人」「はい、泳げません」も読み易いし、苦笑させられます。こちらもおすすめ。
前方開脚が後少しで尻が床に付くところまできた。日々の努力の結果か。最近、妙に股関節周りが柔らかく、稼働域が広い。歩く時の足の動きがまるで摩擦の無い振り子のよう。股関節を支点にして脳が意図する以上に動く感じである。
「江」を見ていて織田信長の安土城にあった屏風の世界地図。ここに赤道が記されていた。大航海時代を経て、赤道つまり緯度0度は認識されていたのだろうか。それもあんなに正確にアフリカや南米大陸等々のどこを赤道が通過しているのか当時解っていたのだろうか。気になる。
と脈略なしの日曜日。記述を読み返してみて、カナダで生活している気配がまるで無い。あったとしたら、今日も雨がちだったことを確認しただけか。
朝起きて一番。気分が重くなった。喜味こいしさんが亡くなった。いとし、こいしの漫才は好きだった。これでお二人が居なくなった。ああいう品があって、知的な漫才は風化されてしまうのかなぁ。。。
その後、再度布団に潜り込んでテレビを付けてみると都道府県別男子駅伝をやっていた。先週は女子駅伝だったが。男子駅伝をぼんやり見ながら、ユニフォームに個性が無いためか、混戦模様だとどこの都道府県なのかなどが一見して解り難い。どうせなら、背中に幟そこに旗印を付けて走ったらどうか。そこにはお国自慢を掲載してそれぞれの都道府県をPRする。各区間、掲載項目は自由。そうすればそれ相応の地方PRができるのではないか。一見してのどこかの区別が出来、地方PRができる一石二鳥。「餃子の栃木いいですねぇ。。。そう言えば日光東照宮派手ですよね。なんと干瓢が伝来して300年らしいですよ今年は」とか。一見してのどこかの区別と地方PRができる一石二鳥。ゴール地点に地方のゆるキャラが勢揃いしていたようだが、単体がそれぞれ地方にいれば力を発揮できるだろうが、ゴール地点に勢揃いして中途半端に披露しても地方PRになるとは思えない(ゆるキャラを日の目にした みうらじゅん がゆるキャラにスポットをあてた当時、地方の公務員は「ゆるキャラ」という括りに大概否定的で対応が冷たかったらしい。それに日の目が当たれば現在のように。。。)。幟。良い案だと思うがトップアスリートがそれを背中に走ってくれるかは知らないが。。。
その後、日本の時計文化に関するテレビ番組を見る。時計技術の進化は学ぶこと多かったが、江戸時代では日の出、日の入りが時間の中心にあって、日の出、日の入りから刻を決めている。その刻(時間)は夏と冬で異なることが面白かった。それを自動で調整して刻を刻む万年時計を発明した田中久重には大変興味が湧いた。田中氏はからくり人形をの弓曳童子を作った人でもある。
高橋秀実「からくり民主主義(新潮文庫)」読了。紋切り型の解答なんてない。マスコミ報道が全て真実ではない。等々、感じられて面白かった。気になる方はどうぞ読んで下さい。「痩せれば美人」「はい、泳げません」も読み易いし、苦笑させられます。こちらもおすすめ。
前方開脚が後少しで尻が床に付くところまできた。日々の努力の結果か。最近、妙に股関節周りが柔らかく、稼働域が広い。歩く時の足の動きがまるで摩擦の無い振り子のよう。股関節を支点にして脳が意図する以上に動く感じである。
「江」を見ていて織田信長の安土城にあった屏風の世界地図。ここに赤道が記されていた。大航海時代を経て、赤道つまり緯度0度は認識されていたのだろうか。それもあんなに正確にアフリカや南米大陸等々のどこを赤道が通過しているのか当時解っていたのだろうか。気になる。
と脈略なしの日曜日。記述を読み返してみて、カナダで生活している気配がまるで無い。あったとしたら、今日も雨がちだったことを確認しただけか。
2011年1月22日土曜日
自由な土曜日
予定は無い。自由な時間だ。ヨーガを心赴くままし、眠くなって一度昼寝(といっても二度寝に近いが)して、風呂に入って森達也の「世界が完全に思考停止する前に(角川文庫)」を読む。読み始めたら止まらなくなって、3時間弱風呂に浸かっていた。足の裏はフニャフニャになっていたが、頭の方はピリッとしたかなぁ。
晩飯。冷凍庫に余っていた何時のか解らないミンチ肉を発見。それで肉団子を作って白菜と鍋にしてみた。思いつきだったけどそこそこ美味かった。肉団子の前処理でもう少し味付けを考えたらもっと美味かっただろう。けど、満足だった。自分で作るご飯(おかず)は、構想する段階で自分の身体が欲しているもの、もしくは、好きな物、味覚を考慮している。したがって、大抵間違いなく美味いと思える。それは、身体が欲しているものを取ったからこそそう思えているのかもしれない。魯山人はその時に欲しているものを食べるということは、身体がそれを求めていることだと言っていた気がする。
本を読んで、ヨーガして、好きなものを食べてという楽しい土曜日だった。かなぁ。。。
晩飯。冷凍庫に余っていた何時のか解らないミンチ肉を発見。それで肉団子を作って白菜と鍋にしてみた。思いつきだったけどそこそこ美味かった。肉団子の前処理でもう少し味付けを考えたらもっと美味かっただろう。けど、満足だった。自分で作るご飯(おかず)は、構想する段階で自分の身体が欲しているもの、もしくは、好きな物、味覚を考慮している。したがって、大抵間違いなく美味いと思える。それは、身体が欲しているものを取ったからこそそう思えているのかもしれない。魯山人はその時に欲しているものを食べるということは、身体がそれを求めていることだと言っていた気がする。
本を読んで、ヨーガして、好きなものを食べてという楽しい土曜日だった。かなぁ。。。
三歩進んで二歩下がる
帰り道、死んだネズミを発見し、生きた茶色の野うさぎに遭遇した後、不意に時計を眺めて気づく。あ、こっちにきて3年目突入。時間の流れは早い。内面は毎日鈍牛のようで前進しているのか、停滞しているのかわからないが、時間は待ってくれずここまできてしまった。あらら とも もう とも付かない言葉が脳裏に浮かぶ。これからも 「三歩進んで二歩下がる」程度にとぼとぼと前に進んで行きたい。そうすりゃ前には進めるさ。
2年修了記念と称してささやかにビールで乾杯。今日の手作り料理はホーレン草にピクルス、ビーツ、ゆで卵をみじん切りを振り掛けた最近良くするしたサラダのみ。ビールは程々にして身体が怠いので9時には布団で寝た。こういうショボイ感じが今の自分の身の丈に合っている。
そして、こんな時間に起きて間寛平のアースマラソンゴールのニュースを見る。約2年1ヶ月を費やしたとある。私のここビクトリアに来た時期とほぼ同じ頃にスタートしていたのだな。凄いなと薄っぺらい言葉が浮かぶ。自分のゴールは何時なのだろうか、そして、地球は丸いんだななど考える。走る速度で世界一周して見えた景色はとても敏感に感じられたのだろうな。
41000キロ走破。毎日5kを約23年歩くか走ればその距離に到達する。ということは、多くの人々は一生でその位の距離を歩いて(走って)しまってているのだろう。知らぬ間に。
2年修了記念と称してささやかにビールで乾杯。今日の手作り料理はホーレン草にピクルス、ビーツ、ゆで卵をみじん切りを振り掛けた最近良くするしたサラダのみ。ビールは程々にして身体が怠いので9時には布団で寝た。こういうショボイ感じが今の自分の身の丈に合っている。
そして、こんな時間に起きて間寛平のアースマラソンゴールのニュースを見る。約2年1ヶ月を費やしたとある。私のここビクトリアに来た時期とほぼ同じ頃にスタートしていたのだな。凄いなと薄っぺらい言葉が浮かぶ。自分のゴールは何時なのだろうか、そして、地球は丸いんだななど考える。走る速度で世界一周して見えた景色はとても敏感に感じられたのだろうな。
41000キロ走破。毎日5kを約23年歩くか走ればその距離に到達する。ということは、多くの人々は一生でその位の距離を歩いて(走って)しまってているのだろう。知らぬ間に。
2011年1月20日木曜日
気
霧雨に近い小雨。傘もささずにとぼとぼと通勤。通勤にあてる30分の道のりは、一日の中であれこれ一番充実している時間だといっても過言でない。ビクトリアにきて一番好きな雰囲気である。外気に触れて、景色を眺めて、木々で季節を感じ、潮を見て月と時間を実感する。徒歩の速度は見て感じるには一番いいのだろう。なんとも豊な時間だ。年末年始から現代思想とか哲学など無縁であった本を読んできたお陰で、この単なる通勤のための短い道程で様々な事象をあれこれ考えている「ふり」になれており、ここの所は眉間にしわを寄せながら時々立ち止まっては思いに耽る。ということはないが、してみたい。
帰り道、近くの美容室のガラスの向こうから気を感じ、振り向く。そしたら、従業員の男性と思われる人が塵取りで集めたゴミをゴミ箱に身体を屈めながら捨てていた。頭頂部が私方向に向いており、眺めると禿げていた。頭頂部以外は20cm程のパーマ気味の金髪で覆われているのだが。カッパ。アルシンド。不意をつかれた。一瞬の出来事であったが、ガラス越しからの気は凄まじかった。故に私はその一瞬を逃さなかった。軌跡とも言えるが、身体が反応していた。それにしても、美容室従業員ということを考えるとその髪型でいいのかとの疑問も浮かぶ。夢が無い。しかし、現実を見せているとも言えるか。
夕飯を作ることが面倒で今日は隣のスーパーでサンドウィッチを買って食べる。本当は醤油ラーメンが無性に食べたかった。全く異なる選択。しかたがないので、\ネットで実家周辺の美味いとされるラーメン屋を探して、その写真を見て我慢。一度も行った事はないので何時かの機会に是非行ってみたい。
帰り道、近くの美容室のガラスの向こうから気を感じ、振り向く。そしたら、従業員の男性と思われる人が塵取りで集めたゴミをゴミ箱に身体を屈めながら捨てていた。頭頂部が私方向に向いており、眺めると禿げていた。頭頂部以外は20cm程のパーマ気味の金髪で覆われているのだが。カッパ。アルシンド。不意をつかれた。一瞬の出来事であったが、ガラス越しからの気は凄まじかった。故に私はその一瞬を逃さなかった。軌跡とも言えるが、身体が反応していた。それにしても、美容室従業員ということを考えるとその髪型でいいのかとの疑問も浮かぶ。夢が無い。しかし、現実を見せているとも言えるか。
夕飯を作ることが面倒で今日は隣のスーパーでサンドウィッチを買って食べる。本当は醤油ラーメンが無性に食べたかった。全く異なる選択。しかたがないので、\ネットで実家周辺の美味いとされるラーメン屋を探して、その写真を見て我慢。一度も行った事はないので何時かの機会に是非行ってみたい。
2011年1月19日水曜日
2011年1月18日火曜日
自分のことなんてわからない
日の入りの時間が着実に長くなっていると帰宅時に感じた。東空にはほぼ満月の月が地平線からそれ程高く無い角度に輝き、その周りには綿菓子のような断片的な雲が並んでいた。輝く月の周りには薄らと円状の輪が懸かっていた。
どうも睡眠が浅い。夢ばかり見る。そして、その夢はあまり良い夢では無く、その物語の頂点で起きる。それが断続的に続き1時間程度で起きてしまう。最近の学習で起きた後、再び眠りに着くということはできるが睡眠がとぎれとぎれなのはどうも身体に疲れが残る。嫌な感じだ。
夕飯は三枚肉をトマトとタマネギで煮てみた。その中にカレースパイスを加えてアクセント。身体がトマトの酸味を欲していた。また、サラダが食べたかったのでほうれん草、マッシュルーム、ピクルス、ゆで卵のざく切りを加えて、冷蔵庫に眠っていたドレッシングを少々加えて完成。どちらも、身体が欲していたので美味い。身体の言う事は正しいような気がする。直感って身体が感じることなのか。などと思う。頭で考えるとバイアスが懸かるので身体の言う事は意外と正しいかもしれない。睡眠はとぎれとぎれ。でも、食には敏感な身体。なんなんだよ。自分。わからない。
卯年でペット兎の流行に比例して野に放たれる兎が多くなっているらしい。卯年の自分は身染み入る報道である。兎。飼うの難しいだろうよ。。。
白鵬独走。。。
どうも睡眠が浅い。夢ばかり見る。そして、その夢はあまり良い夢では無く、その物語の頂点で起きる。それが断続的に続き1時間程度で起きてしまう。最近の学習で起きた後、再び眠りに着くということはできるが睡眠がとぎれとぎれなのはどうも身体に疲れが残る。嫌な感じだ。
夕飯は三枚肉をトマトとタマネギで煮てみた。その中にカレースパイスを加えてアクセント。身体がトマトの酸味を欲していた。また、サラダが食べたかったのでほうれん草、マッシュルーム、ピクルス、ゆで卵のざく切りを加えて、冷蔵庫に眠っていたドレッシングを少々加えて完成。どちらも、身体が欲していたので美味い。身体の言う事は正しいような気がする。直感って身体が感じることなのか。などと思う。頭で考えるとバイアスが懸かるので身体の言う事は意外と正しいかもしれない。睡眠はとぎれとぎれ。でも、食には敏感な身体。なんなんだよ。自分。わからない。
卯年でペット兎の流行に比例して野に放たれる兎が多くなっているらしい。卯年の自分は身染み入る報道である。兎。飼うの難しいだろうよ。。。
白鵬独走。。。
2011年1月17日月曜日
一生涯の満足とは
最近の日記を見るといかに家に閉じ籠っているかが良くわかる。平日は会社との往復以外は外に出ず、週末は散歩程度。ただし、雨が降っていなければという限定付きである。先日の土曜は車にのって寄り道をしたが。基本的に寝クラ、出不精な性格なので用が無ければこういう生活様式に落ち着いてしまう。特に雨の多い秋冬は。
読みたい本が幸いにして目の前にあるので、外に出なくても時間は浪費しない。ところで、残りの人生で何冊位読めるのだろうか。平均寿命まで全うできれば、残り40年程度。一週間に1冊として年間48冊。40年で1920冊。再読無しの条件付きで新しい本に出会えるのはこれしかないか。そう考えると一回一回の読書時間は貴重だ。
閉じこもり生活で言えたものでは無いが、人の出会いも、新しい経験も有限である。こういう性格ゆえに一回一回が大事だと真面目で真っ当なことを考えながら、ふと、死ぬまでに一度も触ることのない表面上の身体部位はあるのかとか、一生出てこない宿便ってあるのか、などどうでもいいことまで徒歩中にトボトボと考えたりもした。
Yahooで都道府県特集みたいなものが出ていたので見てしまった。静岡県人男性は「優柔不断でおっとり」だそうだ。自分にあてはまるかどうか。自分はどうでもいいこと、些細なことは、即断即決である。が、肝心な事に関しては優柔不断。流され易いことは否めない。裏県民性テストなるものもしたところ宮崎県人だそうだ。遠州弁検定なるものもしたが、落第だそうだ。こんなことをしている間に読める本の冊数は目減りしていくのだろう。
大野更紗「困っているひと」更新。www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html
先号は何度も途中で読むのを止めてしまい、読了なかなかできなかった。数日かかった。今回は1度で読了するも暗くなる。最近話題の草の根のタイガーマスク現象。現象というものは瞬間最大風速的に一過性のものとも言える。弱者を支えるシステムは行政に頼らざるを得ないと思う。医療費削減の流れで長期入院ができない(難い)こと、それが難病患者にも例外無く適応されていること。。。所属する自治体の財政で補助がこれほどまでに依存してしまうものなのか。これを読むまで全く知らなかった。健康でいるうちは他人事と考えがちだが、現実にこのような実態がある。難病は否応無く振られたサイコロで誰にも起こる可能性があることを考えれば、今のシステムが最善の選択かをより深く考える必要がありそうだ。
読みたい本が幸いにして目の前にあるので、外に出なくても時間は浪費しない。ところで、残りの人生で何冊位読めるのだろうか。平均寿命まで全うできれば、残り40年程度。一週間に1冊として年間48冊。40年で1920冊。再読無しの条件付きで新しい本に出会えるのはこれしかないか。そう考えると一回一回の読書時間は貴重だ。
閉じこもり生活で言えたものでは無いが、人の出会いも、新しい経験も有限である。こういう性格ゆえに一回一回が大事だと真面目で真っ当なことを考えながら、ふと、死ぬまでに一度も触ることのない表面上の身体部位はあるのかとか、一生出てこない宿便ってあるのか、などどうでもいいことまで徒歩中にトボトボと考えたりもした。
Yahooで都道府県特集みたいなものが出ていたので見てしまった。静岡県人男性は「優柔不断でおっとり」だそうだ。自分にあてはまるかどうか。自分はどうでもいいこと、些細なことは、即断即決である。が、肝心な事に関しては優柔不断。流され易いことは否めない。裏県民性テストなるものもしたところ宮崎県人だそうだ。遠州弁検定なるものもしたが、落第だそうだ。こんなことをしている間に読める本の冊数は目減りしていくのだろう。
大野更紗「困っているひと」更新。www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html
先号は何度も途中で読むのを止めてしまい、読了なかなかできなかった。数日かかった。今回は1度で読了するも暗くなる。最近話題の草の根のタイガーマスク現象。現象というものは瞬間最大風速的に一過性のものとも言える。弱者を支えるシステムは行政に頼らざるを得ないと思う。医療費削減の流れで長期入院ができない(難い)こと、それが難病患者にも例外無く適応されていること。。。所属する自治体の財政で補助がこれほどまでに依存してしまうものなのか。これを読むまで全く知らなかった。健康でいるうちは他人事と考えがちだが、現実にこのような実態がある。難病は否応無く振られたサイコロで誰にも起こる可能性があることを考えれば、今のシステムが最善の選択かをより深く考える必要がありそうだ。
2011年1月16日日曜日
ゴールデングローブを見ながら
ゴールデングローブの授賞式をテレビでやっていた。テレビも映画も殆ど見ていない状況なのでノミネート作を全く知らない。だが、その雰囲気や受賞者のユーモア溢れるコメントを見聞するべくテレビを流した。きらきらと輝く人々、会場の雰囲気が鮮烈に感じられる画面。だけど、受賞することへの名誉とか、受賞できなかったことへの悔しさというのも感じられ飽きない。見ていて好きなのは、へそ曲がりだが、受賞発表直後の受賞出来なかった人の表情。人それぞれ。悔しさを押し殺して笑顔の人、その悔しさを素直に表している感じの人。どちらも人間的だ。それを垣間見、その心境を想像するのが好きだ。本当にへそ曲がりだ。
冷凍庫に随分前にcostcoで買ったニジマスの三枚おろしが残り物としてあったので解凍し、それをタマネギ、ネギを大量に盛り添えて、少々ニンニクを入れて、味噌仕立てでオーブンにてホイル焼き。ニジマスの臭みは薬味とも言える脇役によって無視でき、味噌が芳香で美味かった。そして、冷蔵庫に残っていた白菜とマグロの水煮(シーチキン)を出し醤油で炊いた。こちらは、実家でよく食べた代物。慣れ親しんだ味は美味い。美味い美味いと独り言をしながらビールを飲んだ。美味い肴でビールが進む。相乗効果。でも、程々に。今日の肴はここ数ヶ月自分で作った中で一番でなかったか。
シルベスタ•スタローンがプレゼンターとしてステージに立っていたが、ロボットのように直立硬直して首しか動きがなかった。人間的な柔らかさが無いのに驚いたのは私だけか。男性は黒のスーツに蝶ネクタイ姿がとても多い。ただ、見る限り微妙に形状が異なっていた。蝶ネクタイ一生のうちですることがあるだろうか。
冷凍庫に随分前にcostcoで買ったニジマスの三枚おろしが残り物としてあったので解凍し、それをタマネギ、ネギを大量に盛り添えて、少々ニンニクを入れて、味噌仕立てでオーブンにてホイル焼き。ニジマスの臭みは薬味とも言える脇役によって無視でき、味噌が芳香で美味かった。そして、冷蔵庫に残っていた白菜とマグロの水煮(シーチキン)を出し醤油で炊いた。こちらは、実家でよく食べた代物。慣れ親しんだ味は美味い。美味い美味いと独り言をしながらビールを飲んだ。美味い肴でビールが進む。相乗効果。でも、程々に。今日の肴はここ数ヶ月自分で作った中で一番でなかったか。
シルベスタ•スタローンがプレゼンターとしてステージに立っていたが、ロボットのように直立硬直して首しか動きがなかった。人間的な柔らかさが無いのに驚いたのは私だけか。男性は黒のスーツに蝶ネクタイ姿がとても多い。ただ、見る限り微妙に形状が異なっていた。蝶ネクタイ一生のうちですることがあるだろうか。
暖かく、温かく
緯度の高いこちらの方が、暖かいと言われる我が実家よりも暖かいという状況である。
南半球のオーストラリア、ブラジルでは大雨だという。それぞれ、共通してペルー沖の表層海水温が平年よりも低いラニーニャが原因との記述を良く見るが、あくまでもそれは一つの要因であって大気海洋の気象、気候現象は複雑だろうと容易に推測できる。長期予報がの正確性が低いのはそれを示唆する。一方で、ラニーニャと聞き流せばそれまでだが、エルニーニョ/ラニーニャ現象自身のメカニズムすら難解である(現在までにわかっていることで概論的に説明することはできても)こと、そして、海が気象、気候に深く関与し、多大な影響を与えていることは既知だが、その詳細については解明されてはいない。
インターネットで日本のニュースを眺めている。内閣改造があったらしい。支持率が上がらないらしい。こういう時にマスコミが生き生きして見えるのは何故か。ニュースの視聴率が上がるから。新聞が売れるからか。政権や政権が交代した、内閣改造したからといってそんな簡単に大きく変化が起きるとは思えない。それは、今の政治が過去の政治を背負っているから。そういう意味で、内閣が替わっても大差ないと私は思う。
だけど、支持率。内閣の顔ぶれ見ただけで支持、不支持って一般国民が判断できるのだろうか。僕は内閣に入った一人一人のことなんて何も知らない。過去に何をしてきた人かも知らない。だから、その人達が仕事する前に支持、不支持、良い、駄目だなんてとても言えない。それよりも、頑張って下さい。と言って暫く黙って見ていたい。
政治に関して報道を見ると、内政も外交もあたかも正解があってそれに進めばいいように書かれているように思える。しかし、政治は気象、気候現象と一緒で大変複雑な代物で、時々刻々と変化する。そんなものに一つだけの答えなど無いのではないかと思う。政治とはその時点で考えられ得る最も正しそうなことを選択していくことではないのか。だから、これが正解だというような報道には疑心し、記事を全て読むことができない近頃の私である。報道が政治を歪めている、弱めている可能性は無いか。支持率よりもそのことが気になる。支持率が高い政治が長い目で見て良い事なのか。支持率が高かった首相が素晴らしい贈り物を後世に残しているのか。例としては、子ブッシュは911後に支持率が9割を超していたがー。
暇に任せて抽象的で大雑把なことをあれこれ書いてしまった。言いたい事は何だったんだ。書いたことを今になって猛省しているが、まぁいいか。
外を眺めれば虹。テレビをつければ相撲。白鵬21連勝に伸ばす。解説、元 千代大海、現 佐ノ山親方。リーゼントにスーツで怖い世界の人に見える。その横、元 栃東。玉ノ井親方。少し痩せた感じ。子分に見える。
南半球のオーストラリア、ブラジルでは大雨だという。それぞれ、共通してペルー沖の表層海水温が平年よりも低いラニーニャが原因との記述を良く見るが、あくまでもそれは一つの要因であって大気海洋の気象、気候現象は複雑だろうと容易に推測できる。長期予報がの正確性が低いのはそれを示唆する。一方で、ラニーニャと聞き流せばそれまでだが、エルニーニョ/ラニーニャ現象自身のメカニズムすら難解である(現在までにわかっていることで概論的に説明することはできても)こと、そして、海が気象、気候に深く関与し、多大な影響を与えていることは既知だが、その詳細については解明されてはいない。
インターネットで日本のニュースを眺めている。内閣改造があったらしい。支持率が上がらないらしい。こういう時にマスコミが生き生きして見えるのは何故か。ニュースの視聴率が上がるから。新聞が売れるからか。政権や政権が交代した、内閣改造したからといってそんな簡単に大きく変化が起きるとは思えない。それは、今の政治が過去の政治を背負っているから。そういう意味で、内閣が替わっても大差ないと私は思う。
だけど、支持率。内閣の顔ぶれ見ただけで支持、不支持って一般国民が判断できるのだろうか。僕は内閣に入った一人一人のことなんて何も知らない。過去に何をしてきた人かも知らない。だから、その人達が仕事する前に支持、不支持、良い、駄目だなんてとても言えない。それよりも、頑張って下さい。と言って暫く黙って見ていたい。
政治に関して報道を見ると、内政も外交もあたかも正解があってそれに進めばいいように書かれているように思える。しかし、政治は気象、気候現象と一緒で大変複雑な代物で、時々刻々と変化する。そんなものに一つだけの答えなど無いのではないかと思う。政治とはその時点で考えられ得る最も正しそうなことを選択していくことではないのか。だから、これが正解だというような報道には疑心し、記事を全て読むことができない近頃の私である。報道が政治を歪めている、弱めている可能性は無いか。支持率よりもそのことが気になる。支持率が高い政治が長い目で見て良い事なのか。支持率が高かった首相が素晴らしい贈り物を後世に残しているのか。例としては、子ブッシュは911後に支持率が9割を超していたがー。
暇に任せて抽象的で大雑把なことをあれこれ書いてしまった。言いたい事は何だったんだ。書いたことを今になって猛省しているが、まぁいいか。
外を眺めれば虹。テレビをつければ相撲。白鵬21連勝に伸ばす。解説、元 千代大海、現 佐ノ山親方。リーゼントにスーツで怖い世界の人に見える。その横、元 栃東。玉ノ井親方。少し痩せた感じ。子分に見える。
2011年1月15日土曜日
迷い
用があって車で遠出。といっても片道30分。帰り、普通では通らない道を使う。どこに繋がるかは知らない道。といっても、ここは所詮島の小さな地域。そして、普通では片道30分の距離間である。でも、途中この先行き止まりがあったり、見た事がなかった景色も有り。心地良い緊張感と小さいながらも感動があって良かった。結局帰りは一時間半。そのうち20分位は食料買い出しだった。時間に余裕のある休日だけにこんなことができるわけであることを前提にするが、迷うことが楽しかった。全く方向感覚の無い迷いではなかったからとも言えるが、迷うというのもたまにはいいのかもしれない。それは、道路だけでは無く。
ルーチンの一日
今日は仕事して、帰って、夕飯食べて、寝ました。終わり。というごくありふれた一日。
身体を動かすことが億劫になりがちな冬。新年に入って数日はさぼっていたヨガも今週に入ってからは起床後、それなりに時間をかけてしている。起床−出勤までの流れで自分にとって身体のキレを最善にもたらすパターンは、水をコップ一杯飲んだ後、読書しながらぬるめの風呂に長めに入り、歯を磨いて、ヨガして、軽く朝飯食べて、再度、歯を磨いて、歩いて出勤というもの。そうすると、座った直後から全知全能が発揮されて仕事が流れるように進み、一日中良い発想が溢れ出し、最善の方針決定を選択できるということは断じてない。だって、知と脳がスカスカなんだから。
しかし、椅子に座ってパソコンの電源を入れて、起動を待つまでの間、目の前の窓から見える空などみながら、あー今日もいい一日だったなと思えるのだ。って、朝の出勤間際で一日が終わってるがな。
開脚前屈をしていたら、股関節からカツカツカツともキンキンキンともいうような筋が延びる音がした。入門したての相撲取りが股割でブチって音がするってやつの手前の現象か。聞くにブチってやると暫く歩けないというからどこかの腱を切ってしまっているのだろう。そんなことはしたくはない。カツカツ音がした今日の私はイタ気持ちいい所で前屈をやめるのであった。それでも呼吸しながら前屈を続けていると段々重力に逆らわず前屈が深くなって行く。「伸びる」ってこういうことなんだなと実感できる瞬間である。遠い将来に股割しながらべたっと胸と床がつくというところまで行ってみたいと思っているのだが。
夜、テレビをつけたら相撲をやっていた。全然面白くない。素人目からしても取り組みがお粗末。どんといってばたん。しっかりせんかい。途中で腹立ってテレビを消した。あれじゃ客入らんわい。白鵬が強いのか、他が弱いのか。白鵬の連勝も輝かないではないか。
息子と嫁さんから豪雪だとの便り。雪かき、息子の雪遊びの知らせが入る。その写真付きテキストを見ながら寂しいような悔しいような。こう書くと、まるで自分が出稼ぎしているようだ。お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶったイカでいい。。。
身体を動かすことが億劫になりがちな冬。新年に入って数日はさぼっていたヨガも今週に入ってからは起床後、それなりに時間をかけてしている。起床−出勤までの流れで自分にとって身体のキレを最善にもたらすパターンは、水をコップ一杯飲んだ後、読書しながらぬるめの風呂に長めに入り、歯を磨いて、ヨガして、軽く朝飯食べて、再度、歯を磨いて、歩いて出勤というもの。そうすると、座った直後から全知全能が発揮されて仕事が流れるように進み、一日中良い発想が溢れ出し、最善の方針決定を選択できるということは断じてない。だって、知と脳がスカスカなんだから。
しかし、椅子に座ってパソコンの電源を入れて、起動を待つまでの間、目の前の窓から見える空などみながら、あー今日もいい一日だったなと思えるのだ。って、朝の出勤間際で一日が終わってるがな。
開脚前屈をしていたら、股関節からカツカツカツともキンキンキンともいうような筋が延びる音がした。入門したての相撲取りが股割でブチって音がするってやつの手前の現象か。聞くにブチってやると暫く歩けないというからどこかの腱を切ってしまっているのだろう。そんなことはしたくはない。カツカツ音がした今日の私はイタ気持ちいい所で前屈をやめるのであった。それでも呼吸しながら前屈を続けていると段々重力に逆らわず前屈が深くなって行く。「伸びる」ってこういうことなんだなと実感できる瞬間である。遠い将来に股割しながらべたっと胸と床がつくというところまで行ってみたいと思っているのだが。
夜、テレビをつけたら相撲をやっていた。全然面白くない。素人目からしても取り組みがお粗末。どんといってばたん。しっかりせんかい。途中で腹立ってテレビを消した。あれじゃ客入らんわい。白鵬が強いのか、他が弱いのか。白鵬の連勝も輝かないではないか。
息子と嫁さんから豪雪だとの便り。雪かき、息子の雪遊びの知らせが入る。その写真付きテキストを見ながら寂しいような悔しいような。こう書くと、まるで自分が出稼ぎしているようだ。お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶったイカでいい。。。
2011年1月13日木曜日
熱燗、脳と身体
昨晩、「鉄板焼き」が日本食であることを知った。日本食レストランにて。
ご相伴に預かって日本酒の熱燗を頂く。ビール好きを自称しているが、熱燗は飲めるぞ。と正月、実家で密やかに思っていたのだが、昨晩も美味いなと率直に思ってしまった。米と日本人の歴史から言えば当然か。ビールの苦みと対極にあのほのかな甘さと辛さ。角が無いというべきか。単純に自分の胃が痛んでいるだけなのかもしれないが、熱燗の日本酒は暖かみのある記憶となった。って、胃が痛んでいるのに酒を飲んでいていいのか??? おつきあい程度ですけどね。
睡眠サイクルが乱れていたのだが、昨晩は朝3時前に目覚めるものの、ここで負けちゃいかんと深呼吸をした後、身体全体の力を抜いて、よだれを垂らすかと思う程、口元の力まで抜いたらいつの間にか寝られた。時差ボケと言い訳して眠れない日々を誤摩化す日々であったが、結局、起きてしまった後に、あれこれ考えすぎているのだ。「これは時差ボケて起きたのだ」と思い込み、そして、「あーあれがさー」「あーこれがさー」とか思い浮かんでは、何も結論が出ないのに、寝返りうちながら右往左往しているのが眠れぬ理由なのだ。
眠れない理由は、邪念が全てだったかもしれない。眠りに集中するというのではない、それこそ、「無」になるということが昨晩の結果かもしれない。頭で無になろうと積極的に働きかけても駄目で、布団の上で思うがままの姿勢になって、手足が繋がる関節の力みを抜いて、体重を設置部分均等に布団にべたっと凭れかけると意識が彼方に行った気がした。とすれば、「無」というのは「脳」で制御するのでは無く、身体で行うものか。否、身体の制御は、脳が前もって行うものであるから、身体のスイッチをオフにするようなことかもしれない脱力を脳が制御、達成することで初めて、脳が「無」になれるのか。脳と身体は繋がっている。繋がっているからこそ、脳に制御された身体が脳をさらに制御し、心身を揺り動かす、そして、沈めるのではないか。
ご相伴に預かって日本酒の熱燗を頂く。ビール好きを自称しているが、熱燗は飲めるぞ。と正月、実家で密やかに思っていたのだが、昨晩も美味いなと率直に思ってしまった。米と日本人の歴史から言えば当然か。ビールの苦みと対極にあのほのかな甘さと辛さ。角が無いというべきか。単純に自分の胃が痛んでいるだけなのかもしれないが、熱燗の日本酒は暖かみのある記憶となった。って、胃が痛んでいるのに酒を飲んでいていいのか??? おつきあい程度ですけどね。
睡眠サイクルが乱れていたのだが、昨晩は朝3時前に目覚めるものの、ここで負けちゃいかんと深呼吸をした後、身体全体の力を抜いて、よだれを垂らすかと思う程、口元の力まで抜いたらいつの間にか寝られた。時差ボケと言い訳して眠れない日々を誤摩化す日々であったが、結局、起きてしまった後に、あれこれ考えすぎているのだ。「これは時差ボケて起きたのだ」と思い込み、そして、「あーあれがさー」「あーこれがさー」とか思い浮かんでは、何も結論が出ないのに、寝返りうちながら右往左往しているのが眠れぬ理由なのだ。
眠れない理由は、邪念が全てだったかもしれない。眠りに集中するというのではない、それこそ、「無」になるということが昨晩の結果かもしれない。頭で無になろうと積極的に働きかけても駄目で、布団の上で思うがままの姿勢になって、手足が繋がる関節の力みを抜いて、体重を設置部分均等に布団にべたっと凭れかけると意識が彼方に行った気がした。とすれば、「無」というのは「脳」で制御するのでは無く、身体で行うものか。否、身体の制御は、脳が前もって行うものであるから、身体のスイッチをオフにするようなことかもしれない脱力を脳が制御、達成することで初めて、脳が「無」になれるのか。脳と身体は繋がっている。繋がっているからこそ、脳に制御された身体が脳をさらに制御し、心身を揺り動かす、そして、沈めるのではないか。
2011年1月12日水曜日
所変われば
昨夕から朝にかけて雪だった。家付近では後半雨に変わっていたため、朝起きた時に窓から見えるのは何時もの濡れた街の風景。
午後、お客さんが来訪し、そのお出迎えに空港に行ったのだが、北進するにつれて雪景色が増す。道路脇には泥まじりでグチャグチャになった雪。そして、人、車通りの少ない道路には薄らと雪が被ったまま。運転しているのはノーマルタイアの2輪駆動車。嫌な予感がする。雪が残っていればスリップ。。。が、空港までの道程は車の通りが激しく路面に雪は残っていなかった。それでも、慎重に慎重を期した安全運転。
雪が積もるのは珍しい土地柄。南で雪が積もっていなくとも、車を20分も走らせば状況は全くことなるということを思い知らされたのであった。
午後、お客さんが来訪し、そのお出迎えに空港に行ったのだが、北進するにつれて雪景色が増す。道路脇には泥まじりでグチャグチャになった雪。そして、人、車通りの少ない道路には薄らと雪が被ったまま。運転しているのはノーマルタイアの2輪駆動車。嫌な予感がする。雪が残っていればスリップ。。。が、空港までの道程は車の通りが激しく路面に雪は残っていなかった。それでも、慎重に慎重を期した安全運転。
雪が積もるのは珍しい土地柄。南で雪が積もっていなくとも、車を20分も走らせば状況は全くことなるということを思い知らされたのであった。
2011年1月11日火曜日
紙だよ紙
朝3時頃に目覚める。まだ時差ボケだ。眠ろうと意識すればするほど眠れない。しかたないので起きて朝風呂。
目覚めが極めて良いので朝風呂して読書。読みかけの新書を読破。読破といっても内容が頭に入っているかは謎。年末年始から本を15冊読んだだろうか。最初の頃読んだ本は忘却の彼方。自分の記憶なんて曖昧で脆弱だ。読んでは忘れる。日本で買って読んだ本も、読んでない本もリュックに一杯詰めて、肩が抜けるかと思いながらも持参した本。現在、一人なもんだから、部屋の床に山積みしてみた。そして、この家にある本も含めて積み重ねた。そうしたら、本の背表紙が私に向かい「読んでくれ、読んでくれ」「忘れただろ、再読してくれ」と訴えかけてくる。で、また読む。
考えるに、「紙」の本を目につくところに置いておくというのはこういうことなのではないだろうか。本が訴えかけてくる効果。これは、強迫観念ように思えるが、実際、本が何がしかのオーラを放っているのではないか。これは今流行の「電子書籍」では無い感覚ではないか。私はipadを使って電子書籍にある古典をありがたく読むけれど、それは、旅の時間潰しで有り難がる程度。荷物にならないし、暗い飛行機でも読めるから。でも、家ではあんまり読む気にならない。明るい部屋だし、本の背表紙が呼ぶのだ。「紙」の本の重さ、厚み、背表紙など実態があるから私に響くなにかがあるように思う。電子書籍が増えることは間違いないだろうけど、「紙」の本は不滅である。きっと。と真面目に思った。
2世紀に発明されたらしい「紙」、7世紀に発明されたらしい「印刷」。時代が急激に変化してもそれらの長い文化は惰性を持って生き残る。と確信的に。
と、真面目に考えたようでいて、
風呂で電子書籍は読めないし。とも思ったのだ。
となりでやっているNHKのドラマ。南野陽子が出ているがその容姿のオバさんっぷりに度肝を抜かれる。が、声はかわらないのですね。
目覚めが極めて良いので朝風呂して読書。読みかけの新書を読破。読破といっても内容が頭に入っているかは謎。年末年始から本を15冊読んだだろうか。最初の頃読んだ本は忘却の彼方。自分の記憶なんて曖昧で脆弱だ。読んでは忘れる。日本で買って読んだ本も、読んでない本もリュックに一杯詰めて、肩が抜けるかと思いながらも持参した本。現在、一人なもんだから、部屋の床に山積みしてみた。そして、この家にある本も含めて積み重ねた。そうしたら、本の背表紙が私に向かい「読んでくれ、読んでくれ」「忘れただろ、再読してくれ」と訴えかけてくる。で、また読む。
考えるに、「紙」の本を目につくところに置いておくというのはこういうことなのではないだろうか。本が訴えかけてくる効果。これは、強迫観念ように思えるが、実際、本が何がしかのオーラを放っているのではないか。これは今流行の「電子書籍」では無い感覚ではないか。私はipadを使って電子書籍にある古典をありがたく読むけれど、それは、旅の時間潰しで有り難がる程度。荷物にならないし、暗い飛行機でも読めるから。でも、家ではあんまり読む気にならない。明るい部屋だし、本の背表紙が呼ぶのだ。「紙」の本の重さ、厚み、背表紙など実態があるから私に響くなにかがあるように思う。電子書籍が増えることは間違いないだろうけど、「紙」の本は不滅である。きっと。と真面目に思った。
2世紀に発明されたらしい「紙」、7世紀に発明されたらしい「印刷」。時代が急激に変化してもそれらの長い文化は惰性を持って生き残る。と確信的に。
と、真面目に考えたようでいて、
風呂で電子書籍は読めないし。とも思ったのだ。
となりでやっているNHKのドラマ。南野陽子が出ているがその容姿のオバさんっぷりに度肝を抜かれる。が、声はかわらないのですね。
2011年1月10日月曜日
2011年1月9日日曜日
ごろごろ
お腹が緩過ぎ、油断ならない。
ごろ寝。コタツがあれば最高なのだが、ないので居間に布団を敷いてごろ寝。頭の回りに何冊か本を並べて読むも、どれも頭に入ってこない。笑える漫画か映画があればこの状況にぴったりだったかもしれない。
テレビを付けながら本中の文字を追い眺めていたらいつのまにか、箱根駅伝で大声援を受けながら自分が箱根の山を上っており、そして、なぜか綾小路きみまろが司会をしている歌謡ショーの観客席に座って笑っていた。夢だった。テレビで箱根駅伝もきみまろ歌謡ショーもやっていたようだ。
そして、今パソコンの横で「江」をやっている。坂本龍馬は「熱すぎて」断念したが、「江」は見続けられるだろうか。そこで思う、幕末と戦国時代以外に大河ドラマのネタはないのだろうか。
ごろ寝。コタツがあれば最高なのだが、ないので居間に布団を敷いてごろ寝。頭の回りに何冊か本を並べて読むも、どれも頭に入ってこない。笑える漫画か映画があればこの状況にぴったりだったかもしれない。
テレビを付けながら本中の文字を追い眺めていたらいつのまにか、箱根駅伝で大声援を受けながら自分が箱根の山を上っており、そして、なぜか綾小路きみまろが司会をしている歌謡ショーの観客席に座って笑っていた。夢だった。テレビで箱根駅伝もきみまろ歌謡ショーもやっていたようだ。
そして、今パソコンの横で「江」をやっている。坂本龍馬は「熱すぎて」断念したが、「江」は見続けられるだろうか。そこで思う、幕末と戦国時代以外に大河ドラマのネタはないのだろうか。
2011年1月5日水曜日
2011年クラゲのように
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
神社での掲示等によると、今年、私の年齢は「八方塞がり」にあたるのだとか。「年男、卯年」なのに。
一回り前の24の時、何をしていたか? まだ学生をしていてモラトリアム。自分のことだけ考えていればよかった。そして、36になる今年。ありがたいことに現在では自分に嫁さんも子供もいる。年末年始、身近な人々と時間を共有できた。自分のことだけを考えていればいいっていうことはできない。それは、あまりにも我が侭だ。
歳とともにガチガチに凝り固まっていっているように思う今日この頃。それじゃ身動きがとれなくなるとわかっていながら。年末、家族3人で行った水族館のクラゲのように、フーワフーワとしていたい。フーワフーワして、右往左往して、浮き沈みしながら、どうにか家族と共にフーワフーワと浮き続けたい。
田んぼに沈む夕日。みかん色に燃えるようで奇麗だった。正月に沈む太陽を眺め、幸か不幸か日はまた昇ることをボンヤリ考えた。
フーワフーワと流れに身を任せているようにみせながら、でも時に自分で微々なる流れを作って軌道修正しているクラゲのような2011年になればいい。
と、日本に一時帰国して思うのであった。重ね重ね、本年も宜しくお願い致します。
登録:
投稿 (Atom)

