2011年12月19日月曜日

部屋と引っ越しと私

あれよあれよとあと一日になった。

引っ越し荷物はすでに出払い、部屋はがらんとしている。

かさ張る冬服と、梱包し忘れた食器類を大きなカバンに詰め込んだ。ひとつは焼いて膨らんだ角餅のようであり、もう片方は、焼きソーセージのようだ。

ここ一週間、梱包、荷物の搬送、諸手続をあれこれしており、慣れないことなので、それなりに気を張っていた。カウントダウンのこの間、別段、ここを離れることに切なさを感じることもなかった。明日、飛行機に乗ってもどこかいつもの感覚が抜けず、往復で帰ってくるような雰囲気があるだろう。土地やこれまでお世話になった人と別れた後の寂しさは、日本に帰った後、こたつで蜜柑とか煎餅を食べている時や、風呂に入っている時など、ふとした時に突然現れるのだろう。今は、いくら冷静に装っても、どこかハイな部分があるのだ。

36。誕生日の前に地震が起きて、誕生日に原発が爆発。ビンラディンが殺され、アラブで革命が起き、昨日、金正日の死亡発表。あまりに大きな出来事が続いて、思い出せないこともある一年。直接、自分には何も関係はないけれど、いろいろあって気持ちが落ち込んだり、高揚したり。

そして、明日、ここを去る。世界と無関係に、がらんとした部屋はとても静かだ。

2011年12月10日土曜日

じりじりじりじりカウントダウン

3年間、我が家がとてもお世話になった自家用車を引っ越し前に売らねばならない。今日は、その交渉の日だった。

朝一、洗車。そして、室内を清掃。なんども「ありがとよ」と呟きながら。

交渉は無事終了。この愛車とも月曜日にお別れだ。交渉終了後、家に帰ってから、ライトとエンブレムを入念に磨いた。

2011年12月9日金曜日

じりじりじりカウントダウン

帰国までの段取りをあれこれ再考。

再考し、手順を修正するのだが、その修正通りうまくいくのだろうか。所詮、自分は詰めが甘くドジを踏むという人間であり、それを含めて余裕を持った行動が望まれる。他人事のようだ。

それにしても、一日は短し。そして、夢を見ながら、あれこれ準備のことに魘される。寝てる時位、そんなことを考えたくはないのだが、その位、面倒でしかたない ということが深層心理に深く刻まれているからか。短い一日を考えると、魘されるのはもったいない。楽しくありたい。のだが。

日々、梱包された段ボールが積まれ、増え、どんどん存在感を増して行く。そして、目に見えた永遠とも思えた風景が消えて行く。そして、そんな段ボールもこの部屋から来週には消えていく。諸行無常。。。そういうこっちゃ。カーネーション風。

2011年12月8日木曜日

じりじりカウントダウン

引っ越し荷物を段ボールに詰め始めた。梱包サービス入りの「お任せ」」セットなのだが、「お任せ」を過信すると、「受け取った後の開梱後、何処に何が入っているかがわからず、はちゃめちゃになる」という経験則から、「できることはコツコツと」作戦を取ることにした。

やりかかると、徹底したいので、結局全てを整理して箱詰めしてしまいそうな勢いだが、割れ物はやはり「お任せ」だ。ただ、ごちゃごちゃにならないように、「これはあそこ、それはここ」というような指導を引っ越し業者さんに効率的に指示できるように整理はせねば。

3年間ここに住んで、大して物も買わず過ごしたので、それほどの箱数にはならないはずだ。来た時も少なく、帰る時も程々以下(蔵書が増えて箱数増加。。。)

そんな中でも捨てるものはそこそこ出る。エレベーターを使わず、階段でゴミ袋を持って、アパートのゴミ集積所へ往復することで、捨てることに対しての負い目を少しでも身体で報いようとする。その間に、これはあの時買って、、、とか思い出がぽっぽっとじわり湧いたりして、捨てるというのは気合いがいる。捨てる時には、心の中で「もうしわけない」と言うことにしているが。。。

捨てるのが気持ちよくならないような人間であり続けたいと思ってみたり。日々勉強です。

2011年12月2日金曜日

カウントダウン2

引っ越しに慣れない自分は、家に居ると、気が遠くなるというか、気が重くなる。

天気がいいので、ついつい外を眺めて現実逃避。

壁を眺めているだけでも飽きずにいられる。一方で、荷物を見たくないんだな。

物、配置、時間、等々が永遠とは思っていないが、生活するという時間スケールで、それらが当然こうだ と思っていたので、引っ越しは内面的に重い。

動き出してしまえば、どおっと心身共にそれに没頭できるのだけど、はじめちょろちょろの今はどうも動きが鈍く、面倒が先立つんだな。

家の中に置いてあるものものが、その位置にあることそのものに意味があるような気がして、なんだか移動するのも億劫だ。これらが、引っ越しの際に箱に詰め込まれ、そして、日本に帰って開封されて、再配置されるまでの時間が申し訳ないな。などと考えたりもする。

うーん。経験、経験とはいいながら、やっぱり面倒なんだな。だって、ぐーたら、だから。

2011年12月1日木曜日

カウントダウン

カウントダウン開始。

今年一杯で日本に帰ることが決定しました。何でも終わりがあるわけで、カウントダウンは日常です。何かと忙しくなりそうですが、それはそれ、何でも経験。

残り20日。

そう思うと、見える景色も、匂いも敏感になる。五感を最大限に活用して、カウントダウンを楽しみたい。

2011年11月27日日曜日

ぐーたら

怠い。なにもしない。大阪の選挙結果を見て増々怠さがました。なにもしたくないし、考えたくも、想像したくもない。

ぐでぐで。ぐーたら。しかし、ぐーたら は毎日だった。

窓越しから浮かんでいる雲をぼーっと眺める程度で、外にもでない。雲は止まっているようで、じわじわ動いている。

ぐーたらしてても、じわじわ動いている。ぐーたら は非効率で経済性が悪い。こんな人間は、効率性の観点から独裁を肯定する指導者からは真っ先に切り捨てられるのだろう。

民主主義もよく考えたら効率の悪い仕組みだ。だが、その効率の悪さは、暴走や暴挙を起こさせない滑り止めとして働いているのだと思う。が、効率が善という社会では民主主義は悪なのか。

あの人は、自分の考えに反する人は斬る。らしい。生物多様性の原則は知らないのだろうか。裸の王様を読んだことはないのだろうか。

そんな世の中になりつつあるとしても、ぐーたら な自分を僕は否定しない。誤解を恐れずに言えば、明日出来ることは今日しない。人生なりゆき。という時間に対する感覚と、心持ちを捨てたくない。人間の持っている本来の速度を持って、身体を動かしてこそ、最大のパフォーマンスを出せると思う。そして、時々、身の丈を知り、時々諦めながら右往左往してゆっくりゆっくり前進して行くのが成熟なのではないか。

などと、考えてみたり。何もしたくないが、考えちゃったりもする。考えが深くないのは、考えたくないからだと思われ。

夕焼けが奇麗だ。

2011年11月26日土曜日

オノマトペ

気合いの必要な一週間が終わり、休日。曇天。動きたくない。本を読むも頭に入らない。腑抜け状態。

それでも、腹は減る。生きるために食べるのか、食べるために生きるのか。そんなことを、ぼーっと考えてみたが、脳は、とろとろ。集中力が続かない。

ぐだぐだ。ぐずぐず。だらだら。どろどろ。な一日。しゃきっと した一日は明日訪れるか。明日は明日の風が吹く。ふらふらっと。

益田ミリ「夜空の下で (http://renzaburo.jp/) 」(最終回)。益田さんの漫画は ふわふわっ としみ込み、そして、ところどころ ハッ と立ち止まらせてくれる。だから好き。そして、「夜空の下で」が最終回なのが じわじわ っと寂しい。

2011年11月23日水曜日

潮目

寝る前に、志ん生 の 「火焔太鼓」を聴いた。そして、寝た。

起きたら、談志 が突然消えていた。

先日、YouTubeで談志の志ん生、文楽の批評を見たところだった。落語は面白かったけど、往年の大師匠の物語や落語批評も抜群だった。

僕の誕生日の翌日の震災、原発事故、アラブ革命、EU金融危機、TPP交渉参加、談志の死。。。そんな卯年の2011年。潮目の年であり歳だな。

合掌。

2011年11月20日日曜日

反晴耕雨読?

寒い。日中の気温が片手にもいかない。朝凍った路面や落ち葉が、そのまま凍りとなって、もしくは、霜を携えたまま太陽高度が高くなって幾ばくか気温が上昇しても残ったままという姿を見た。

ランニング、もしくは、歩く時間にその姿を見ながら、あれこれ答えのない自問自答を繰り返す。寒かろうが、そんな時間が好きだ。

雪男は向こうからやってくる: 角幡唯介
家族の昭和: 関川夏生
貧困と思想: 吉本隆明
二十世紀: 橋本治
言い残しておくこと: 鶴見俊輔
丸山真男セレクション: 丸山真男
小池昌代詩集: 小池昌代


ここ一週間で読んだ。それ以外もぱらぱらあるのだが、乱読なので何を読んだかは覚えていない。読んだ内容は「そうだそうだ」とその時点で思った後、少し時間を置いて、批判を交えて解釈するのだけど、もともとバカなので、批判に及ばず、そうだそうだということが多い。でもあっというまに大半の記憶は僕の脳の外に消えてしまうのだけど。。。


晴れているのに本を読んでいる。晴耕雨読ではないな。

2011年11月15日火曜日

ばかにすんなよ

事実、こちらの天候は寒いのだけど、部屋でパソコン仕事をしている時、身体に寒気を感じた。風邪の初期症状か?

欧州危機だからこそTPP。なんじゃそれ。だから保護貿易は悪、今こそ自由貿易。日本が世界を牽引して。。。ということなんだけど、何で保護貿易が何で駄目なのか誰も懇切丁寧に説明してくれない。そんな説明すらしない国が、世界を牽引することなんてできっこないんじゃないかいな。

誰かが用意した箱に手を挙げて乗ろうとしているだけで、考えることも、箱を作りかえようという努力もしない。震災も原発事故もTPPも、国難だ、国益だと偉い人は騒ぐけれど、そんな大事なことへの答えや選択肢を一度も止まって考えないのはどういうことか。国難も国益も所詮その程度軽いものらしい。偉い人には。どうかしてる。

大企業にとっての益こそが国益だと言われているように思えてしかたがない。資本主義に倫理はあるとウェバーは言ったらしいけれど、派遣やら工場の国外移転やら今までの経緯をみたら、大企業は利益のためなら僕らを捨てることなんて簡単にするじゃないか。経団連の偉い人よ、そんなことないって言えるのか? 

目先の効率や利益よりも、次の世代が暮らし易いような社会を残す努力を第一にすべきでないか。それこそが倫理だと思うし、それを偉い人に自由に手玉にとられたくない。踏みつぶされても、手放さない。

そんなの理想で社会なんて変わらないよ。あんた一人じゃ。その通り。でも、それを持たなきゃはじまらない。人を巻き込むことすらできない。理想を口に出せない世の中に自由はない。

ビクトリアに住んでいるからこその日記内容ではないな。でも、日本に居ないからこそ少し俯瞰して見れるし、腹も立つのかもしれない。ゆえに、ビクトリアに住んでいるからこその日記ということで。

2011年11月13日日曜日

無駄と大人?

朝起きて、もう一度寝て。そしたら夕方だった。

無駄な時間。そうともいう。が、疲れていたし。こんな一日もありだ。きっと。

尺度にする時間の長さを変えればその答えはいとも簡単に変わる。短期にみれば、もったいない。もう少し長い目で見れば、免疫力が落ちて風邪もひかずにすんだ。とも言える(ようになるかもしれない)。

夢を一杯見た。読んだ本の会ったことのない作者が出て来た。夢の中で皆、ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言って楽しいんだな。

終止寝ていた一日なのだけど、どうも外は一日雨だったらしい。そんな季節だ。晴耕雨読。読書だな。これからは。

ところで。

TPP。ってなに? 効率。経済成長。成長より成熟じゃないの? 成長って、まだ大人の経済/社会じゃないってこと? いつになったら大人の国になるの? ずっと子供じゃないと、成長しないと、だめなの? 経済成長って、そもそもなんなの? 集中と選択ってなに? その選択は誰がするの? 一部の人がそれを勝手に決めていいの? 人口が減りつづけるこれから、今までやうまく行った方法の延長で物事考えていいのか? ??????????

大人ってなに?子供、そして、未だに見えない後世に、その時点で考えて考えてそして考え抜いた答えを持って責任を持つことではないのか。カントがいうように(たしかそんなことだったと思う?)。考える時間を与えず、はい、これが答えっていう提示の仕方はないんじゃないか? 政治家も官僚もマスコミも、時間軸を持った地図を示さない。これがいい。これがだめ。それで終わり。なんなんだ。これは。

大西洋に会う

久しぶりに大西洋に会う。フロリダ デイトナビーチから東に位置する大西洋を眺める。熱帯低気圧が沖を通過中で波が高かった。でも滞在期間、雨には遭遇しなかった。寝ている間はわからないけれど。



5月位が最も繁盛する季節で、今は「季節外れ」。ビーチには人がまばら。丁度いい。が、少し寂しい感じもする。

主な産業は観光。観光はビーチでのバケーションとDaytonaレース。ビーチとともに街もがらがら。とても静かな街。夜はビーチに満月が浮かび、波は唸るように進み、砂浜で砕け散って、最後は心地良いサイダーの気泡の細かな破裂音のような微温を残して消えて行く。そんな、潮騒が窓を閉めても純粋に感じられる夜だった。この季節だからこその夜かもしれない。

終日仕事なので、朝早起きしてビーチ沿いを歩いてみた。


まだ泳げる。この時、朝の7時。この女の子は遠浅の海を波に逆らって歩き100m程行った所で折り返してホテルに帰って行った。


同じように見えて3種類の鳥がいた。近づいても逃げない。


ビーチから少し離れて西に歩けば長い入り江にぶつかる。入り江はビーチの波が嘘だというように鏡のように静か。閉鎖域なので水は茶緑。魚が飛び跳ね、豊かそうだった。そこを一台のハーレーが。ノーヘルOK。


ビーチに沿ってAtlantic AVが走る。そのまま。大西洋通り。

2011年11月12日土曜日

空港宿泊

アメリカ、フロリダ州デイトナビーチへ出張。約一週間。

熱帯低気圧が大西洋を北上しており波高し。自慢のビーチには海藻が打ち上がり、波飛沫とともにビーチには豊富な有機物由来の泡がふわふわと泳いでいた。

昨日、ヒューストン、サンフランシスコ経由で帰る予定が、サンフランシスコからビクトリアの便が欠航。飛行機会社との交渉の上、空港で一泊。空港の椅子にリュックサックを枕代わりに置いて仮眠。深夜になっても、デフォルトでリピートする館内放送。そして、朝3時後半から始まる清掃作業。熟睡は無理だけど仮眠はできた。少し寒かったけど。

朝10時代のビクトリア行きの便は、昨晩時点で満席。しかし、もしかの空きができる奇跡を求めて仮予約。期待はしていなかったけれど、幸運にも座席を得ることができた。最後の最後で名前を呼ばれて発券された時の喜びといったら。。。

まー良い経験でした。

2011年11月5日土曜日

失敗

失敗ばかりです。

いつも。

その深みは違うのですが。

2011年10月29日土曜日

ぼちぼち

土曜日。簡単に言えばぐったりしていた。疲れているわけでもなく、怠いわけでもなく、ただ動きたくないという感じで。

相変わらず活字中毒で本を手に取って横になりながら読むのだけれど、なんだか入りきれない。文字が脳を素通りして消えているような感じ。それでも、行ったり来たりして読むのだが、今度は強い眠気が読書を阻害する。それに対しては抗しない。目を瞑る。そして、うとうととする。そうすると、夢うつつに素通りした文字が姿を現して蘇ったり、ここのところ思い続けているものが変形して、そして、これが答えだと言わんばかりに夢の中に現れる。

目を覚ました後、そうなんだよな。と改めて思って本を読み返したり、覚悟を決めたり。

ぐったりも悪くない。身体は正直だ。そして、それに抗せず、素直に応答する。それが、短期的に見ていいことなのかはわからない。しかし、長い目で見れば「とんとん+α」の「ぼちぼち」な生き方に結びつくなのかもしれない。そんなことを思っていたら、息子に買った絵本の「でっこりぼっこり(高畠 那生)」が急に思い出されて読み返した。そしたら、福岡伸一がいう動的平衡に近い考えだなと思った。

「とんとん+α」が長い目の理想だ。関西でいう「ぼちぼち」。それって良い印象をもたれない気がする。ボクは存外そこに達する事は難しいと思うのだけど。それって、自分は劣等生だからそう思うのかな。

集英社の「レンザブロー(http://renzaburo.jp/)」の益田ミリの「夜空の下で」がとてもいいです。夜空を眺めて「ぼちぼち」やっていきませんか。星が見えない夜空でも、空を眺める余裕を持てたらそれこそ豊かな時間です。

2011年10月25日火曜日

味付け

昨日のスープはアサリのかわりにシャケ缶を使ったので少し味噌を隠し味に入れたらとても美味かった。味付けという一手間がなした「おまけ」はあった。

帰宅後10k。折り返し点を過ぎて直ぐの木陰を通過中、頭を軽く殴られたような衝撃。痛みはなかったが、何が起こったか解らず。しかし、立ち止まりもせず。念のため頭を手でなでて流血がないかどうかを確認すると、それもない。なんだったんだろうか。落ち葉を見る限り、栗系だったので毬栗? もしくは、烏かなにかに襲われた? 結局何かわからず。

昨日は、火玉。今日は何だか解らないが「おまけ」付きのランニングだった。怪我もないことだし、こんな「おまけ」も日々の味付けにはなる。

2011年10月24日月曜日

おまけ

昨晩作った、「適当」クラムチャウダーが美味かったので今また作っている。鍋に適当に野菜を刻んで入れて、アサリの缶詰を空けて入れて、牛乳と少々の水を入れて煮るだけ。塩、コショウで味を整えればサッパリと野菜とアサリから十分出汁の効いたスープだ。スーパーなどに缶入り、もしくは、パック入りのスープがあるが、塩辛いは、濃厚過ぎるはで舌と胃が受け付けない。こんなに簡単にできるのであれば、自分で作る方がよい。今日は美味いのができるかな。楽しみだ。

帰宅後、10kランニング。どことなく疲れているので軽く流す。街路樹の葉っぱが7割位落ちた感じだ。今日は良い天気で、そこを夕暮れ時に走るのは寂しいような、美しいような。

走っている彼方前方に白みがかった火球が現れ、花火のような残光を置き土産に消えていくのを目撃した。まだ、夕暮れの始めでまだ外は明るい時だったので、その光度は随分強いと思う。その白みがかった色からは、高い温度で燃焼しているのが推測された。ドイツの衛星?とも思ったけれど、流れ星かな。それを見て、走った「おまけ」をもらった気がして得した気分になった。

思いもかけない「おまけ」はうれしい。今日のスープに「おまけ」は付いてくるだろうか。

2011年10月23日日曜日

歩く、自問自答する

いい天気だった。美しい青空と浮き雲。

朝から本を読んでいた。読みたい本が多過ぎる。でも、外が僕を呼んでいる。晴れなんてどんどん少なくなるぞ。って。でも、負けずに読んだ。でも、カーテンを降ろして、少し外が見えないようにして。遮光カーテンじゃあないので、うっすら陽気が入り込み、負けそうになった。が、読んだ。今、これを読むべきか、必要があるのかはわからないけれど、なんか、読まずにいられない、刺激が僕を押す。

読了した時、言葉を失った。そして、その失った言葉を探しに散歩に出た。小田実はいう。「思想というのは歩いて考えるといちばんいい」僕も、自問自答は歩いている時が一番いいと思っていた。

思想というと何だか難しそうだが、自分が生活する上で何を「そもそも」大事にすべきか、ということだとすれば、言葉の上では難しいことではない。

歩いたが、失った言葉と、その理由は言葉にならなかった。ゆっくり考えればいい。歩く時にまたぼんやり考えればいい。○×ではないんだ。

自問自答。それに対する自問自答。を繰り返して生きていくのだな。生きると歩む、は似ているかもしれない。自問自答する過程が生きることなのかな。などと思ったが、そうでもないかもしれない。わからない。から、また自問自答をするのだな。

2011年10月22日土曜日

頭が悪い

雨、曇、晴、曇、雨。。。そんな天気。この場所のこの季節らしい。ここに来た当初は鬱陶しかったが、この気候はここの自然を守り、そして、ここに根付く文化の根本にある。日本の、そして、自分が住んで来た地元と比べてどうこういうというのができないというのは、最近になってようやく気づいた事である。

最近、テレビを殆ど見ていない。外部の「新しい」情報を確認するのは、一日に数回、目の前にあるMacでインターネットを通して確認するニュース。「本当の」新聞に比べて内容が圧縮されていて物足りないところはあるが、それでも情勢はある程度見て取れる。震災、原発、TPP、アラブ革命。。。そして、カダフィの死。

報道が事実だとすれば、独裁者カダフィの最後は普通の人だった。命は惜しい。若い兵士(だといわれる)が、カダフィの黄金の銃を使って(だといわれる)、命乞いするカダフィに向かって引き金を簡単に引かせたのは(うまく出来過ぎたストーリーのようにも思えるが)積年の恨み、そして、それに加わる何かがあってこその結果なのだろう。独裁、反体制派への熾烈な攻撃によって頂点に達した民衆の憎悪。それはわかる。それでも、引き金を引く瞬間の心理はどんなものか。ところで、カダフィはなぜ独裁者となったのだろうか?その過程にも興味がある。強いリーダーシップから独裁への過程に。

「そんなこと決まているじゃないか」「頭が悪い」といわれそうだが、わからない。そんなことを考えても意味がないとはいえるが、だからこそ、時間的制約もないので、ゆっくり自分の頭で考えたい。

まー、そんなどうでもいいことを考えながら、朝、ベランダにある庭木に水を与えていた。

今日一日と言えば、複数冊の本を読んで過ごした一日だった。読んだそばから薄れてしまう内容。頭が悪い?

2011年10月21日金曜日

尺度という亡霊

あーでもない、こーでもない と考えている。諸々。色々な考えが亡霊のようにふわふわと浮かびは消える。亡霊はまた現れ、変化する。

考えている。何が大事か。多角度から考え、削ぎ落とし、芯を浮かび上がらせ、そして、どう決断するべきかを。しかし、自分の知識や知性などたかがしれていて、どこが芯なのかわからない。考えは、ふらふらとして全く頼りない。まだ、考えがだぶつき、惰性を持ったその力を止めおおせず、自分のものとして制御し加工しきれていない。

尺度は自分が学んだ積年の原理原則である。そんな尺度なのだから危うい。しかし、そこからしか私は判断することはできない。人の尺度を借りた判断では、間違いに気づいた時に、それを有耶無耶にし、その結果を「その」人に責任転嫁するであろう。であるからこそ、自分の原理原則を「今」の自分で濾過し直して微調整し、自己の納得を得た上で、尺度として利用すべきだ。間違うよりも、間違った時にそのことを無きもとすれば微塵も成長は無く、後退として背中に消えない爪痕を残し、その過程を飽きもせず繰り返すだろう。

自分の尺度の頼りなさに戸惑うよりも、揺らぎの中から得たその尺度を、真に受け止め決断しよう。

2011年10月15日土曜日

朝起きてランニング。8時頃。玄関を出てみると空気が皮膚に刺さるような冷たさ。月と星が空にきりっと主張する夜を経て迎えた朝は、冷え込むようだ。確か、これは放射冷却と呼ぶのではなかったか。

走り始めると冷気は心地良さに変わる。その気持ち良さを感じる瞬間は贅沢だ。

通勤路に沿って走ってみると、地面を薄らと覆う緑の上に薄らと霜が降りていた。霜は太陽の光を浴びた所から融け始めており、そして、水滴となり葉っぱに潤いと輝きを与えていた。それにしても、霜が降りる朝がきたのだな。

一日とても素敵な青空だった。ずっとみていて飽きない、重くなく、吸い込まれそうな、嘘を知らない青だった。


空を見ていると季節を忘れそうになった。地面に向かって空気に踊りながら静かに落ちる枯れはを見て秋を思い出した。


2011年10月13日木曜日

枯れはと雨

平年より気温は少し低い今日この頃。

通勤路の樹々は黄色に色づき、葉っぱの端は枯れた茶色。弱々しく、風に吹かれれば、いとも容易く ふわふわ からから と落ちてしまいそう。最近は雨も多いので、落葉はアスファルトの上に茶色の薄い膜を張り、足を踏みしめると、グチャグチャ、ぬるっとした感触を僕の足裏に伝える。

本来、枯れた葉は乾燥した、ぱきぱき とした音で、ガラスが割れるような堅い音を奏でるのだろうけれど、雨に濡れた枯れ葉は優しい音色だ。死んだ細胞を弔うように雨は枯れた葉に優しい音色を与えるのかもしれない。

雨が続くと僕には鬱陶しい。しかし、短い夏で精一杯生きた葉っぱを、優しく弔っているのだ。そう考えれば、雨は優しい。

2011年10月10日月曜日

朝ぱっと起きてトイレ。トイレに行って本を読みたくなった。外は雨模様。秋だな。と口に出す事も無く呟いて、部屋に野積みにされた本の中から、背表紙が訴えかける本を数冊選んで朝風呂。少し熱めの風呂で、読書。急ぐこともなく、行っては戻って読み続ける。しみじみ幸せ。読書の秋。なのか、たんに、活字中毒なだけなのか。活字中毒の読書の秋なんだなきっと。

2011年10月9日日曜日

三連休。何をするということもない。ただ、その風、季節を感じるだけだ。




10kランニングした後、砂浜で携帯椅子を広げて読書。波音とともに読む文学は心地良かった。

2011年10月5日水曜日

秋風感じるこの頃にて

先月日本経由で中国に行って日本からカナダへ戻った。

そして、今。

陽は短くなり、小寒くなった。曇りがちになって、小雨が多くなった。

これも季節の移ろい。

身体は正直で、それに伴って応答する。

日の出が遅くなれば、床から出るのも億劫になり、

小寒くなって、上着はかかせなくなった。

曇りがちになれば、気持ちは内向きになり、

小雨が多くなれば、動くのも面倒になる。

しかし、それは自分を通した反応である。

自然の移ろいはそれが普通のこと。

このところ、樹々や野草は水水しくなっている。

自然がそのままであること。

それはあらねばならぬこと。

しかし、時には牙を向く。

が、それこそが、自然。

無常、無情であることは3.11で知ったではないか。

自然は自然のままでなくてはならない。

しかし、無常、無情であることは忘れてはならない。

それこそが、自然なのだ。

2011年9月3日土曜日

三日月

夕暮れに西の空に浮かぶ三日月。夕暮れの赤にうっすらと薄黄金色に輝く。くるりの三日月を聞きながらぼんやり空を眺めた。



三日月/くるり
作詞/作曲 岸田繁


この三日月を この三日月を どこか遠くの街で見つけたら
この三日月の この三日月の 欠片のことを教えてください

明日になれば 明日になれば 太陽がさんさんと輝いて
つらい涙も 悲しい気持ちも 全部風に乗って消えてゆくでしょう

このため息が 君に届けば
きっと誰よりも 悲しむのでしょう
街のざわめきも 行き交う船も
それぞれの想いを乗せてゆくだけ

君と出会って 僕は初めて
ひとりでこの街を歩いてゆく
この淋しさを この淋しさを
どうかやさしさに変えてゆきたい
どうかやさしさに変えて届けたい




2011年9月1日木曜日

歩くと走る

一カ所に留まっているよりも、ありゃっという気づき、や、あれこれいいじゃんという案が歩いている時、走っている時に浮かぶ気がする。既報の通り、それが終わった時にはスッと完全にどこかに行ってしまうのだけど。

サメは思慮深く且つとっても面白いアイデアが浮かんでいるんだろうな。止まると溺れちゃうから。

ずっと歩く、走るとどうなるのだろうか? ものの本によると、歩きながら寝るというのはシベリア抑留の人の懐古には出ていた。歩きながら寝るはないけど、仕事中にパソコンの前で記憶無しということはある気がする。

2011年8月29日月曜日

くうねるはしる

20k走る。走って気分はかなりすっきり。走っている時、色々ひらめくのだけど、なんで、意図も簡単に瞬時にひらめきは跡形も無く消えるのか。

距離に対する耐性はかなりついてきた。リズムに乗って、且つ、ゆっくりであれば、かなりの距離は走れる感じがする。

走った後の飯もうまいし、ベッドに入れば直ぐ寝れる (最近眠りが浅いけど)。


2011年8月27日土曜日

うんこ

朝起きて海沿いに短い距離のジョグ。大潮で干潮時刻だったのでいつもより奥行きが深い干潟が広がる。干潟でカナダ雁がアオサをついばむ。アオサギが干潟に潜む何かをつんばむ。海は朝日に輝いてキラキラと輝きながら深い青。

その時、犬の散歩をしている女性とすれ違う。犬が景色の良い芝生で気持ち良さそうにウンコをしていた。犬の表情はどことなく柔らか。スッキリ。って感じ。そして、とても気持ちいいのでニコッとしている様に見えた。景色の良い所でブリッとやるのはそれはそれは気持ちいいだろう。

カナダ雁の群は一カ所に集中してウンコをする傾向がある。一匹がすると皆が連鎖的にするのだと思われる。ジョグする時注意してもどうしても踏んでしまう位に密集したウンコの数々。どうして、群が一斉にある場所に集中してするのだろうか。大抵景色の良い所皆で一斉に排便にしているのを見ると、やっぱり景色が良い所でするのは気持ちいいのではないか。

自分もしてみたい。したら捕まるだろうけど。でも、そんなことができたら、毎日、独創的なアイデアが浮かんだり、日々が豊かになりそうな気がする。

カナダの最大野党であったNDPの党首Jack Laytonの国葬が今日あった。ラジオで聞いていた。聞いているだけでグッときた。弔辞にはユーモア/笑いがあったり。彼のことは報道で知る程度だったが、この間の報道を見る限りとても愛されていた人だったことが良くわかった。そして、この葬式の感じも。

彼が亡くなる48時間前の手紙の中でカナダの人々に語りかけている。

「友よ、愛は怒りに勝る。希望は恐れに勝る。楽観は絶望に勝る。だから、愛し、望み、楽観的でいようではないか。そうすれば、世界は変わるだろう。」。

こんな言葉を紡ぐことができる政治家が日本には残念ながら居ないと思う。

2011年8月26日金曜日

豊で美のある通勤路

風のない朝の通勤路。もう少しで新月というわけで干満の差が激しい入り江の水辺。風が無いので水面にさざ波一つなく鏡のよう。そこに朝日が映り込む。そして、隣接する建物が映り込む。建物を直に見れば直線的で角々しいのだけど、水面に映り込んだ建物はとても柔らかで美しい。朝日も同様に柔らかさが増す。それを眺めながらの通勤。なんて豊かなのだろう。

その通勤路の反対側ではアパートが建設中。若い大工さんが上半身裸で、はしごに乗りながら、板を片手で持ってそれを打ち付けている。以前からこの人は少し暖かくなると裸になる。そして、今日までに随分と小麦色に焼けた。板を持つ二の腕の割れ目と割れた腹筋は彫刻のようだ。奇麗な身体なと素直に思う。

そんな通勤路を経て仕事に向かった。

2011年8月25日木曜日

夕焼け小焼けで日が暮れて

限りなく透明に近い金色。

日没間際の太陽が地平線に沈みかけている頃の夕焼けはそんな感じだ。橙色だという固定観念が覆された。限りなく透明に近い金色。これでも言葉が足りない。見とれてしまう夕焼け。言葉を失う夕焼け。

そんな8時頃、僕はスーパーに向かった歩みを止めて眺めていた。

2011年8月24日水曜日

月と花

朝4時。起きる。最近眠りが浅い。頻繁に目が覚め、そして、夢を良く見る。その夢が楽しければ良いのだが、現実的な内容のものが多く魘される感じ。朝4時の東の低い空には月が輝いていた。12、3度の外に出てぼんやり眺めた。

昨日、自分の車がリコール対象になっていることをディーラーからの手紙で知った。車は土日位しか乗らないが、パワーステアリングが突然故障する可能性があると知れば、今日にでも修理したい。ディーラーに電話で問い合わせした所、来週の火曜まで埋まっていて修理は無理とのこと。しかも、修理対応は午前10時半から夕方5時まで。それじゃ、中々修理が捗らないわけだ。カナダというかビクトリアらしい。のんびり対応。しかし、リコールにそんなんで良いのだろうか? この前、120km/h出して良い高速を走った時、ハンドルがカタカタ振動していたがあれはリコール対象の要素が原因なのだろうか。言われてみれば疑問は尽きない。

今日も夕飯前に15km弱走る。曇り空。今日も野苺狩りの人々を多く見かけた。そして、車いすで看護の人に押されながら散歩している昨日のおばあちゃん達にあった。今日も表情はなく硬直していたけれど、きっと心底では気分いいのではないだろうか。

走り終えてクールダウンした時に路地に生えた紫色の花びらを持ったひな菊に似た花がとても奇麗だった。一瞬立ち止まって、花を眺めたら少し寂しくなった。

2011年8月23日火曜日

トレイル

ご飯前、家の前のトレイル片道5kmをゆっくり走る。夕刻6時40分に北に向かって走る。西には低い位置に太陽が橙色と黄色の中間位の色で輝いていた。日が短くなったものだ。風もなく、気温も寒くもなく、暑くもなく快適。

野苺狩りをしている老若男女が多い。腰にヨーグルトの空き箱を紐でくくりつけて、そこに取った野苺を詰めて歩いている女性。少し崖っぽくなったところを落ちないように手を繋いで一人が安全を確保しながら摘み取る若者男性二人。散歩がてらバケツを持って採ってはバケツに詰める前に口に入れてニコニコワイワイやっている家族。のどかだ。

往路5kmに達すれば、復路5kmが待っている。身体は軽く、復路の5kmが肉体的精神的にきつくは感じない。それはそうだ、走っているのか歩いているのかわからないくらいゆっくりした速度なのだから。

家の近くまできて車いすを押している二組とすれ違った。2台の車いすには。たぶん痴呆のおばあちゃんが乗っていた。近くに老人病院があるので、そこに入院している人なのではないだろうか。二人のおばあちゃんは、こんな陽気とのどかなトレイルを車いすに押されながら散歩しているが笑顔はほとんどない。一人のおばあちゃんは赤ちゃんの人形をぎゅっと抱え込んで一点を見据えていた。そんな二組は僕の背後に消えて行った。

2011年8月22日月曜日

夏の終わりの気配

本降りの雨。日の出が6時16分。日の入8時15分。足早に日照時間が短くなっている。そして、雨。路地に生えているアザミに似た植物は綿毛の大きな玉を重たそうにもたげ、風が吹くとそこから綿毛がふわっと飛ぶ光景もちらほら。街路樹の緑もすこしずつ元気な緑から黄色が増してきつつある。夏が終わりに近づいている。

2011年8月21日日曜日

奇跡

昨日久しぶりにバスに乗った。バスで通り過ぎ見える風景は、自分が運転する車から見える景色とは違うようだ。運転している時は、それなりにあれこれ運転に注意を払っているので、風景をぼんやり眺める余裕もない。また、見知らぬ人と場を共有しているというのも、見える風景のスパイスになるのかもしれない。不規則に停留所に止まるのも変化を与える。ここにいること、そこでみた風景、ここにたまたま居合わせた人、そこに止まること、全てが奇跡なのだ。日々生活していることは、正しく奇跡の積み重ねなのだが、そんなことは忘れがちだ。奇跡というと、大きなことを想像しがちだ。奇跡に鈍感になった時、日常が平凡に思えたり、他人に家族に優しくなれなくなる。そんなことをバスの車窓から景色をぼんやり眺めながら考えていた。そして、反省していた。

なんてことを考えたのは、くるりの「奇跡」を聞いたこと、それが主題歌である「奇跡」という映画の予告を見たからだろう。くるりの「奇跡」を聞き、予告を見ただけでも凄く切なくなった。切なくなる。そんな感情はここ最近になってようやくわかってきた。というか、敏感に身体が反応するようになった。年齢とともに涙腺が弱くなるというような話は聞いたことがあるが、それを実感している今日この頃。

奇跡のつみかさね。それが日々であり、その奇跡を感じられる年齢になってきたはずなのだが。。。

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奇跡
くるり

いつまでも そのままで
泣いたり 笑ったりできるように
曇りがちな その空を 一面晴れ間に できるように
神様ほんの少しだけ 絵に描いたような幸せを
分けてもらうその日まで どうか涙を溜めておいて
言葉は転がり続け 想いの丈を通り越し
上手く伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな
あぁいつもの君は 振り向いて笑う
溜め息混じりの 僕を許してね
退屈な毎日も 当然のように過ぎてゆく
気づかないような隙間に咲いた花
来年も会いましょう
さぁここへおいでよ 何もないけれど
どこへでも行けるよ 少し身悶えるくらい
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2011年8月18日木曜日

どどろ

朝起きようと思った5時に起きられず。だらだら7時まで寝ていた。快調なんでだろうと思うけど朝起きて直ぐ腹が減っていて何か食べたい。一人暮らしの怠惰か、シリアルにバナナを手で適当に千切ってそこに牛乳を入れて朝食のできあがり。テレビのニュースを見ながら、流しの前に立ったまま食べる。デザートはヨーグルト。そこに旬だと思うブルーベリーを入れて食べる。腹が減っているせいか、糖分を舌が欲し、とても敏感に果糖を舌が感じとる。美味い。時々、ブルーベリーに木片が残っていたりして違和感を感じたりもする。どちらの品目も食感的、見た目的にどろろ。

昼まで仕事が立て込んでというか、集中していた。時間があれば出かける昼の散歩を何時もの時間より遅めにする。朝夕の通勤路、脇に生えた野苺狩り+人によってはそこで立ち食い、を良く見かける季節になったと思っていたが、昼も野苺の幹にわさわさと生える刺を気にしながら野苺スポットで老若男女が刈り取っては食べ、そして、袋や容器に貯めて持ち帰ろうとしていた。皆、刺が気になって奥までは踏み込めない。小鳥はその奥まで難なく飛び込みついばんでいた。日本式高枝切り鋏があれば意図も簡単に採れそうだが、これこそが自然とのバランスというものか。なんでも「過ぎない」ことは大事だ。

その散歩の帰り、番傘を持った洋梨体型のおばさまに遭遇。番傘は日本で買ったお土産だろうか。小振り。だが、骨組みはしっかり竹で出来ているようだった。小振りの番傘に洋梨体型のおばさま。おばさまはとても大きく、丸みを帯びておられたので、持った番傘を含めたシルエットがトトロのようだった。遠目では。近づくにつれて、その様相がはっきりと目に飛び込んで来て、眩しいほどの桃色のTシャツと真っ赤な口紅はトトロにないけばけばしさであった。トトロではなくドロロ。そんな感じだった。

2011年8月16日火曜日

ホジホジ

元気がでない時、見る動画がある。それはAlpine climber, Jonny CoppのLong Ways。僕の日常ではあり得ない肉体的精神的に過酷な状況で、自分の身体と頭を駆使して、苦痛に歪みながらも笑顔と冗談を忘れずにいるところに強くひかれる。彼のスタイルは最小限の装備で新たなルートを果敢に攻めるタイプで、それだけに登攀の厳しさは増す。その中での笑顔と冗談を出せる底知れぬ強さ。Jonny Coppの良き登攀パートナーだったMicah Dashの柔和で目がキラキラした笑顔はそれを見ているこちらも思わず微笑んでしまう。この動画を見ると力が湧くというか、元気が出ないと思い込んでいる自分がちっぽけに思える。そして、できる限り笑っていたくなる。笑顔はその人の強さに比例するのではないか。仮説だが。そんな彼らは昨年Mount  Edgerで雪崩に遭って死んでしまった。しかし、その記録である動画は僕にとっては永遠である。

と、先日、僕が行ったトレイルのことを思い出しながら、仕事の後ランニングしている間ぼーっと考えていた。僕の場合、ランニング中は身体に負荷がかかっているので余分なことを考える余裕が無く、自分の底にある何かを何度も何度もホジホジしながらフッと何かが浮かんでは消える。走り終えたとき、浮かんだことは意図も簡単に何も残らず、腹減ったと肉体的な刺激が叫ぶだけだった。そして、腹が満たされた今、Jonny Coppのことが蘇って来て動画を見ていた。

そういえば、走り終えた交差点で、50代後半に見えるおじさんがアメ車のでかいバンに乗って左折していった。その時、彼の左手の中指と薬指は鼻の両穴にすぽっと嵌っていた。鼻を掘っているのか。痒いのか。わからない。僕の場合は鼻を掘るときは一本の指を鼻の穴に入れながらグリグリと回転を加えながらホジホジするので、二本を入れては掘り出すことはできない。鼻の穴二つに指を入れながら左折していく50代後半のおじさんは新鮮だった。ふっとした時にやってしまうこと。それは意外と見られているのだなと思った。

2011年8月14日日曜日

Strathcona Provincial Park

Strathcona Provincial Parkに行って来た。Victoriaから車で約4時間。最寄りは石狩市と姉妹都市であるCampbell River。最近停滞気味の心身に刺激を入れるべく山へ。

目的はCrest Mountain, および Flower Ridgeトレイル。両者とも全長(片道)5-6km。その間に1250m程登る。片道3時間程度が平均的な所要時間。トレイルとしては「難」レベルと言われる。

ネット上ではCrest Mountainの方が易しいようなことが書かれていたが、個人的にはこちらの方が難易度が高かった。トレイルは整備されているが、砂利道に小さい岩が乗っかっているようなところが多く、また傾斜はかなりある。上りはその傾斜から速度が出ないのでまだいいが、下りでは時々足を滑らすことがあった。幸い転ぶことも、怪我することもなく完歩した。

Crest Mountainの頂上には蔵王のお釜のミニチュアのような湖があった。水は透き通って、空の蒼が水面に映りとても清らかだった。その周りには残雪があってその標高を感じさせた。山頂からはもっと残雪が残る山並みが広がり、眼下には針葉樹林の森が広がっていた。

Flower RidgeはCrest Mountain同様の標高ながら、山頂手前の木陰にはかなりの量の残雪が残っていた。ここを渡ったあとが最大の難所で20分程度急傾斜の崖が続く。そこをゆっくり着実に登る。トレイルとはいえ、そこは人が歩いたことによって植物が生えていないだけの岩がむき出しにあるだけ。そこを注意しながら歩く。そして、頂上。山頂からは山並みが広がるが、Crest Mountainに比べると見晴らしは良くないように思えた。山頂には水たまりがあり、そのせいか、「蚊」が異様に多かった。ここでむき出しの首や頭頂部を何カ所も刺され、そのせいであまり景色を楽しむことはできなかった。

Crest Mountain, Flower Ridgeともにすれ違うのは一組だけだった。こんなTrailを好き好んで上るような人は多くないようだ。僕は彼らに比べると速度が速いようだった。ネット上の平均時間に比べ30分-1時間早い登頂だった。体力があるのか、それとも景色を楽しんでいないのか。

停滞気味の心身に刺激を入れるには十分の難易度あるTrailだった。

2011年8月9日火曜日

大目に見てよ

仕事部屋にいると肌寒い。現在、我が新たなる仕事部屋は改築真っ最中であり、壁のペイントがなされたばかりで未だその臭いが残り不快。そこで、部屋の窓は終止全開なのだ。午前中、曇り空で気温もそれ程上がらず、窓から入り込む風は冷たい。半長袖のシャツを着ていたがそれだけではどうにも肌寒い。しかし、その臭いを考えると窓を閉じたくはない。その葛藤からか、仕事にどうも力が入らない。窓の向こうの曇り空を眺め、力が入らないことを、その曇り空と肌寒さに責任転嫁した。責任転嫁してしまうと、どっと力が抜け、歯止めがかからなくなりそこねたが、そこは大人の私だほっぺたを抓ってパソコンを眺めれば瞬く間に集中力が蘇ったのだった。というのは幻想だった。

通勤路。例の烏に襲われるとおもって、先日剃り上げて毛の薄い頭を守るため帽子を被ってこちらは十分な気合いでその場を通りすぎる。が、その烏は居なかった。そこに守る巣があったわけではなく、ただただ機嫌が悪かっただけなのか。機嫌が直ってどこかに飛び去ったのか。

帰宅後、家の周りを走っていたら、ホームレスらしいおっちゃんが自転車を横たえてその場に寝ていた。頭は後輪上に取り付けたプラスチック籠に半分顔を突っ込んでおり死んでいるかと思った。が、いびきをかきながら普通に寝ていた。酒臭かった。そう言えば幸いにも私は酒を飲んで野外で寝てしまったことはない。が、酒に打ち負けた数は知れず。

今日はしっかりするぞ、今日は大丈夫、二度とあんなことするもんか、と思っても甘くなったり、考え過ぎたり、そんな考えすら途中で完全に忘れたり。そんなことを繰り返しながら一歩進んで二歩下がり、そしてまた一歩進む日々である。

2011年8月7日日曜日

Elk lakeで今日も走った。10kmルート。今日もスロージョグ。「ざくざく」という足音。そして、鳥の声。湖からする微かな波音。気持ちいい。昨日同様のスローだと思ったのだけど時間を見ると昨日よりずっと速かった。でも呼吸の乱れ、下半身の「芯」にくる違和感も無し。意外と自分の身体はいけているのかもしれない。が、油断は禁物。この段階では意識的にスローにしていかないときっと怪我をする。

その後East Sookeのトレイルへ。Coastルートをひたすら歩く。うちやElk Lakeでは眩しいほどの晴れだったとしても、ここに来ると霧が濃いことが多い。特に午前は。海に広がる濃霧が風に流れてトレイル側に流れてくる。午前中の気温はうち方面と比べると5度程度低いことはざら。昼夜の気温差がうち方面に比べると大きいので霧が発生しやすいのだろう。霧が流れる時、風が樹々にあたり葉っぱが擦れるザワザワとした音、そして少し高音のヒュルルが折り重なる。眼下には崖に波があたり、崖と崖が作り出す狭い空洞などでは見た目の波以上の低音のザブンというかダブンというような波音がして驚いたりする。

波や風、樹々からの音。人が殆どいないトレイルを歩いたり、走っていると感じることができる。家に居る時では考えられない程、鋭敏に音を感じ取る。低木の樹々がざわめくと動物がいることを察知し、緊張したりする。

音。子供の時には覚えていた記憶が蘇る。大人になっても、そんな音を感じられる力を失ってはいけない。忘れた時、森や川、そして海は自分から離れてしまう。

2011年8月6日土曜日

Elk/Beaver lake

走ってみた。といってもかなりスローなジョグ。一周10km。ルートは平坦なので思いのほか楽。この距離、そして素晴らしい景色。樹々。ランナーの数はそこそこ多い。

走ったり、歩いたりする時、あれこれ考え、そして、なんだか良さそうな考えが浮かぶ。浮かんで、そして、消える。あの良い案はどこに消えたのか。思い出そうにも思い出せない。その時は。経験上わかっているのだけれど、時間を経て消えた記憶が蘇ることがある。その考えは消えていたはずなのに、なぜか「そうそう、あのとき」とかいって蘇る。消えていない。ただ、思い出せないただけなのだ。

歩いたり、走ったり、その時、時間を忘れている。時間は忘れるが、そこで考え浮かんだ面白いことは時間を、かなり -数ヶ月以上- 経て蘇る。蘇るのは考えた頭の出来事だけではない、その時の身体の動きや疲労度、そして、空や海の色、樹々の緑や倒れた木に生えたキノコだったりもする。

そんな記憶の蓄積こそ、自分にとっての豊かな幸せなのではないか。

2011年8月5日金曜日

からす

通勤路。晴れが続いて黄緑と緑の中間の葉がわさわさと繁る。

その後半のところで、一匹の烏が通勤路を睨み、声高に僕を威嚇する。その威嚇は顔を乗り出して、且つ、全力でくちばしを開け、叫びその先を僕につきつけている。威嚇は鳴き声だけでなく、実際に僕の頭上をばたばたと羽音を立てて飛んで威嚇する。たぶん、自分の子供がその通勤路の街路樹にいるのだろう。

説得することはできないので、迷惑をかけないように足速にそこを通り過ぎようとするのだけれど、そのカラスの威嚇が和らぐことはない。頭上を爪を立てながら通り過ぎる。こちらは首をすくめそれをやり過ごす。

烏よ安心して欲しい。私はあなたを攻撃しません。仲良くしようよ。

2011年8月4日木曜日

身体

気分が滅入っている時は、おのずと体調も優れず。軽めに運動しながら積極的休養を取ったら体調は回復気味。気分も底からは脱した感がある。疲れが取れて、どうにかなるという楽観が顔をのぞかせ始めた。やっぱり身体に正直にすることだ。疲れてくると身体の変調に鈍感になるから、少しでも異変を感じたら即応すべきだ。

いい天気が続いて仕事をしていても外に出たくなる。出れないけど。座り仕事が基本なので身体が凝る。今週から部屋が変わって広いところに一人になった。そのため時々床に座ってヨガのポーズを取ってみる。とても良い気分転換になる。身体が元気ならなんとかなる。仕事にも前向きになる気になれる。

帰り道。足にびっしり入れ墨を入れている白人の若者を見た。気になったので歩きながらバレないようにちら見すると見えたのは「海の男」の三文字。一つの文字が10cm弱。でかすぎて圧倒された。友達にこの意味なんだとか聞かれているのだろうか。彼は海の男である。強靭な身体を持って、毎日前向きに生きていることだろう。きっと。

2011年8月2日火曜日

歩け!

ここのところ苦しい日々だ。あれこれ考えて、そうだろうなという自分なりの着地点が暗い。好転的な感情が浮かばない。こんな時に家に閉じこもるとろくなことはない。というのが経験上の答えだ。

こんな時は歩く。歩かなくても身体を動かせばいいのだけど、身体を動かす最も簡単な方法は歩くことだ。歩けるところはどこにでも広がっている。

歩いている間、あれこれ考えるべきことが思い浮かぶ。そして、あれこれとよさそうな答えが瞬間的に脳裏に浮かぶ。がたいていそんなものは家に帰れば忘れている。

忘れて、そして再度重苦しくなるが、歩いた分少し疲れているのもあって、苦しさの険しさが和らぐ。それは、疲れているから考えたくないからだ。

今回の苦しさは思いのほか大きい。だから歩く距離も長くなければならない。家にいると暗くなる。本でも読んで忘れようとするが、本を読んでも頭に入らない。だから、歩く。歩いて疲れて寝るのだ。

2011年7月31日日曜日

East Sooke

朝5時半に起床をする。その後、East Sookeのトレイルに行って歩きまくるというのが昨晩の計画。

目覚まし時計がジリジリなって起きるも、ベッドに身体が張り付いて離れない。糊が毛穴から溢れ出、寝ている間にすっかり乾いてベッドにがっちり張り付いちゃった。そんな感じ。時差三時間あるところから帰って来て、少し疲れていたのかもしれない。10時間飛行機を乗り継げば時差三時間が発生する。北米大陸のなんと大きいことよ。

結局六時半に起きてボヤボヤ。その後、やっぱり計画通りEast Sookeまで行く。Andersen Coveの駐車場に車を止めて八時半に歩き出す。

Coast Trailを目指す。昨晩の情報では結構難しい(険しい)ルートだとのこと。行ってみると言われる通り中々。海に沿ってルートが続き、岩が多い。時々崖。そして、岩をよじ上ることしばしば。でも、人は少ないし、景色が素晴らしい。青い海。そして向こうに見えるアメリカ。そこに見える山山。といいたいところだけど今回は雲に隠れていたのは残念。それでも青空と太陽に輝く海は素晴らしい。トレイルは乾いていて歩き易かった。でも、時々岩を上らないといけないけれど。それを楽しめたら素晴らしいトレイルと断言できる。

所々海には小舟が群集し、釣りをしていた。大きい魚を狙っているようだった。

いいですよ。このTrail。

2011年7月30日土曜日

St. Petersburg

フロリダ州 St. Petersburg に出張。この市を拓いた一人がロシア人でそれにちなんでサンクト/ペテルスブルグと同じ名前にしたらしい。

昼間は暑くて湿度が高いが、日の出前後は気持ちが良く滞在先前にある散歩道(トレイル)を毎日歩いた。海から昇る朝日の美しさは素晴らしかった。橙色で水平線近くで揺らぎながら足早に昇る太陽は、昼の攻撃的な白っぽい色に徐々に徐々に歩んで行くのだった。

近くにダリ美術館があって、最終日仕事が早く終わったので見に行って来た。中学の時、初めてしったダリの絵とダリ本人の写真は衝撃的だった。生の絵を時代を追って見ると、彼の絵の変遷が良くわかった。絵を見て何に対して怒っていたのだろうと感じた。そして、キリスト教に強く影響を受けているように思えた。鉛筆で書かれた顔が無く、片膝をついたデッサンが印象的だった。

2011年7月24日日曜日

日曜日も歩くのだ

昨日。Mount Douglas まで歩いて上る。登り口の選択を間違えて一度隣の尾根を上って下って、そして本丸に挑む行程。隣を上る前は崖があり急。そこを上りきって本丸を眺めた時は、その距離が遠く感じた。それでもそこから眼下に広がる景色も中々で気力は維持できた。Mount Douglasからの眺めはさらに素晴らしかった。海に見える島々。少しが霞がかかりながら向こうに見える大陸と雪を被った山。そして、海の蒼。

今日は1時間車を強走らせてChina beachへ。China beachにはいかずにJuan de Fuca Trailをてくてく歩いてBear beachを目指す。Trailは一部がぬかるんでいて普通のランニングシューズで行ったのは誤算だった。Bear beachにあと2km位の所ででかい動物の足跡が点在。イヌかと思ったが、どうも違う。嫌な予感がするので退却。だって、目的地は熊ビーチですから。退却途中、泥濘を避けて木の根っこに足をかけて切り抜けるつもりが左足を乗っけた瞬間に滑って思い切り左の骨盤を打った。ずぼんは泥だらけになったが怪我はしなかった。良かった。

車の帰り道、先のTrail で退却したのが悔しくてEast SookeのTrailに行く。海を見るぞ。今度こそ。と挑戦。予想に反して片道1時間半。予想に反した分、海が見えた時の興奮は大きく、誰もいないので奇声を上げてしまった。海は崖下に広がり、Beachではなく磯だった。磯を構成する岩は密度が高く黒くそまった堅い岩に見えた。自分が知る日本の磯とは見た目が違う。海は透き通り、海の向こうにはアメリカが見えた。

結局、二つのトレイルを挑戦して6時間歩いていた。足には乳酸がたまり怠さがある。これは我慢できたが、25度位まで上がった天気で喉が渇いてしかたなかった。用意した水は600ccでこれでは足りなかった。

短い夏だ。歩き倒そうと思う。

2011年7月21日木曜日

とらうま

夕方の散歩は今や日課だ。海側は風が強いのは当たり前だが、ここのところはひと際強い。それでも負けずにとことこ歩く。今日は歩くこと2時間半。

家の前の船のお医者さん、ドックに「とらうま」という名の船が船台に乗って陸でのメンテナンスを受けている。「とらうま」といっても「Tiger Horse」という名の船で「トラウマ」とは関係はない。

2011年7月19日火曜日

Humidex

カナダ中央部から東部にかけては熱波らしい。ニュースを聞き流すように聞いていたら、ウィニペグで46度だというので驚きとともにバカ正直に信じていた。この世のもんじゃないなと思いながらも疑いもせず。

嫁さんにこれは伝えねばと思い、伝えると信じてもらえなかった。冷静に考えればその通り。

もう一度ニュースを見て真剣に聞いてみると、それはhumidexというものだった。計算式は下記の通りで、露天温度を使って出る係数を気温に加算する。人が平均的にどんだけ暑いかを示す係数というのがhumidexというものらしい。カナダ特有の指数であるということ。勉強になった。日本の不快指数に似たものだろう。へーこんなのあるんだね。カナダ特有ということは、日本人が平均的に感じる暑さの指数にはならないのかもしれない。

こっちは早速夕方あたりから雲がかかってきており、風も強い。あっちが暑いが、こっちは気温がまだ上がらない。その暑さと天気をこっちに少しわけてくれ。 七月も2/3が過ぎてしまった。日本はこの時期に強烈な台風が襲っているし変だ。


humidex = (air temperature in Celsius) + h
h = (0.5555)*(e - 10.0)
e = 6.11 * exp [5417.7530 * ((1/273.16) - (1/dewpoint in kelvins))]

2011年7月18日月曜日

鳥肌もの

なでしこジャパン。優勝おめでとうございます。こちらでは試合時間が丁度昼。それも日曜。ゆっくり見れた。押される展開なのに選手は落ち着いているように見えて、こっちも落ち着いて見られた。同点弾が決まった時、優勝が決まった時、鳥肌がたった。すごいもんだ。

今日は久しぶりにばりっと晴れ。気持ちいい。せっかくの夏なんだから晴れが続いて欲しいが、水曜日あたりから崩れるとの予報。何なんだ今年の夏は。根性無しめ。

せっかく晴れたので夕飯食べた後、散歩。ダウンタウン方面へ。人出多し。観光シーズンか。

会社から帰ってくる時、上半身裸で短パン、両手に片手10kgを超えると推測される鉄アレイを持って汗まみれ、表情なく散歩している六十を超えるだろうおっさんに遭遇した。昨日と違う意味で鳥肌。だが、去年の夏にも彼にあっている。彼も夏を待っていたのだろう。

2011年7月16日土曜日

バランス

今になって晴れ間が見え始めたものの、午前中は雨が降って、午後も曇り。この大陸の東側は熱波が来ているというのだが。向こうが熱波なもんだからこちらは気温の低い雨がちの天気なのか。これがバランスというものか。

昨日ニンニクをスライスしてネギと鰹節とともに豆腐に散らして食べたら、午前中ずっと吐く息が刺激的だった。肺から出る空気は食道を通らないはずだと思うのだけど不思議だ。ニンニク臭が鼻からすっと出ている感じ。それでも、ニンニク臭が残っているからか、ここんとこのネガティブモードからアクティブモードになって、少し雨が降っているのに歩きたくなって歩いた。3時間強歩いたら、靴下によって足の指が拘束されていたせいで右足の薬指に豆ができて潰してしまった。歩いている時はハイになっていたせいか気づかなかった。

帰って来たらニンニク臭は消えていた。

うなぎ を食べたい。山椒をかけて。肝吸いも。

2011年7月13日水曜日

なでしこ

なでしこじゃぱん って誰がつけたのか知りませんが、決勝進出おめでとうございます。明るいニュースです。自然体である時に最大のパフォーマンスが出る。ということを再認識しました。自然体が何か。結局、雑音に遮られずやるべきことに集中するということでしょうか。それも、集中する時に無駄な労力がなく、入り込めちゃう感じ。ネガティブ因子が思い浮かぶことなくて、試合前の恐怖とか無く、ぐっと入り込めるかんじ。誤解を顧みずいえば、「どうにかなるさ」という感じ。入り込んだ時は、チームメイトと応援の声しか聞こえてないのではないかな。それでもって、相乗効果でパフォーマンスが上がるのでは。「どうにかなるさ」は、もちろん練習に裏付けられた自信があると思うけど。負けたら、相手は、とか無駄な想像をしないことが、最大のパフォーマンスを生む必須条件だと思うのですが。

昨晩、雨が降って、通勤路の街路樹というか脇に生えている樹々の葉っぱに露が乗って奇麗だった。その露である水は、水道水よりも純粋な気がした。

2011年7月10日日曜日

横並びの不幸

今日も海外生活といっても日本と代わり映えのない日曜日。こっちにいるからせっかくなんで何かするということもない。生活するっていうのはそんなことだけど。

朝起きて、不意にテレビをつけたら「アンパンマン」をやっていた。一人暮らしの身ではこの発見を息子に伝えることも出来ず。残念ながら一人で見た。息子愛読のアンパンマン図鑑に載っているが、たまにしかでないキャラクターが出て来て、「おー載ってた載ってた」と言いながら見ていた。TVジャパンが日曜朝6時からアンパンマンを放映していたとは知らなかった。といっても一人じゃ無用の長物か。

帰った時思ったのだけど、日本では朝6時代に昔のようにアニメをどこでもやっていない。民放はどんぐりの背比べの情報番組で横並び。今の子供は登校前のあの時間をどのように過ごしているのだろうか。情報番組を見て、テレビの向こう側で流れる定型で何か言っているようで言っていないコメントの数々を浴びているのだろうか。寝てるのか。ネット? 私はあの時間に見る名作アニメの再放送を楽しみにしていた子供だったので、子供にとって気の毒な時代だなと思ってしまう。ひるがえって、このご時世である。横並びの番組形式なら各社で輪番で番組休止したらいいのに。そしたらテレビ局は自信を持って節電を訴えられるじゃないか。

テレビじゃ個性が大事とか声高に言っているわりには、横並びのコンテンツ。マスを狙うためには結局あたりさわりのない中庸で年代問わず平均的に見てもらえそうな内容になるのだろう。相手を消費者として扱うマーケティングとかいうのを駆使して行き着いた先がこれなのかな。

ろ思っていたら、橋本治「橋本治という考え方」(朝日新聞出版社)内で「マーケティングの傘」というエッセイに出くわした。こういう時、「この文章に会ったのは運命じゃないか」と思って少し幸せな気持ちになるのは私だけか。以下抜粋。

相手を「消費者」として捉える、マーケティングという傘である。(中略)マーケティングの傘は、批評の傘とは違って、モラルを問題にしないのだから、この傘の中に「対象」として捉えられると、当然、不幸になる。

詳しくは本を読んでみて下さい。

わからないをなかったことにしない

7月9日の日記

散歩した。三つ編みに編み込まれた髪の束がゴミと絡まって歩道の脇に落ちていた。一見、黒いぼろきれのようであったけど、少し色褪せてパサパサし、所々つんつんと編み込みに反して無秩序に刺だった感じが布でないぞという空気を出していた。立ち止まって見る。一瞬、カラスの死骸かと思った。まさか髪の毛の束が落ちていると誰が想像しようか。ぎょっとした。断髪後のチョンマゲのようで、髪の毛じゃなく、束、そして、三つ編みされたその存在感。見なかったことにしてそそくさとその場を離れた。歩きながら見なかったことにしようとと呪文のようにつぶやくようにして。誰が何の理由で歩道に三つ編みの束を捨てたのか。わからない。

久しぶりに料理。トマトの煮込み。家にある最も大きい寸胴鍋で。玉ねぎ、セロリ、豆、ズッキーニ、ニンニク、鳥肉などをどっさり入れて煮込むだけ。味付けはカレースパイス、塩、コショウ、適当に醤油などを入れて適当に。野菜からだしが出るのでコンソメとかもいらない。油を使わない。平日、料理するのは面倒なので、これをそのまま食べ続け、飽きたら適宜アレンジして別のものにして食べ続けることにする。野菜不足は解消されそうだ。味は、今のところとても美味い。次も食べたいなと思っているので保証できる。次の次は、、、わからない。

昼、TVジャパンでNHKスペシャルの原発危機の討論をやっていた。時間の都合上第一部だけ。第二部は来週また同じ時間にやるようだ。徹底討論と言っていたけど、現在までの時間経過 -玄海原発再開の地元佐賀県の苦悩、ストレステストを発表するまでの政府の紆余曲折、伊予原発への愛媛県知事の対応など-を示す取材ビデオが大半であった。討論はというと、原発推進反対派の技術論に推進派(柔らかく言えば反対に対する懐疑派)が技術論で返す (技術論はもちろん大事だが)、または、重箱の角をつつくように言葉尻を反論するという相変わらずのいつもの風景が大半を占めていたようだ。なんだか、見たといいながら推論めいたことを書くのは途中で飽きて詳細が思い出せないからだ。こんな討論はもう見飽きた。徹底討論ならば、「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように」という点で技術/科学的裏付け、導入/建設/運用過程、事故対策/処理/コスト負担、未来への責任(事故処理/放射性廃棄物処理) 等々を明確にし、現在進行形で進んでいる福島の現状、未来への負の遺産 (事故処理、残留放射線、原発をすれば出る放射線を帯びたゴミ処理など) を直視して討論、議論して欲しかった。それがなければ、事故発生前の議論 -推進、反対両派が自分の意見を言い合うだけ- と本質的には何も変わらない、もしくは後退する。それが怖い。

世界の二割の地震が集中すると言われるし日本で、地震のない国と同じような技術体系で原発を進めることはできないだろう。日本の原発技術は世界一だと言っていたらしいけれど、何か起きた時に水で冷やすだけしか手を打てない技術が世界一なのだ。冷やす水も停電して注入できなくなったのだ。電気を作る原発が電気がないと暴走してしまう皮肉。フィンランドの核廃棄物のゴミ捨て場のオンカロでは、そのゴミが「安全」になるまでは1000000年貯蔵管理するのだそうだ。人間が生きているのかと思える時間スケールで今生きている人間がその安全を保証できると誰がいるのか。百万年後、文字や言語が残っているかわからないので、このゴミの危険性を百万年後の人にわかるような絵を貯蔵施設に掲示するのだそうだ。

今ある自分の数少ない手持ちのコマで考えて僕は脱原発派だ。脱原発は「今」ある人の暮らし(といっても、今の状況をが示すように原始生活に戻るとか、江戸時代に戻るとかそういうことはない)、考え方、システムなどを変えることを迫るだろう。それで世の中が悪くなるとは思えない。これから数年単位で混乱するだろう。この過程を無責任に偉い人達に任せることは避けたい。なるようになるさは止めたい。無責任なのに他人を責めることはしたくない。自分の身の丈で考え、振る舞いたいと思う。わからないことがいっぱいありすぎるのでもっと勉強しないといけないけど。

イタリアで国民投票で脱原発に動いたが、投票とした一般市民が「日本人が事故を起こすんならイタリアじゃ原発なんて無理でしょ」言っていたっけ。

大問題だがわからないことが多過ぎる。わからないことを、わかったふりしをてわすれない。なかったことにしない。

追記:
天野祐吉さんのブログ記事「政府広報ってなんだ」は面白い。
 http://amano.blog.so-net.ne.jp/

2011年7月8日金曜日

なんもないが

開高健の「白いページ」というエッセイ集を読んでいる。ペラペラと読んでいるだけなのに、ことばが研ぎすまされていて、踊っている ことを感じる。「輝ける闇」をまた読んでみたくなった。

あいかわらず食事が懸念材料だ。一人だと料理するのが本当に億劫で面倒くさい。売っている総菜よりは美味いものは作れる。が、それに自己満足しても充たされず。料理する原動力は誰かに旨い、不味いと言ってもらうことなんだろう。

なぜか今うなぎを食べたい。疲れているようには思えないが、食べたい。

2011年7月7日木曜日

七夕

 凹んでいてもしかたない。今朝は曇り。雨が降るかもとの予報。夏なのに珍しい。少し気象がおかしいような気がしないでもない。

息子が先月から幼稚園に通い始めた。そこで、つくった七夕飾りの写真が嫁さんより送られて来た。織り姫と彦星の飾りはクレヨンで顔がかかれており、-親ばかといわれても-、本当に良く書けていて大いに感動した。他の折り紙の飾りも、明らかに自分の幼稚園時代を超えていた。先生に書いてもらったと思われる願い事は、「こうえんで おかあさんと あそびたい」のだそうだ。おとうさんはいずこ? それよりも、願いごととしてはしょぼいなと思ったのだが、嫁さんの指摘により「こうえん」はこっちの家の前の「こうえん」であるかもしれないという考えが持ち上がり、切実な願いごとである可能性が急浮上し申し訳なくなった。ごめんな息子。

というわけで、凹んだ。

そうとはいえ、この便りがなければ七夕であることに気づかなかった。いかんいかん。あれも、これもと大小いろいろな願い事があるが、「家族みんなご陽気でありますように」

星に願いをと思うが、今の所曇天。星空を拝めるか微妙だが、雲の向こうに祈ろう。

2011年7月6日水曜日

できっこないを やらなくちゃ

サンボマスターの受け売りですが。

そんな気分になる、

その前は、ぐっと凹んだ、いや、ぐぐぐっと苛立ちました。できっこない と決めつけても仕方ない。できるかわからない、本当にできないかもしれない。できなくても、やんなくちゃ、なにもはじまらない。できるかどうか、よりも、できそうなことを、やってみるかどうか。がなければ、はなからできこない。何も動かない。

2011年7月5日火曜日

回復

快晴である。雲一つない。

一ヶ月強家を空けたせいで、鉢植えしてあった豆は一部に青い葉っぱを残すだけで茶枯れてしまった。1.5Lペットボトルに水を並々注いでそれを鉢の中の土に差し込んできておいたが足りなかったようだ。もう一方のシソは、シソらしい濃緑の葉が見られず、葉緑素が少し欠けた薄緑で小降りな背丈で弱々しくも生き残っていた。ベランダにある植木は、ここ一ヶ月雨が少なくなったからだろう、日本に行く前までにあんなに緑を蓄えていたのが嘘のように赤茶けた葉になり、葉自体が持つ本来の柔らかさがなくなった。いずれもたっぷりと水を与え、植物の力を信じて、ゆっくりと回復してくれるのを待とう。病がもっとも深い豆は回復するだろうか。それでも待とう。

昨晩は一度目覚めるも6時間弱寝られて、今回は意外と時差ボケが軽いのだな、と安心していたのに、昼前から猛烈な眠気。目を開けているのに頭は働かず。頭が重く、若干締め付けられるような違和感。身体にはまだ日本の昼夜サイクルが染みこんでいるようだ。こちらも徐々に回復していくことを待とう。時差ボケは治らない病ではない。

日本に帰った時、基本的には恩師と、そして時々後輩を交えて、一点で現場仕事をしていたのだけれど、その間、機会があって西から東まで大いに移動した。車窓、飛行機の窓から土地の風景を眺めていた時に田園風景ってなんて奇麗なんだと思った。田植えからそれほど時間がたっていないので水田の水が銀色に輝く。その上を雲が流れると、ちょぼちょぼと生えた稲と水の緑と銀に濃淡が生まれる。その濃淡が変化することから、視覚的に風があることを認める。視野を広げれば必ず山があり、そして川が流れる。豊かだなと思った。毎日目にしている時はそんなことを思わなかったけれど。

家の窓からは海に繋がる入り江と山というか高台が見える。その向こうにはアメリカワシントン州にそびえる高い山の頂上だけを望める。まだ残雪がある。それでも何か足りないのは、田園風景がないのと、山の木々が日本のように多様でないからか(日本でも杉、檜の山は多いけど)。ビクトリアの空港から家までの途中に農村地帯がある。そこを車で通ったりすると和む感じがあった。そこに水田はないけれど、自分に刷り込まれた風景とその農村地帯に共通項を見いだせるからだろう。

震災にあった東北、そして、それに増して原発事故に遭遇した福島のことが気になる。これから、いや既に風景を徐々に回復する作業が始まっているであろう。原発直近の福島においては、震災の被害が少なくても、放射線によってその風景から突然切り離された人も多いに違いない。風景があるのに届かない。その虚無感はいかばかりであろうか。少なくとも、枯れていても手の届くとこにあれば人の心は動く。

2011年7月4日月曜日

一人なにする

時差ボケで4時頃目を覚まし見えた朝やけは枕草子のようですばらしかった。一日中、快晴。気温20度前後。湿度低く快適。秋口−春まで雨が多いこの土地の夏は、人間にとっても自然にとっても待ってましたといわんばかりの勢いがあり、明るい。眩しい。そして、両者がとても嬉しそう。こんな時に仕事をしている場合ではない と思えてくるのだが、それはぐっと我慢するしかない。平日は朝と夕方に散歩でもして、おこぼれを頂いて我慢するのだ。

こんないい天気ですがすがしいのに、日本のニュースをみるとげんなりする。また、辞職か。辞職に至るこの過程がいら立つのだ。「報道に従え」ば言葉の汚い人のようだ。それにしてもだ。まだ仕事もしてもらっていないのに、こんな短期間に辞めさせるかマスコミ。どんな人が正解だというのだ。マスコミが正解とする人は誰なんだ。そしているのか? 教えてくれ。僕はそんな人はいないと思う。どこの政党もきっとどんぐりの背比べだし、今いる人で何とかやっていくしかないだろう。強力なリーダーシップ、スーパースターなんて求める必要もないと思う。それって、全て人任せ、他人事の感覚と表裏一体ではないか。政治家を非難するが、それを育てをしなかったのは、マスコミであり、そして、それに一票を投じる我々だったことは間違いない。1000年に一度という地震規模、複数機の原発事故が重なる危機。これを前後に何か社会的に変わるかもしれない。変わらざるを得ないということになりそうな時に、マスコミの報道記事、言説は益々定型化し、愚劣化しているように見える。煽動しないでくれ。「オフレコ」。これにも文句がある。長年の政治家とマスコミ記者の関係から生まれた慣習としてあったんじゃないの。たまたま今回は出たけど。

もう止めだ。こんな話。

今回は一人でこちらに帰って来た。家族がいない部屋は寂しい。そのかわり自由時間だけは担保される。日本に帰ったついでにまたまたさまざまな本を入手してきた。今回は震災関連の評論集、思想/哲学関連、そして、太平洋戦争をまたいだ前後の近代史に関するものが多い。評論では戦中、戦後と今回の震災/原発事故の相似性が頻繁に語られているようなので、少し近代史を勉強してみよう。そんなわけで、暇さえあれば本を読むということは当分続けそうだ。そして、疲れたら、外に出て散歩に出よう。

帰りの飛行機で「毎日かあさん」の映画を見た。機内本を読んでいたが、消灯されたあと読書灯をつけて本を読むのは気が引けたので映画に移行した。ハリウッドの洋画は面白そうにないし、こっちじゃみれない邦画を選択してのこと。子供がいい味だしていた。子供、アル中の亭主/その後の元亭主、母親/妻/パートナー。それらが絡まって生活して、ああだこうだして、最後に温かい関係になっていって良かった良かったと思った。その時の気持ちに依存はするが、できるなら終わりはハッピーなものがいい。

一人になって一番面倒なのが食事。さて何を食べようか。料理をするのは嫌いでない。ただ一人分を作るのが面倒なのだ。近くに定食屋、居酒屋、もしくは、安っぽい中華屋があれば迷わず行く。

2011年7月3日日曜日

久しぶりに

長いことブログの更新をしていなかった。震災と原発事故以降、なんとなく書く気になれずいたら、それをずるずると引きずって約3ヶ月間休業状態だったというわけだ。

昨日まで一ヶ月強、日本に戻っていた。大学の恩師と作業をする時間だった。久しぶりに長いこと現場作業をした。最初の頃は現場作業の勘が取り戻せずにいたが、その勘もほどなく復活し、よく働けた。そして、とても楽しい時間だった。

日本に行ったらテレビを見る時間が増えるかなと思ってみたら、ぜんぜん見なかった。見たのだけど、見る気になれなかった。結局、暇があれば本を読んでいた。震災、原発事故に関連する書物が書店に出ていたのでついつい買ってしまった。加藤典洋さんの「未来からの不意うち」、吉本隆明さん、鶴見俊輔さんの評論は引っ掛かり何回も読んだ。そして、今も読んでいる。

日本に居る間に浜岡原発の資料館に行った。原子炉の模型は圧巻だった。厚いコンクリート、金属壁に囲まれる炉心。神様を丁重に丁重に怒られないように蓋をして隠しているようだった。地震対策の展示の中には「津波対策は万全」と未だに訂正されず書かれたままだった。

今日はこんなところ。今後はなるべく更新する予定です。

2011年4月16日土曜日

あれこれと

書き物の締め切りがあってそれに追われた一週間。この間、強い余震があり、そして、原発は相変わらず予断を許さない。って当たり前である。

というか原発は廃炉まで何十年もかかる代物であり、その歴史は1942年のシカゴ大学での研究が起源というたかだか70年という技術なのだ。発電に利用する方法はわかっていても、それが「暴れ出したら」それを「諌める」ことは専門家にとっても難しいものであることは今回良くわかった。

自分は原子力のことは今まで何も考えていなかった。原発資料館に子供の頃行ったことがあるがそこで覚えているのは自転車をこいでダイナモで電気を発電するのがいかに難しいかを知ったこと位だ。今考えればそれは、原発以外の技術はいかに発電効率が悪いかということを暗に示していたということだろうか。

今我々は電気を使った生活を享受している。これは素直に認める。日本ではその電力の三割以上が原子力になってしまっていることも知っている。原子力がなければ今の生活を維持できないという理屈も一理ある。が、今の生活を維持し続ける必要があるかはどうか。

たった30年位前は原子力への依存率は数%だった。その当時に比べれば、今の電化製品の電気効率は良くなっているはずである。その当時同様の「夜が暗い」生活に戻れば電気の消費量はその当時以下になる可能性はないのか。原子力=二酸化炭素を排出しない、故にエコという理屈は奇麗だ。しかし、短絡的かなとは今思う。廃炉するにも何十年の代物だ。核廃棄物に関してはその時間を超える長さの管理が必要なのだ。エコと原子力は実は真逆の代物なのだ。きっと。

福島の原発問題が収束することを願う。そして、自分が使う電気と生活に関して考えたい。そして、原発がなければ日本は本当に駄目なのか。エコノミストとかいう人々がいうように。。。これは偉い人が考えるのではなく電気を使う皆が考えなくてはならない近々の宿題だろう。

何かが無い時、無くなっちゃった時には何かで賄ったり、我慢したり、工夫して生活する というのが一般的な生活感ではないか。それだったら原発なくてもなんとかなるんじゃないか?

私は、昔、学校の先生に言われたことを思い出す。特にテストの後によく言われた。

「間違いをしたら、その間違えは何だったのかを考えて、次に間違いをしないようにしましょうね」

今、一部で勢いを増しつつある考え方は、間違いを(その根本から)見直さずにこれからも突き進めと言っている気がする。もっと強固な防御施設やバックアップを作って安全を期せば大丈夫だと言われるかもしれない。が、今回学んだのは、所詮我々が強固と思われるものを作っても、それに対して「想定外」の災害が起きて、意図も簡単に我々の想像を超えて被害が発生するということではないか。その時にまた「想定外」っていうのか。これじゃ先生に叱られるではないか。

「同じ問題出したのに なんであなたまた間違えたの」
「だって想定外だったんだもん」

少し止まって考えませんか? 

数千年かけて学んだ「火」の使い方も時々間違って火事を起こす人間である。火は水をかければ、酸素を無くせば消えてくれる。そして、放射能も出さない。「原発神話」って、原発は暴れ始めたら人間には手に負えない神様みたいなものなのだ ってことなのか?

2011年4月4日月曜日

猪苗代湖ズ

小寒い雨。雨粒が比較的大きく傘がないとびしょ濡れ。


週末、気分転換で車に乗って遠出。最初は小雨まじりの曇り空。目的地からの帰路、時間があったので今まで行きたかった湖に足を伸ばした。そしたら、突然フロントガラスに虫が潰れたような痕が残る雨が。


雪国育ちの嫁さん、雪じゃない? 私、いや、そりゃないでしょ。


と会話した途端、アスファルトが白く変わった。氷に近い雪だった。雹かもしれないと私は思ったが、雪国ではあれを霰か普通の雪と定義されるそうだ。


焦って、路肩に車を停めた時、ブレーキを踏み込み過ぎて車はABSがかかった。車のお尻を振りそうになった。


湖はあきらめてUターン。


帰路で最も標高の高い山で渋滞。雪。私の車はノーマルタイア。そして二輪駆動。急勾配。緊張感溢れる運転。渋滞だし、一速で牛のように進む。ハンドル握る手は冷や汗。久しぶりに緊張感溢れる運転である。渋滞の原因は雪と事故。頂上付近では結構な積雪があったが、渋滞の無い逆路線は凄いスピードで走っている。ノーマルタイヤを履いている車が殆どだと思うのだが、なんという運転だろう。相手がスリップしてぶつかられるのではと嫌な想像もして増して疲れた。






猪苗代湖ズ http://www.inawashirokos.jp/


曲のダウンロードが可能。収益の全額は福島県災害対策本部に寄付される。



「 love you & I need you ふくしま」

ふくしまに ふくしまに ふくしまに
置いてきたんだ 僕は 本当の自分を
ふくしまで ふくしまで ふくしまで
愛したいんだ 僕は 本当の君を
明日から 何かがはじまるよ ステキな事だよ
明日から 何かがはじまるよ 君のことだよ
I love you baby ふくしま I need you baby ふくしま
I want you baby 僕らは ふくしまが好き 
I love you baby ふくしま I need you baby ふくしま
I want you baby 僕らは ふくしまが好き

(YoutubeでPVが見られます。http://www.youtube.com/watch?v=3CQJuAN2BEY) 

震災+原発+風評被害。。。東北そして福島を応援したい。


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大野さん「困っている人」の(http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html)」
ムーミン谷およびムーミンパパも元気なようだ。高野さんがブログで報告している(http://www.aisa.ne.jp/mbembe/)。

2011年4月1日金曜日

とまらない

雨がパラパラ降っている

そこをのそのそ歩いてる

啓蟄過ぎたからなのか

みみずがうにょうにょくねってる

脇にはつくしがにょきにょきと

ぐんぐんそらに伸びている

木の芽は赤児の拳のように

決して固く閉じてない

時間はゆるりと動いてる

春に向かって動いてる

きっと前に向かってる

2011年3月29日火曜日

震災

震災後、テレビの報道に釘付けになった。そして、被災してもいないのに無気力になった。

そんな自分が、震災に会われた方々に何を発すればいいかわからない。「頑張って下さい。私もできるここと見つけて後押しできるよう頑張ります。」こんな言葉しか浮かばない。ありきたりだ。適切な言葉が見つからないのだ。

震災の映像を日本で目の当たりにすることになった。その後、先週こちらに出戻った。その間、震災、そして、それにまつわる原発事故の報道に釘付けになった。昼夜問わず見続けた。この両者の問題の深さを思い知った。千年に一度の震災。そこにのしかかる暴走したら制御が難しい原発。後者に関しては暴走前だと信じるが、二つが重なった現在は「非常時」だと。

「国破れて山河あり」

震災は国を破壊した。しかし、山河だけは残った。後者は少ない少ない光明だ。しかし、原発事故はその山河を目に見えない形で破壊しようとしている。永遠ではないにしても、長い時間スケールで。まるで、ナウシカのように。そこに希望を見出すことは難しい。是非、この最悪のシナリオを避ける方策をあらゆる力-内外の助けを使って-で回避してもらいたい。

そんな中、自分はこちらに戻ってきた。仕事も生活もこちらが拠点であるので仕方ない。が、心の奥が疼く。いいのかと。

2011年2月26日土曜日

すっぱ煮おおうけ

今日もえらく寒い。

同僚に誕生会に呼んで頂いてありがたく参加。ポッドラック形式なので手料理をこしらえて持参。一つは肉じゃが。もう一つは鳥のすっぱ煮。後者は冷蔵庫に八角があったので生姜、ニンニクの欠片とともに一つ入れて煮てみた。

すっぱ煮は、酢の匂いがぷんとするので受けが良くないだろう。肉じゃがはくせが無いのでいけるだろうと踏んでいた。ところがどっこい、すっぱ煮がやたらウケてあっというまに無くなった。意外だ。何人もの人にレシピを聞かれるが、レシピなんてない。鶏肉にこげめをつけてから鍋に入れ、そこに醤油、酢、砂糖、酒、水を入れて煮るのだ。と言ったら、分量までつっこまれたが、そこは味見しながら決めてくれ。水物は1:1:1:1で入れてくれと適当に答えて流す。大雑把だが間違ってはいないだろう。グッドラック。自己責任でがんばって作ってもらいたい。

客が一人一人帰る時に、「チキンうまかった。ありがとう」と言われる。今後、会って名前を思い出せない時などは「あのチキンの。。。名前なんだっけ」という具合に、チキン呼ばわりになるのだろうか。それでもウケたのは悪い気持ちはしない。また、料理の才能があると少し自惚れられて良かった。

誕生会といいながら日本酒試飲会を兼ねていたので、日本酒に関してあれこれ聞かれる。ラベルを見て知っているのは「久保田」のみ。あとは全く知らない銘柄。味はそれぞれ違うのはわかるのだが、みなワインのソムリエみたいに「バナナっぽい味がする」とか「後味にすこしサイダーぽい感覚が残る」と言われて、言われりゃそうだな と思いながら、「そうだね。その通り。でもこっちの方がドライだね」とか適当にかぶせる戦法で流す。月桂冠の冷やはまずいと断言できて(まわりが純米酒、大吟醸だったので)、これは熱燗にした方がいいと言ったらさすが日本酒に触れている日本人は違うと言われて困った。

相変わらずこういうパーティーで頃合いを見計らって帰ることができず、最後まで参加。同僚に勧められるまま日本酒を飲み、みんなスパークリングウォーターを飲んでいる時間になっても、同僚に勧められるままビールを飲んでいた。日本酒ではじまってビールで終わるのは初めての経験である。

いろんな人と話できたし、率直に楽しかった。

明日、日本に帰るのにこんな時間に帰宅である。もうパッキングできているし、フライトも昼なので余裕はある。

2011年2月24日木曜日

寒い。フードってありがたい。

昨晩から今日。こっそり期待した雪は降らず。その代わり風が強い。昨日同様に気温は上がらないため、風が強い分、今日はとても体感気温が低かった。

気温が上がらないので雪は融けず。よって、踏み固められた雪は堅く堅く氷のようになっていた。所謂、アイスバーン。何度かつるっとこけそうになったが、頭も腰もうつこと無く通勤路を往復できた。

フード付きの服って、今までフードを使うことがなかったけれど、こういう日にかぶってみるとなんと重宝な物かと思った。フードはちゃんと意味があるのだな。と思えた。

カダフィ大佐の演説を聞いた。チャップリンの独裁者みたいだった。論理的なことはもうできず、思考停止し、自説を声高にそれも少し上ずった感じで語る姿は末期だ。チュニジアから始まった革命はどこまで広がるのか。

2011年2月23日水曜日

雪の一日

既報の通り雪。昨晩の天気予報で雪の予報だったし、朝起きたら何時もより冷え込んでいることを肌で感じたので、カーテンをぱらっと(期待を込めて)開けてみると、「そこは雪国だった」。

こりゃ写真と思ってデジカメを手にベランダへ。おっと、下半身はパンツ一丁、上半身はTシャツ。寒い寒い。が、戻るのも面倒なので、つま先立ちで鳥肌を立てながら写真をパシャパシャと取る。何時もに比べると車の通りが少ない。雪があまり降らないビクトリアでもスタットレスタイアに替えている人は結構居る。が、替えていない人は運転できない。チェーンを付けなければ。寒い寒いとがたがたしながら部屋に戻って窓を閉める。いつもに比べて車の通りが少ないので静か。いつもの朝の喧騒がないので、布団に入って寝たくなった。

といってもサラリーマン。仕事。通勤路。雪。そんな中果敢に自転車で通勤する人が見られる。高校の時、台風で冠水する道を自転車で友人のN君と冒険するように攻めたことがあったが、あの時の我々の経験同様、自転車通勤の人々は圧雪されていないふかふかの雪にタイヤが埋まり、足を取られて四苦八苦していた。お。。おおおお。。お。。おおおお って感じで自転車の前輪をくにくにさせて、かつペダルが重そうな感じで進んでいた。

その横を何故かあるスノーシューズで進む自分は気分がよかった。ふかふかの雪もずぶずぶと歩きたくなった。やってみると、ズボンの裾に雪が付いて体温で融けると冷たくて不快だった。でも足でふかふかした雪を踏みつけるのは楽しくて、遊んでいたら何時もより通勤に時間が懸かった。

会社に到着したら、雪かき要員となった。スコップで雪をのける。仕事より楽しい。まれにあることは、日常と違う感覚で楽しいわけだ。会社の駐車場全ての雪をのけて終了。また、同僚の若手は隣の老人の家の雪かきをしていた。隣の老人は顔見知りで、こういう助け合いっていいな。「近所付き合い」って日本に普通にあった(ある)文化を思い出した。

帰り、雪は止んでいた。

たまになんだから、もっとどっと降ってくれと今でも思っている。雪かきなら心配いらない。明日も喜んで引き受ける。

あと、今日は昨日に続き同僚の誕生日。3時にケーキをみんなで食べた。ケーキが続いてカロリー過多になりそうだけど、それは今日の雪かきのエネルギー消費で相殺されるたであろう。同僚。おめでとう。雪もあなたをいわっているよ。

どかっと雪

ビクトリアでは稀な雪、というか、積雪。明日も降るのでしょうか。たまになら楽しいです。どうせ平日は車を使わないのでどーんと降ってくれればいいなーなどと適当なことを思っています。ひとまず写真をどうぞ。





2011年2月22日火曜日

誕生会

社長の誕生日。お昼はチョコレートケーキでハッピーバースデー。ケーキカット、カットしたケーキを配る社長。しかも、コーヒーを入れてくれる社長である。身体は大きく、赤いちゃんちゃんこ+1歳、それに有名な賞を昨年貰っている社長じきじきである。有り難い。

そして、先週日本に出張した帰りに、日本からお土産に貰って来た姫路の酒蔵の大吟醸で乾杯。一人一人のコップやカップに社長が直々に注いでくれる。チョコレートケーキの後にというのがもったいないが、うまかった。

箱に大きく「世界ワインセレクション金賞」とあってその賞に恥じない美味さ。日本酒もワインの部類なんですね。醸造という点で。大吟醸のラベルや産地、吟醸度などそれを英訳する係になって四苦八苦。吟醸とはアミノ酸が日本酒のキレを悪くするので米を磨くのだ。大吟醸とは磨きに磨いた米を使用した貴重な日本酒なんだとか。その後、日本酒の作り方、酵母を入れるのか等々厳しい質問が続くが、そこは日本酒好きの同僚がフォロー。日本酒のことに関して実は同僚の方が詳しい。「こうじ」や醸造過程などこと細かく知っている。その後、同僚が日本で飲んだひれ酒を飲んだら悪酔いしたとか、僕が日本酒を飲み過ぎた後の二日酔いは酷く、酸っぱいとかネタをそれぞれ披露した。

日本酒は社員全員に好評。昼間から日本酒。ということで美味いけどみんな遠慮気味。同僚と僕が結局、美味い美味いと一番飲んでいた。飲んだ後、当然仕事に取りかかったけれど、30分ほどとてもいい気分だった。

小さい会社だからできることだ。小商いの身動きが軽い仕事場はいいな。やっぱりね。

それと、告知。今週土曜にこちらを発って、出張で日本に行きます。チケットもようやく確定して、正式決定です。

2011年2月21日月曜日

朝布団から出られず。本当は身体を動かすつもりだったが。怠惰。ここ数日の朝を形容するならばこれだ。カントは「自由とか責任は「自分で選ぶ」「自分が引き受ける」こと」「責任があると思うところにしか責任は発生しない」と言っているらしい。ということは、この怠惰に反省もないので責任は発生しない。自分で選んで怠惰したのであるから、これはすなわち自由を謳歌しているのだ。多分、カントの思想を誤解しています、きっと。。。

午前中、手元にある諸々のことが期限切れ寸前だったり、まさに期限が切れて放っておいたものがあって「自分が引き受けて」=「責任を感じて」思い尻を上げて政府と州の出先機関に行く。来週から日本に一時帰国することもあって、やっておこうと決意したことが、この行動の大きなドライブとなった。政府の方は行ったら行列。待ち時間が長い。待ち合い所の周りに情報検索のためのパソコンが一杯あって、それらが使われずスクリーンセーバーがグルグルと回っていた。その内容は要約すれば、カナダの国旗とカナダという名詞がどーんとでかでかと描かれたものであり、読む本も無くそれを眺めていたら、「自分がカナダに居るんだ」ということを思い出した。これはいわゆるサブミナル効果か。最近は、ここがカナダと思えない程、家に籠りきりだし、外に出ても感覚が鈍化しているのだ。私はカナダにいるのだ。そう言えば。ここのところの生活はカナダ感が一切感じられなかっただけにおーそうかという感覚。

行きがけの通勤路。赤い実を3粒つけた柊の弱々しい木を目に留める。何故か、無意識に毎日この柊が目に留まる。ずいぶん前から赤い実をつけたままだ。それが落ちるのでもなく、赤い実の色が褪せるわけでもなく。たった3粒なのに、その柊の実は自分を何時も監視するように鋭い。いつもいつも、歩きながら、止まることはないが、見てしまう。

カナダと柊。共通するのは赤。そこに感じるのは温度かな。そういえば、日本の国旗も真ん中に赤だ。

どうも、右足が繋がるお尻の関節の奥が冷えるとじんじんする。痛めたかな。。。

2011年2月20日日曜日

待つということ

あんたは、本を読むしか楽しみはないのですか? 。。。えぇ。他にもあるのですが、大部分はそうですね。と答えざるを得ない。学生時代もそうだった。暇があれば本を読んでいた。と言えば格好がいいが、暇が一杯あるので本を読みまくっていた。のだ。

今、一人。暇は思うがままに作ることができる。あまりうれしいものではないが。作ってしまったら、優先順位を作って時間を充てる。読書が好きというのもあるが、時間を潰せるという意味では読書はありがたい。時間を潰すという負の感覚はあるが、読書していると(頭にぜんぜん入っていないこともあることを前提に)、なんとなく頭を使っているという(世間体に考えて)正の感覚を得て、時間を浪費している感覚が薄くなる。

鷲田清一「待つということ」を読了。要約をするよりも、前書きを引用する方が早い。長いけれど。

「待つ」は偶然をあてにすることではない。何かが訪れるものをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくよいうのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するもものはある。あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、それでも自らを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、「待つ」はいまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世の信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろいう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とそこで言うべきだろう。

今、横で流れている大河ドラマ「江」を眺める。信長、秀吉、家康の「ホトトギス」の詩を思い出す。家康にとって「待つ」ってどうだったのだろうか? 

内田百閒「第一阿呆列車」を読み始める。百閒の頑固ぶりというか、偏屈さが露で読みながら笑ってしまう。手元にあるのは新潮文庫版であるが表紙の写真からして面白い。この偏屈具合を笑える余裕がある方はぜひおすすめです。立ち読みしてからどうぞ。

昨日作った鶏肉の酸っ煮が美味しかった兼煮汁が残っていて捨てるのがもったいないということで再度作る。酢を昨日より多めに入れてみたが、酢の嫌みは無く、美味い。

それを食べながら、「江」を見ている今。脇役渋いですね。個人的には「江」まだ浮ついた感じですが、今後落ち着いてくるのかな。

待つということ。江は落ち着くかな。

2011年2月19日土曜日

レヴィナス

土曜日。朝寝坊。起きられなかった。

一度、さっと布団を出て、ituneに入れてあるラジオ、平川克美、小田嶋隆の「ガラパゴスでいこう」を流して、さっと布団に潜って聞き流す。思い出せば、時間を適当に扱えた、扱っていたあの頃のような時間。どこか後ろめたいけれど、布団の中は温々として優しい。甘えたくなる。

それでも、いつしか布団を出て、レヴィナスの入門書を片手に風呂。「意味ある世界とは「他者」がいる世界である。私が享受する世界は「他者」によって意味あるテーマとなる」。という言葉に痺れる。一人じゃ、意味を見いだせない。他者との関係から自分がいる意味が見いだせる。ってことかな。それって合点がいくような気がした。

レヴィナスの入門書を読了してテレビ。「”愛と胃袋、スペイン” 角田光代のバスク」をやっていたので見る。バスクってスペインの中では特殊な文化的特徴を持っているのは何となく知っていた。が、その料理が美しく、居酒屋のおつまみの色とりどりさ、おいしそうな感じを見て驚いた。肉、魚、野菜。美味しそうだった。特に野菜は美味しそうだった。本来のバスク料理、旧来のバスク人が好むのは塩味が濃いようだった。昔の日本の食卓と同じではないか。今の日本、いや、国際的に高塩分食は嫌煙されるが、肉体労働をする人々にとっては塩が身体に重要だったのだろう。

夕方になってスーパーで食材を買う。今日は少し料理をしようと食材を選ぶ。スーパーに行く間、つかの間ではあるが、空を眺めると雲が少ない爽やかな青い空が素晴らしかった。太陽は西の低い角度におちかけており、うちのアパート玄関そばに生えているススキの綿毛が、その西日に黄金に輝いていた。それを見た時、子供の頃、学校から帰校途中に生えていたススキの光景を思い出した。

安い手羽先、卵、ネギを買って、醤油、酢、みりんで調理。手羽先は少しフライパンで焼きめを付けた。卵はゆで卵にした。それを上記の調味料を適当にいれてさっぱり煮。最後にネギをまぶして食べる。やっぱり、売っているものより、自分で作る料理の方が美味い。と確信するが、平日は作る気に中々なれないのだな。

他人がいれば、平日でも作るのかな。レヴィナス。。。

2011年2月18日金曜日

祝 4歳

めでたく今日で息子は4歳になった。めでたし、めでたし。

帰りスーパーに寄る。
入り口にパンジー、チューリップが配置されて、
色とりどりに息子の誕生日を祝うかのようだった。
それは錯覚だけれど、その錯覚こそ日々を幸せにするのだ。

現実は、スカイプするも、アンパンマンに負けた。

一人寂しい夜をビールで流す。

「負けた、負けた、今日も負けだ
光るコトバ見つからない
酒だ、酒だ、飲んでしまえ
虎にもなれず溺れる」(「虎」ハンバート ハンバート)

となりそうだが、
あいかわらず猿のように元気な姿を見ると、
ほっとする気持ちになった。
冷えたビールはその気持ちを一度冷やし現実に戻すも、
次第にそのアルコールで身体を暖め、
ほんのりした酔いで思いを深くさせるのだった。

4歳。うれしいよ。ありがとう。

2011年2月17日木曜日

ぷれ4歳

息子の4歳前日。マックの中にある写真アルバムを見ながら感慨にふけっている。私はその間あった、いろいろなことを思い出ししんみりしている。

大きくなってしまった。 でも、ありがとう。これが感想だ。「なってしまった」「でも」って変だけど、そう思うのだ。

今の息子は、今の僕には敏感に感じとれないことを表現できているようだ。例えれば、「となりのトトロ」のサツキとメイちゃんが、「まっくろくろすけ」「トトロ」を見ていた世界を体感し、表現できているのかもしれない。高橋源一郎さんが言っていたことを引用すると、息子は「神話的時間」を今味わっているといえるのではないかと思う。息子にはその時間を味わい尽くしてもらいたい。

2011年2月16日水曜日

青魚

昨晩、身体の異変に逆らわず、早寝。目を瞑ったら即死しと例えたいぐらいの脳シャットダウン。5時にぱっと目が覚め起床。

通勤路。数本の木(たぶんネコヤナギ)に柔らかい灰色の小さな毛玉のようなツボミがぽっぽっっと出始めていた。春近しということか。

魚が食べたい。サーモン、タラ以外の魚だ。できれば小型魚のイワシ、サンマ、鯵など。が隣のスーパーにはない。イワシは家から少し離れた魚屋に売っていたことを記憶している。ビクトリアで冷凍サンマは見かけた事があるが、鯵はない。わざわざ魚屋に行くのも面倒だし、まして、行って無かったとなればその徒労感は想像するだけでも恐ろしい。

帰路、木橋で魚を釣っているおっさん二人をみかける。そうか、釣ればいいんだ。ちょっと話かけて仕掛けを見せてもらったらサビキ(疑似餌)釣りだった。サビキなんて日本固有のものだと思っていたので目から鱗。

結局スーパーでサーモンの缶詰を買って、魚を食べたいと欲求を満たす、いや、ごまかしているのが悲しい。

2011年2月15日火曜日

寝るって大事、特に私は

朝3時に目が覚めた。何もすることがないので寝っころがって天井を見たりしてぼーっと過ごす。そんなことをしていれば眠れるかなと思ったけど眠れない。結局ずっと起きていた。

通勤時、風が非常に強く、個人的に大好きな木橋を渡る時、海側から吹きすさぶ風に身体をグイグイと押され前進するのに抵抗があった。それでもその風は、台風中継の下の下って感じだったと思われるが、今日の自分の身体状況にはその風の圧力は十分に暴力的であった。そんな地上を吹き抜ける風の力は上空では想像もできないほどの強さだったのか。天に擡げる雲はぐんぐんと東へと流され少しずつ青空が掘り起こされていた。

仕事をしている時、頭がくらくらと浮遊した感じで調子悪し。集中力が湧かない。これは寝不足が原因だったかもしれない。くらくら、ふわふわとした感覚が止まると頭を締め付けるような痛みが走る。でもその痛みは数分間起きては、一時的に消滅するの繰り返し。なぜか、終業し、帰路を歩き始めたらその痛みは消えた。しかし、足下は重くいつもの歩行速度に比べて遅かった。なぜか、その分、呼吸が深かった気がした。

家に着いたら、身体と足が床にねばねばと垂れ落ち粘着して身動きがとれない感覚を覚えた。そして、そのまま絨毯の上にうつ伏せで寝転った。身体が重力に逆らわず下へ下へと落ち沈む感じで、その力に抗することはできなかった。床に身体がとけ込むような感じだった。

こんな時こそ食べねば病気になるなと思いたち、粘つく身体を持ち上げた。夕飯を作る気にはならず、冷蔵庫にあるものを賄って適当に食したら少し身体を持ち上げ続ける気がわいた。それでもって、現在はどうにかソファーに座りながら日記を書いている。しかし、ソファーに尻が接着したような固定感覚と重さはある。風邪をひく前兆のような気がする。身体を立てているのが辛い。

自分は寝不足には適応できない人間だ。昔から認識していたのだけど、今日はやってしまった。しかし、目覚めた自分に抗すことができなかったのだ。理由はわからないが、抗することができなかった時点で少し身体が弱っていたということか。

2011年2月14日月曜日

ジョナサンのバレンタインデー

昨日早く床についたにも関わらず、早起きする気にならず。ぬくぬく布団にみの虫のように潜り込んでいた。

出勤。入り江の水面を見ると白鳥が一羽。これは先日見た「ジョナサン」か。相変わらず悠々と泳いでおり、今日は前よりも港側まで泳ぎ出しており相変わらず自由な感じであった。

帰り、上空には曇天が重苦しく地上に蓋をするように天を妨げるようにのぺっと重ね塗りしたように覆っていた。そのため時間にしては薄暗い。個人的に大好きな木橋から往路と同じように水面を眺めると白鳥が二羽。つがい? ジョナサンは彼女を得たのだろうか。二羽は同じ方向で一定間隔の距離を開けて優雅に泳いでいた。その距離感が「私はあなたの影を追います」というような感じであるが、お互いオスどおし、または、お互いメスどおしという状況も考えられ、60年代の日本のテレビドラマ、映画の情景は成立しないかもしれないな。などと思った。

スーパーで適当に夕飯の材料を買う。いつも月曜は客が少ないのだが、いつもより多い感じ。レジに進むと花束を購入する男性が多い。そこで、「あ、今日はバレンタインデー」と気づいた。

二羽の白鳥の一羽はジョナサンと信じる。やるなジョナサン。同性愛であっても、バレンタインデーに二羽なんて粋な奴だ。

大野更紗「困っている人」更新。絶対読むべし。
http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html

2011年2月13日日曜日

休日にしかできない休日の日常

朝起きて直ぐ休日らしい平日にできないことをしようと決意。起きてすぐジムへ行って一時間半程有酸素運動。その後、一時間半程、ヨーガ。その後、散歩二時間半。

散歩はダウンタウン方面を介して、海岸沿いを歩き続けた。ビーコンヒルパークに近い海沿いの芝生域には犬がうようよいて戸惑った。犬を苦手としている人間の周りに紐で繋がれていない自由な犬がうようよといるのは大変精神的な圧迫だ。相手の犬は悪意無く近づいてくると思うのだけど、そんなことしてくれなくてよろしい。大小様々な犬がいて自由気ままに接触してくるし、時折、犬どおしが接触して怒号のような鳴き声を伴って喧嘩したり心休まらなかった。

帰宅後、足指、裏を中心に疲れていたので風呂。風呂で加藤典洋の本を読む。頭が悪いので本の内容についていけず、行って戻ってを繰り返す。1ページの読み込み速度が遅いので全然前に進まなかった。本当は読了するつもりだったが、残り100ページ弱を残す所で風呂から上がった。

上がった後で早めの夕飯を作って食べる。その間、「江」を見た。本能寺の前に蘭丸が光秀に手紙を送っていたというのは歴史的事実なのだろうか。

現在、まだ、時間が早いので本でも読もうかと思うが腹が膨れてそんな気がしない。

2011年2月12日土曜日

ガラパゴスでいいじゃない

雨模様。雨粒が大きい、しとしと というよりも、 ばらばら という感じ。時折、風も強かった。

久しぶりに掃き掃除。久しぶりというのは非難されるべきであるが。掃いて集めてみると塵は多かった。塵を構成する一番のものは毛だ。自分が生活密度が高い所に沢山落ちていた。

朝起きて直ぐ風呂。最近の流れ。今日は休日なので角田光代の小説を持ってゆっくり浸かった。本を読み終えるまで浸かるとなると、途中で風呂の温度が体温以下になることが何度もあった。思うに、日本の風呂に比較すると保温力が弱い気がする。基本的にシャワー文化のこの国。浴槽はあくまでもシャワーのための防水壁なのだろう。お湯をためて長風呂という機能は弱いのかもしれない。風呂の文化に根ざした風呂釜。シャワー文化に根ざした防水壁を持つが保温性の低い箱。

考えるに、日本には日本の特殊な文化、技術、歴史、言語等々ある。がそれが文化である。グローバル化という流れに合わせて盛んににその固有、言い換えれば、日本以外に通用しないものは「ガラパゴス化」と評価されるのはどうか。人が減る日本でこれからも儲け続けることを考えればグローバル化を目指せというのがグローバル化を主張する方々の肝のような気がしてならない。頭が悪いので間違っているかもしれないけど。日本の文化。日本しかできない、もっと、極地的に言えば日本のその地方しかできないということを持っていれば、世界、もしくは、日本の中で捨てられない存在になるのではないか。特に情報がインターネット等で自由自在に拾える社会では。グローバル化、または、都市化と称して均質化すればするほど、その国、その地方の存在感は埋没し滅するのではないか。そういう意味では、ガラパゴスでいいじゃない と思う。この ガラパゴスでいいじゃない は、 岡康道、小田嶋隆の著書名のパクリでもある。パクリでもいいじゃない。

2011年2月11日金曜日

落とし物は赤い色

うんこは予想通り赤ワイン色だった。観察した所、「ブツ」のなかにブツブツと粒のままの米がまばらに混じっていたので消化には悪そうだ。ということは、同じ食べた量であっても赤米+赤インディカ米はエネルギー効率が悪いということだろう。同じ量を燃やしたエネルギー/カロリーは一緒でも、人間の身体に入れば一部は消化できず排出されるということである。野性生活であればなんとも勿体ないことであるが、飽食の人間世界では有り難いことになる。価値は相対的である。相対性理論。アインシュタイン。である。

白菜とキャベツを夕飯の為に買った。スーパーのレジは見慣れない叔母さん。新人だった。そのため白菜の英語名わからず。恥ずかしながらカナダ生活2年の私もその英語名は知らず。レジに並ぶおばちゃんが助太刀して「それはホワイトキャベツよ」と言った。それは直感的に間違っていると思ったがおばちゃんは言い切る。私は無言。レジの叔母ちゃんはそれに従いレジ機でそれを確認するがもちろんない。でも、おばちゃんは畳み掛けるように「それはホワイトキャベツだって」と言明する。レジの叔母さんは探すのも面倒臭くなったのかキャベツとしてレジ打ちしていた。二人のおばさんのやり取りに圧倒されて呆然と眺めていた。帰宅後、辞書で調べると白菜は Chinese cabbage、napa、nappa cabbageと言うらしい。napa, nappa ってわかり易い。日本人が言い伝えたのだろうか。。。起源は何?

エジプトのムバラクが退任した。今朝からこちらのニュースはこれに終始した。例え、それがローカル局であっても。アメリカに力がさらに弱まったと言えるのではと思う。その一方でこれはベルリンの壁崩壊に匹敵するイスラム圏での出来事であると思うのだが。

2011年2月10日木曜日

朝粥

朝ふと水面を眺めると白鳥が一羽悠々と泳いでいた。大きいかったからオオハクチョウかと勝手に解釈。嫁さんの所で野生の白鳥を見て興奮したが、あまりの群の数と雪の上に大量に垂れ落とされた糞に少し引いた記憶がある。今日の白鳥はたった一羽で、周りには仲間が見られない。人間で言えば背筋が良いと例えられるかもしれないが、首をピンと伸ばして、俺は自由だぞという感じで前を見据えて前へ前へと流れるように泳いでいた。一瞬、カモメのジョナサンを思い出したが全然違うか。

朝粥。近くのスーパーでインディカ米のような縦長の赤い米を発見した。価格も雑穀並みに安かった。実家から送ってもらった赤米は少なく貴重なので有り難い。前回赤米を食べる前は、赤米をなめていたのだが、小豆のようなほんのりした甘さがあり気に入ったのだ。小豆のような豆独特のぞぶぞぶ感はなくさらりとしているのも気に入った。白米と赤インディカを半々、そして、少々の赤米を作って30分強多めの水で炊いてみた。出来たお粥は赤ワインのような色だが確かにお粥であった。少々の塩を加えて、そこに日本で買って来た菜飯の素少々、それにごまを加えて食べた。うまかったー。身体も暖まって、今日も一日のりきるぞ というような気になった。食べるは生きることだとしみじみ感じた。

明日か明後日に出るであろうウンコの色に興味がある。

2011年2月9日水曜日

火事?


朝寝ぼけ眼で窓から外をぼんやり眺めたら、遠景の丘陵の一点が赤々と燃えている。火事かと思って霜の降りた外気に躊躇しながらもベランダに出て確認する。

朝日がビルの窓辺に反射して赤々と輝いていたのであった。

2011年2月8日火曜日

うす橙色の景色

朝早く目覚め、いつものように朝風呂兼読書。一時間半程。その後、軽くヨーガしてみたが、右足大腿部の筋肉がどうも張っていて前屈が気持ちよく無い。それを感じて、右大腿部に負荷がかかるものは無理が懸からぬ程度に行う。その後、朝飯を食べ、歯磨き。歯を磨いてから水を飲む瞬間が私は好きだ。今日は水を二杯飲んだ。歯磨き後のハッカっぽい爽快感が水の本来の温度以上にすっとする感じが好きだ。

朝出勤のためアパートを出てみたら。大粒の雨。コートのフードを出して頭に掛けて歩く。雨粒が比較的大きく傘を持ちに帰ろうか悩んだけど、目に見える範囲で歩く人はほとんど傘を差しておらずそのまま歩き会社へ。途中雨は止んだ。地元の人の長年の経験は正しい。

普通に仕事して、普通に帰社。帰り、晴れた夕暮れの帰路は奇麗だった。悠々と羽ばたく(しかし、ウンコをいつ垂れるかわからない)カモメ。夕暮れに輝く遠くに見える雪山。凪いだ入り江で練習する漕艇(ボート)競技者。少し橙色に輝く景色がとても気持ちよかった。

2011年2月7日月曜日

もしもピアノが弾けたなら

ここのところ朝起きるのが辛い。今日は月曜日。できる限り床に入っていたい。家を通勤のために出発する時間から逆算して身なりを整える時間等を鑑みて最大限を布団で過ごしたい。目覚ましは通常の起床時間にセットしてあり、きちんとそして無情にも鳴り響く。が、さっと手だけが目覚ましに伸びて停止させ、上述のような思考回路を一瞬にして働かせて再度設定。というような朝である。身体が芯から疲れている感じである。または、たんなる怠惰か。わからない。


普通に仕事をした日中を経て、今晩はダウンタウンで行われるブルースのライブに行った。同僚がチケットを手配してくれた。出不精で面倒臭がりな私が能動的に夜でかけることは稀である。そういう点で、同僚には深く感謝する次第だ。アーティストはJon Cleary。アメリカのニューオリンズで20年程生活しながらプロとしてブルースを響かせている人。会場はHarpo's at Upstairs Cabaret。初めての場所で、行ってみたらへーここってこんなんだったんだとの感想。良く通りすぎている所であった。会場内部は狭からず、広からず。70−80名程度の会場か。ジャンルとその客層からか会場内も落ち着いて良い感じ。Jon Clearyはこれまた初めて知ったアーティストであったが、大変素晴らしかった。ハスキーでありながら甘い感じの歌声はそれ自身が素晴らしい楽器のようであった。そして、ピアノの演奏も大変痺れる感じでこれまた素晴らしい。私は奏者から距離にして5m弱の場所に座って鑑賞したが、ピアノを引く手がまるで蜘蛛、それもタランチュラのように見えた。手の指の動きが、規則正しく自由に動く蜘蛛の足のようだったのだ。ピアノ奏者の指をあまり見た事なかったが、時折叩くように引く指は関節まわりにと手の平および甲にしっかり筋肉がついていてメリハリのある手をしているように見えた。まるで、肉体労働をしているしっかりとした手といったところか。鍵盤を自由自在に操る手は蜘蛛のように鍵盤上を這うように動き、時々、手の甲を浮かし指を立ててそれが少し背伸びをした猫のようにも見えた。音楽に聞き入るだけでなく、その手の動きにも見入ってしまった。CDで聴くだけでは知り得ないこと。目から入る情報、そして、観客とアーティストが作る雰囲気、そしてもちろん素晴らしい演奏、曲と唄。ライブ感ってのはこれらが揃って共鳴する感じを言うのかななどと思うのであった。

もしもピアノが弾けたなら。。。とも思った。

最後に、重ね重ねチケットを手配してくれた同僚に感謝したい。良い経験でした。

Jon Cleary: http://www.joncleary.com/
Victoria Jazz Society: http://jazzvictoria.ca/

2011年2月6日日曜日

私は本が、活字が大好きです

外は曇り時々雨。相変わらず読書がメインの休日。

紙の上のことだけじゃだめじゃんと言われればその通り。ではあるが、本っていいもんだ。一生経験できないだろうことも、頭の上で経験できるから? さーわかりません。それでも、読んだ後にあーでもない、こーでもないとあれこれするのがいいのかな? 私は高校まで本を買ってまで読む人間ではなかった。ただ、それまで国語の教科書に載っている文章を読むのは好きだった。でも、国語のテストは出来悪かったけど。あと、教科書に載っている著者紹介も好きでした。なんでこんな人がこんな文章を書くのかなぁと想像するのも面白かった。そして、大学に入る前から好き勝手に文庫を買って読み出したのが今に至る。

昨日は角田光代「ロック母(講談社文庫)」を読んだ。久しぶりの小説(短編集)。小説ってやっぱいいですね。評論、哲学を読むのと違って、絵として頭に残る。そして、その絵を自分の中でアレンジしながら読了したあとあれこれ感じて考えて。本っていいもんだ。ま、そんなところです。日本に帰る時(未定)を夢見てアマゾンで本をぱちぱち選んで「欲しいものリスト」に入れるのは毎晩のこと。読みたい本とか知的欲求を刺激しそうな本が多過ぎる。暇な時間があるからそんなんだよよいわれればそれまでだが。暇な時間は本を読んでいたい。

エジプトは小康状態。でも西欧各国はエジプトの監視を強めている。日本は? 

相撲。昨日の朝日新聞にあった記事抜粋。「春日錦が現役時代から所属する春日野部屋は、稽古が厳しいことで知られる。八百長に対しても厳格で「前の師匠(元横綱栃ノ海)の代から『八百長とは絶対にかかわるな。もしかかわったら、廃業しろ』と指導されていた」という。」これって相撲協会の「昔は無かった」論をグラグラにするのでは。八百長の背景は昔からあったっていうことを示しているんじゃないの? 

2011年2月5日土曜日

くうねるあそぶ

だらだら土曜日。朝起きて、ぼーっとしながら朝風呂。朝風呂しながら本を数冊並べて読書。飽きたら次、飽きたら次と読む。汗がしたたるので単行本を読むのは気が引ける。そのため、文庫か新書にどうしても制限される。最近は思想書か哲学の読書が多い。これは全て、学生時代に読むべきものを読んでいなかったことに対する反発であろう。今更ながら知的教養に飢えている。はずかしいが。それでも、それに気づいただけまいいか。死ぬまで勉強とは良く言うがその通りだきっと。知識が入れば世界の見方はその分変わり、世界は広がるのだきっと。

昼、少し昼寝。これは休日だからできること。身体が少し疲れ気味で、毎晩早寝の状況でも身体は昼寝したいようだった。なんと心地良いものか。筆舌に表しがたい。

キャベツを丸丸一個、それにニンニクとソーセージ、トマトの水煮をいれてぐつぐつ煮る。夕食のおかず。包丁で切る作業、洗い物の作業をしたくないのでなるべく手のかからないものにしたい。でもなるべく野菜は欠かさず食べたいので、こんな料理が選択された。手は全然かかっていないが、結構美味かった。キャベツは生でも、煮ても茹でてもなんでもござれな野菜で優れものだ、ありがたい。

風呂、読書、寝る、食う。食う寝る遊ぶ三昧の土曜日である。が、便秘は続く。

グリンガと息子、そしてエジプト革命

嫁さんから新たな息子の絵が送られる。今回もアンパンマンキャラであるが、私は知らない奴だった。「グリンガ」という芋虫の化け物らしい。左は体節が繋がっていないので失敗ということで右に新たに書き足したらしい。客観的に自分の3−4歳と息子を比較すると、息子の方が断然進んでいる。少なくとも私は身体が繋がって無くても、それを反省して書き直すことはしなかったはずだ。


昨晩は、息子がスカイプをしたいというなんとも親孝行な申し出でテレビ電話。眼鏡姿の息子は不憫に思う。が、眼鏡がずれ落ちた時にそれを直す仕草は教えてもいないのに様になっていて眩しい。テレビ電話といってもお互いしゃべる時間よりも、息子が目の前で本を眺めたり、玩具で遊んでいるのを見ている時間がほとんど。それらの姿も時を追う毎に前進、工夫が見られ男親が居なくとも子は育つことを実感する。切ないようなありがたいような。

昨晩から石川康宏、内田樹「マルクスを読もう(かもがわ出版)」を読んでいる。その本は書簡形式。書簡の中にタイトルと関係無く我々がビクトリアに来る前に住んでいたA市にある県立T病院が、県立A病院と統廃合でT病院は廃止撤去される予定と見過ごせぬ記述があり愕然とする。そこは、我が息子も入院するなど大変お世話になった所である。県がWebページ上に掲載している記述を見ると、統廃合でいいことばかりだから皆さん納得してねという論調である。しかし、新設予定の病院のベッド数は730。一方でT病院、A病院はそれぞれ現在400、500のベッド数を有しており計900。新規病院では減っているのだ。救急医療に力を入れるとあるが、ベッド数は減っている。入院患者は一層早いサイクルで退院させられるだろう。T病院はA市北部にあり鉄道アクセスの良さから近隣の市町村の方々も利用していた。新設病院の予定地はA市の南部。今までT病院を利用していた人々からすれば明らかにアクセスが悪い。またA市北部を中心とした救急医療に貢献していたと思うのだが、南部への搬送となればそれだけ搬送時間は長くなる。市民、患者にとって良いことは無いようにしか見えない。県の資料をざらっと眺めると病院経営のことが何も記載されていない。裏を返せば、赤字だからというのがこの統廃合のドライブになっているのではないのか。住んでいない自分があれこれ言ってもしかたがないが、病院にコスト計算、市場原理を持って処理するのは余りにも危険ではないか。そんなんで、高齢化社会や少子化を訴えても全くの空論であると言わざるを得ない。お世話になった病院。そして、そこに近隣市から入院していた子供やそれを有り難がっていた親御さんを見ただけに熱くなる。が、この問題は現在の日本の公立病院に共通して存在する病気だ。

さて、エジプト「革命」を眺めている。イスラム圏に飛び火することはほぼ確実だろうし、エジプトは比較的イスラエルに近しい関係だったのでパレスチナはどう反応するのだろう。日本は石油輸入国、かつイスラム圏からの輸入が大部分を占める。今回のエジプトでの出来事はチュニジア革命そして、その背景にある「食料高騰」が発端だという。食料自給率の低い日本も長い目で見れば無関係とは言えない。今と未来の生活に関係することだ。日本の現在の時間的、地理的な立ち位置を認識するに非常に重要なニュースソースであるはずだ。それなのに、少なくとも日本のインターネットニュースを見ると報道が極めて薄い。カナダのニュースでは時間の半分がエジプト革命に注がれている。しっかりエジプトの近代史なども概略であるが示してもいる。この革命がどういう背景でどのような位置にあるのかを伝えようとするように。一段深い報道だ。相撲賭博、いいじゃんもう。相撲賭博報道は「そんなことは有り得ないこと」と正義感溢れる論調だけどあまりに白々しい。みんな「ありそうなこと」なんて知っていただろうに。とにかく、いまの報道事情は不味いと思う。

刺々しい日記になってしまった。息子の写真でも見て心を落ち着けようっと。

2011年2月3日木曜日

節分

今日は一日寒くも無く、雨もふらず。

こっちは3日。節分である。昨日触れた恵方巻き、豆まきはせず。代わりに納豆を食べただけ。豆が同類項としてあるだけ。納豆まきしたらネバネバしているんで投げ辛いし、べとついて遠くに飛ばすのも難しいだろう。

納豆を私の身体は欲していたみたいで美味しいなぁ納豆。臭いで駄目って人が多いが、私は好きです。テレビで納豆人気が上がって、偽装で下がったのは過去の事。それがあってか、関西に住んでいた時にお世話になっていた「なっとういち」を有していた旭松食品の納豆事業がミツカンに売却されたということを知る。寂しいものだ。随分前のニュースらしいけど寂しいなぁ。

身体が欲しいっていっている時に納豆を食べたら、そりゃ健康にいいのは間違い無いと思うんだけど。納豆というとご飯と一緒にと思いがちだけど酒の肴にもなるし、パン食でもおかずになると思えるのだけど、それは私だけか?

最近、便秘気味なんで食物繊維を接種して腸に刺激を与えているのだけど、全然出ない。食べた分、出るって比例の関係に早く戻ってほしい。昨日も蒟蒻一枚を食べたのになぁ。。。

2011年2月2日水曜日

節分。ってことは

新月。日本であれば節分の日。

先日からやや臭い感じのことを日記している。が、読み返して恥ずかしげもなく、そうだそうだと思えているのでまーいいか。

節分ってことを忘れていたのだけど、寿司を食べたくなった。酢の味。酢の物じゃだめ。寿司って脳が訴える。したがって、車で一走りして少し離れたスーパーへ。ここの寿司が美味いかどうかは比較の位置で全く意味を持たないのだけど、ここビクトリアであればとすれば、一番美味い寿司を買う事ができるスーパーである。それは、うちの奥さんと同意見。それだからこそ、運転したくもないけど車にのってそのスーパーへ。が、寿司コーナーが無くなっていた。寿司を置いていた冷蔵庫、寿司を作るカウンターも全て撤去。工事中なのかわからないけれど現時点の状況を見て暗い気持ちになった。結局意味なく豆腐を買って帰った。

寿司の話をしたのは恵方寿司ってことをキーワードにしてである。恵方寿司って歴史はバレンタインデーのチョコレートみたいなものらしいけど。関西に住んでいる時は、家族でやったりもした。由緒は知らず、ご利益もしらずにしたもんだ。でも楽しかった。恵方巻に関しては「街場の大阪論」の江弘毅が述べてくれている。興味があればどうぞ(http://www.140b.jp/blog2/)。

明日巻物でも作ろうかなぁ。でも一人で恵方寿司しても寂しいもんだということは容易に想像がつくもんなぁ。。。

2011年2月1日火曜日

続 せんせい

お客さんを朝一、ビクトリアからすれば北にあるシドニーまで送迎。お客さんは乗船して購入される装置の訓練を受ける。私は乗船しないので、船が離岩するまでの間、岸壁に付着したイソギンチャク、餌を漁って潜ったり上がったりしている鵜を見たり、船のボースン(甲板長)と色々喋ったり、船の中でいれたコーヒーを乗りもしないのに拝借したり。緊張感も無く、週末のような気分を味わう。ボースンと話したのは面白かった。けど割愛。元、海軍で働いていた人で。。。

今朝は冷えて、所により道路ですら氷が張っていた。緊張感を持って運転。

遡って、昨晩は早く床についたものの、夜中に目が覚めてしまう。風呂に湯をためて朝風呂。なんで手元にあるのか覚えが無いけれど、竹内薫「99.9%は仮説」を面白おかしく風呂で読了。字も大きくてページに比べて文字数は少ない。サイエンスをする人も、サイエンスをしない人も面白いと思う。サイエンスをしない人も読んで学べば違った目線で世の中を見られるようになると思う。サイエンスする人は科学史を学ぶことが少ない昨今、その重要性を少し感じられるのではないか。私は、大変尊敬する先生から「科学史を学べ。学ばなきゃ科学ができない。科学史を知らないで科学をするなんて恥ずかしいことだ」と教えられた。でも、その時にその言葉を理解できる素養はなかった。それがずっと心に引っかかっていた。それでも最近に成って漸く、先生の言葉への理解がなんとなく形づけられはじめ、そして、この本を読んでその曖昧な理解が確信へと近づき、自分なりに大方解釈ができたような気がした。あくまでも、そういう気になっているということだが。先生には、こんな入門書だけでなく(著者には失礼だけど)、科学哲学、科学史を作り出した偉人の原著を読みなさいと叱られそうである。学ぶことに限りはない。私の学びは人より浅い。歴史から学ぶ重要性、そして、学ぶことへの姿勢など生きる為に重要且つ根本的なことを教授して下さった先生に心から感謝したい。先生を思い出す時、「お天道様が見ているぞ」という言葉を何時も思い浮かべる。「先生だったらどういうだろうか?」っていう問いが大事な局面で何時も浮かぶのだ。

2011年1月31日月曜日

せんせい

日本から初対面のお客様。ホテルまでお出迎えし、会社へ。時差もあってすっきりしない朝のようだったけど、とても優しい雰囲気を感じて朝から学んでしまった。自分勝手な私は、すっきりしない朝であれば、それが見事に顔に現れる人間だからである。人に対して優しい雰囲気、言い換えれば感謝の気持ちを示すことはやっぱり大事だなと学んだのである。学ぶことは日々ゴごろごろと転がっている。それを身にすることは難しいけれど、ゴロゴロ転がっていることを感じられることが重要だと思う。ゴロゴロ転がっていると思えれば日々日常は非常に楽しい。生きていることに希望を感じられる。本を読んでいて、ラジオを聞いていて、「その著者、語り手は私に向かって言っているわけではないけれど、それを自分に言っていると思えることは、生きる力を高める」といっていた (私の誤解?)内田樹先生 (最近私にとって新たな師となった。といっても本を読んで思い込んでいるだけだけど) の言葉を思い出す。

大野更紗「困っている人」(http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html) 更新。大野さんも師である。師は周りに一杯いる。あの人、この人。。。

そういう意味で人に会うことも重要だけど、その人から感じられる能力も大事なのかななどと思った今日の出来事であった。お客様ありがとう。

2011年1月30日日曜日

らしい日曜日

昨晩早く寝た。深い眠りだったようですっきりと6時前に起床。朝風呂しながらラジオデイズ(www.radiodays.jp)でダウンロードした対談を聞きながらぼんやりとシャワーヘッドを一時間強ずっと眺めていた。対談内容を聞き漏らしたく無かったので集中したせいかシャワーヘッドをずっと目に入れていても違和感無くいたのだった。見続けていたのは対談を聞き終わって風呂から出るときにはっとした位だ。

すっきりした感覚で窓から外を眺めたら晴れ間が見える。しかし、風が強い。散歩へ。昨日断念した海沿いを延々と歩く。途中、烏が死んだ小鳥を啄んでいた。雑食であるから当然な光景ではある。食べなきゃ死ぬってことを漠然と考えた。海は穏やか。残念だけど海の向こうの山々には昨日同様に霧でぼんやりしていた。結構な数の人が朝早くから歩いていて、みんなこの季節に希有な晴れを逃したく無いという共通の欲求なのだろう。風が強いのでやはり共通に寒そうな顔をしていた。

途中、納豆と蕎麦が食べたいと思う。ダウンタウンまで足を伸ばす。10時前だったので街をぶらぶら歩く。こちらは朝早いせいで人気は疎ら。中華街へ最後に行って念願の蕎麦、納豆、それに加えて蒟蒻を買った。蒟蒻は正月実家で食べた醤油で炒めたのが美味かった記憶より蒟蒻が目に入ったら手にしていた。

帰宅したら身体が冷えきっていたので熱めの風呂に再度入る。内田樹の「こんな日本で良かったね(文春文庫)」を手にして身体をずっぽり浸かる。読み終えて出たら2時間半経っていた。

まだ、蕎麦も納豆も口にしていない。現在、夕飯のためキャベツ1個を半分に切ってそこにベーコンを並べて蒸し焼きを作っている。蕎麦、納豆は明日にしようかなぁ。。。

まーこんな感じの日曜日らしい日曜日である。

2011年1月29日土曜日

朝起きて暫くしてから散歩。海というか港に沿って歩いてみる。丁度、満潮で潮が満ちていてそれを岸壁から眺めていると吸い込まれそうな気がした。曇天で雨粒が少しだけ落ちていて、海の向こうの山並みの景色を見たかったのだけど少し霧がかかっており余りぱっとしなかった。

もっと海に沿って歩こうと思ったけれど、向かい側からどっとランニングをする集団が来て気後れしてUターン。その集団が去った後、後ろからまた集団が現れた。集団で走るのは他人の力を借りてトレーニングを継続させるよう背中を押す効果を狙った側面と、みんなで喋りながら走る楽しさを向上させる意味があるのだろう。しかし、過剰な人数で大集団で走ってこられると、向かい合う人間には圧力を与える。

海に面するコンドミニアムの庭に水仙だと思われる球根からニョキニョキと芽が出ていた。それを見て少し気持ちがほっこりした。

噂には聞いていたが亀山郁夫が新たに翻訳し直したドストエフスキー文学が面白いらしい。カラマーゾフの兄弟、罪と罰は挑戦したことがあるが翻訳された日本語のハードルが高かった。亀山郁夫自身、現代のリズムを意識した翻訳を心がけたと力説していたので読んでみたい。とpodcastを聞きながら思うのであった。

久しぶりにトレーニング室に行ってみると設備の充実度が増していた。なんと、ボートのエルゴメータまで設置されていた。知らぬ間に。久しぶりに20分軽く漕いで見た。昔の身体に深く刻まれた記憶で結構良いフォームでこぎ続けられた。股関節が柔らかくなったせいか、足を曲げた時に足裏に体重を乗せ易くなった気がする。今後はヨガ、散歩に加えてエルゴメータも取り入れようと思う。日々の楽しみが増えた。

カモメはカモメ

薄暗い厚い雲の元、柊の赤い実が眩しい。雨で少ししっとりした葉を落としたこんもりとした木の中で雀に似た小さい鳥が優しくも甲高く嬉しそうに鳴いていた。そんな通勤路。

カモメに糞攻撃をされた一昨日。それ以来、上空を飛ぶカモメに異常に敏感だ。詰まらぬ考え事で下向き加減の目線で歩いていてもカモメの気を感じてしまう。そんな時、カモメが飛びながら糞をするって凄いもんだと思うのだった。飛びながら。人間で言ったら歩いていながらウンコをすることだ。腹痛でどうしようもなくてもう冷や汗まみれで漏らすということは稀にあるだかもしれない。ここにはトイレに行きたいが間に合わない、痛みと恥ずかしさで冷や汗まみれという状況が存在する(はずだ)。カモメは飛びながら涼しい顔で恥ずかしさなんて微塵もない。当然と言えばそれまでだ。が、しかしだ。

人間は社会の中で生きており、社会の常識 (所謂、人様の目)から外れてしまうことへの躊躇があり、恐怖、恥など負の感情を得る。社会が無ければそれを感じられない。群で飛ぶ鳥はいるがあれは社会とは言わないのではないか。社会の無いカモメは涼しくウンコを垂れる。人の社会は束縛を与え、時に鬱陶しいが、それがあるからこそ一個人に「無茶」なことをさせないという側面もある。だから、大人は最善の注意を払ってウンコを漏らさない。社会があるから人は安心を得ている。あぁ人に生まれて良かった。社会からつま弾きにされた個人は孤独であり絶望を感じ暴挙に走ってしまう。だからこそ社会は硬直しておらず、多様な人により構成されて寛容で懐が深くなくてはならない。だから、最善の注意を払った'のに'漏らしてしまった人を全否定してはならない。そうすれば、その過ちから人は学び社会に還元される。そんな社会を作るための個人を育てるために社会は学校を作り、子供を学ばせる。学校で勉強する、させられる意味は立身出世のためではない。より良い社会を作るためにあるのだ。カモメがカモメでしかないのは社会が無いからである。と、カモメに教えられた。って思ったのは、その時ヘッドホンで宮台真司が出演している「学問のススメ」をポッドキャストで聞いていたからだ。

それにしてもカモメ。飛んでいる時にウンコする場合、人と同じで腹筋に力を入れるとかするだろうか。歩いている時、一時的に腹筋に力を入れると歩みが阻害される。カモメに腹筋があるのかは知らないが、飛行に支障を生じないのだろうか。カモメに聞いてみたい。

2011年1月28日金曜日

ドキンちゃんだって!

なんと言われようと「ドキンちゃん」。


息子の絵。親ばかだって? 

知らんわい。人がなんと言ったって「ドキンちゃん」だぜぃ! この絵を飽きずに眺めビールを飲む至極の独り飲み。うまいなぁ。うまい。うまい。うまいって。絵もビールも。

離れていて寂しいけど、こんな嬉しいことがあったらお祭り気分だって。雨の日の虹みたいなもんだよ。嬉しいねぇ。

2011年1月27日木曜日

霧と身体の第六感

霧の朝。

昨日、日中は比較的暖かかった。日暮れ近くから気温が下がって朝を迎えたら霧。霧の中の徒歩通勤も良いものだ。歩いて行くうちに外気に直接触れる顔がほんのりしっとりする。

出勤時、カモメが上空をこちらに向けて舞う。突然それを敏感に捉え、足は止まった。そしたら我が30cm前にウンコが落ちて来た。止まった理由はそれを予感していたからだ。今日の身体は最高水準の第六感的感度を持つ稀にみる高いコンディションにある状態なのか?

手のひらを見ると表皮が少し剥け始めた。季節変わりの信号だ。何時からか記憶は無いが、季節が変わると表皮が剥ける。それもじわじわと。痛くも痒くもない。見た目は酷く、お釣りを貰う時に気が引けるのは自意識過剰な過去の事。今は剥けるがまま。冬から春に季節はグラデーションに変化しているので不連続でないはずだ。剥け始めは冬の終わりへの一歩を示唆するのではないか。

身体の応答は敏感で、飛行機で旅をすると爪が乾燥で割れたり、時に緊張で下痢になったり。お酒を飲み過ぎたりした時は、ヨガの左に身体を捻るポーズが辛かったり。それぞれ原因と結果は見事に繋がり身体は素直に反応し、時に自由で一方で身体に異変、束縛を与えるのだ。

身体は最高水準の感度を持っていたはずだが、一日を総じてみれば普通なのであった。

霧のロンドン。と良く言ったものだが、それは産業革命以降の粉塵の光化学的反応の結果(光化学スモッグ)であったそうだ。今朝の霧は飽和水蒸気量の原則に従っているに違いない。産業革命以降のロンドンでは光化学スモッグで死者が出ていたらしい。。。目の前で苦しそうにしている人は見かけなかった。

どうでもいいが、橋本治の本を読んでいる。面白い。口語的で意識しないと流れるようにして読んでしまう。その時、上の空になってしまうと理解が進まない。書き手の技術のおかげで流れるようにして読んでしまうのは実は落とし穴。理解するには集中が必要で、そうでなければその論理を一読で解釈することができない。特に私のように地頭が悪い人間は。

2011年1月26日水曜日

季節はグラデーションのように

通勤途中で1カ所、キンモクセイに似た香りが優しく包む場所がある。そこは10mに満たない範囲で、朝しかその香りがしない。周りを見ても花が咲いているようには見えず不思議だ。だが、とても朝からいい気分になる。花の香りでないかもしれないが、春へ着実に歩んでいるように思える。

通勤路の傍らのアパートベランダの片隅で、日が照っているわけもないのに茶色と白の比較的ふっくらした猫が背筋を凛と伸ばして、でも顔は気だるそうに佇んでいた。通勤中の自転車ライダーや徒歩中の人間に「朝もはよからごくろうさん」とでも言いたげだった。そんな猫を観察していたがったがそうもいかず、いそいそと通り過ぎた。

帰社する時の明るさが目に見えて明るくなってきた。季節は着実に進んでいる。そして、一月が終わろうとしている。

2011年1月25日火曜日

何もないけど鳥インフルエンザに思う

仕事以外はなーんにもありませんでした。

朝普通に起きて、徒歩出勤。飛び交う野鳥を見ながら、日本の鳥インフルエンザをあれこれ考えたりしたが。仕事を普通にして、そして帰社。徒歩で帰宅し、夕飯を食べて今に至る。

鳥インフルエンザ。日本で断ち切る努力は支持するけれど、渡り鳥によって感染する限り、他国と連携して対処しない限り解決しないだろう。感染を発生させてしまった養鶏場はテロにあったようなものだろうなと思う。殺傷処分後にリカバリーできる公的補助はあるのだろうか。その辺りの報道があってもいいように思うのだけど。

2011年1月24日月曜日

一歩一歩

毎度毎度の雨模様。朝の会社への道は雨がしとしとぱらぱらと降って久しぶりに雨傘をさした。昨日、股関節を良く伸ばしたせいで歩く時に少しだけ違和感があった。違和感は上手く付き合えば次の新たな世界へ誘う。今日少し休んで違和感を取り除けば次のステージへ行けるだろう。

夕方、嫁さんから息子の絵が届く。アンパンマン。上手い下手ではなくて成長していることが感じられて素直に嬉しい。親ばか色眼鏡がかかっているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。昨年末からあったなんとなく重苦しい空気は、この絵一枚ですっとんだ。



2011年1月23日日曜日

脈略無し

雨が降ったり止んだりの一日。

朝起きて一番。気分が重くなった。喜味こいしさんが亡くなった。いとし、こいしの漫才は好きだった。これでお二人が居なくなった。ああいう品があって、知的な漫才は風化されてしまうのかなぁ。。。

その後、再度布団に潜り込んでテレビを付けてみると都道府県別男子駅伝をやっていた。先週は女子駅伝だったが。男子駅伝をぼんやり見ながら、ユニフォームに個性が無いためか、混戦模様だとどこの都道府県なのかなどが一見して解り難い。どうせなら、背中に幟そこに旗印を付けて走ったらどうか。そこにはお国自慢を掲載してそれぞれの都道府県をPRする。各区間、掲載項目は自由。そうすればそれ相応の地方PRができるのではないか。一見してのどこかの区別が出来、地方PRができる一石二鳥。「餃子の栃木いいですねぇ。。。そう言えば日光東照宮派手ですよね。なんと干瓢が伝来して300年らしいですよ今年は」とか。一見してのどこかの区別と地方PRができる一石二鳥。ゴール地点に地方のゆるキャラが勢揃いしていたようだが、単体がそれぞれ地方にいれば力を発揮できるだろうが、ゴール地点に勢揃いして中途半端に披露しても地方PRになるとは思えない(ゆるキャラを日の目にした みうらじゅん がゆるキャラにスポットをあてた当時、地方の公務員は「ゆるキャラ」という括りに大概否定的で対応が冷たかったらしい。それに日の目が当たれば現在のように。。。)。幟。良い案だと思うがトップアスリートがそれを背中に走ってくれるかは知らないが。。。

その後、日本の時計文化に関するテレビ番組を見る。時計技術の進化は学ぶこと多かったが、江戸時代では日の出、日の入りが時間の中心にあって、日の出、日の入りから刻を決めている。その刻(時間)は夏と冬で異なることが面白かった。それを自動で調整して刻を刻む万年時計を発明した田中久重には大変興味が湧いた。田中氏はからくり人形をの弓曳童子を作った人でもある。

高橋秀実「からくり民主主義(新潮文庫)」読了。紋切り型の解答なんてない。マスコミ報道が全て真実ではない。等々、感じられて面白かった。気になる方はどうぞ読んで下さい。「痩せれば美人」「はい、泳げません」も読み易いし、苦笑させられます。こちらもおすすめ。

前方開脚が後少しで尻が床に付くところまできた。日々の努力の結果か。最近、妙に股関節周りが柔らかく、稼働域が広い。歩く時の足の動きがまるで摩擦の無い振り子のよう。股関節を支点にして脳が意図する以上に動く感じである。

「江」を見ていて織田信長の安土城にあった屏風の世界地図。ここに赤道が記されていた。大航海時代を経て、赤道つまり緯度0度は認識されていたのだろうか。それもあんなに正確にアフリカや南米大陸等々のどこを赤道が通過しているのか当時解っていたのだろうか。気になる。

と脈略なしの日曜日。記述を読み返してみて、カナダで生活している気配がまるで無い。あったとしたら、今日も雨がちだったことを確認しただけか。

2011年1月22日土曜日

自由な土曜日

予定は無い。自由な時間だ。ヨーガを心赴くままし、眠くなって一度昼寝(といっても二度寝に近いが)して、風呂に入って森達也の「世界が完全に思考停止する前に(角川文庫)」を読む。読み始めたら止まらなくなって、3時間弱風呂に浸かっていた。足の裏はフニャフニャになっていたが、頭の方はピリッとしたかなぁ。

晩飯。冷凍庫に余っていた何時のか解らないミンチ肉を発見。それで肉団子を作って白菜と鍋にしてみた。思いつきだったけどそこそこ美味かった。肉団子の前処理でもう少し味付けを考えたらもっと美味かっただろう。けど、満足だった。自分で作るご飯(おかず)は、構想する段階で自分の身体が欲しているもの、もしくは、好きな物、味覚を考慮している。したがって、大抵間違いなく美味いと思える。それは、身体が欲しているものを取ったからこそそう思えているのかもしれない。魯山人はその時に欲しているものを食べるということは、身体がそれを求めていることだと言っていた気がする。

本を読んで、ヨーガして、好きなものを食べてという楽しい土曜日だった。かなぁ。。。

三歩進んで二歩下がる

帰り道、死んだネズミを発見し、生きた茶色の野うさぎに遭遇した後、不意に時計を眺めて気づく。あ、こっちにきて3年目突入。時間の流れは早い。内面は毎日鈍牛のようで前進しているのか、停滞しているのかわからないが、時間は待ってくれずここまできてしまった。あらら とも もう とも付かない言葉が脳裏に浮かぶ。これからも 「三歩進んで二歩下がる」程度にとぼとぼと前に進んで行きたい。そうすりゃ前には進めるさ。

2年修了記念と称してささやかにビールで乾杯。今日の手作り料理はホーレン草にピクルス、ビーツ、ゆで卵をみじん切りを振り掛けた最近良くするしたサラダのみ。ビールは程々にして身体が怠いので9時には布団で寝た。こういうショボイ感じが今の自分の身の丈に合っている。

そして、こんな時間に起きて間寛平のアースマラソンゴールのニュースを見る。約2年1ヶ月を費やしたとある。私のここビクトリアに来た時期とほぼ同じ頃にスタートしていたのだな。凄いなと薄っぺらい言葉が浮かぶ。自分のゴールは何時なのだろうか、そして、地球は丸いんだななど考える。走る速度で世界一周して見えた景色はとても敏感に感じられたのだろうな。

41000キロ走破。毎日5kを約23年歩くか走ればその距離に到達する。ということは、多くの人々は一生でその位の距離を歩いて(走って)しまってているのだろう。知らぬ間に。

2011年1月20日木曜日

霧雨に近い小雨。傘もささずにとぼとぼと通勤。通勤にあてる30分の道のりは、一日の中であれこれ一番充実している時間だといっても過言でない。ビクトリアにきて一番好きな雰囲気である。外気に触れて、景色を眺めて、木々で季節を感じ、潮を見て月と時間を実感する。徒歩の速度は見て感じるには一番いいのだろう。なんとも豊な時間だ。年末年始から現代思想とか哲学など無縁であった本を読んできたお陰で、この単なる通勤のための短い道程で様々な事象をあれこれ考えている「ふり」になれており、ここの所は眉間にしわを寄せながら時々立ち止まっては思いに耽る。ということはないが、してみたい。

帰り道、近くの美容室のガラスの向こうから気を感じ、振り向く。そしたら、従業員の男性と思われる人が塵取りで集めたゴミをゴミ箱に身体を屈めながら捨てていた。頭頂部が私方向に向いており、眺めると禿げていた。頭頂部以外は20cm程のパーマ気味の金髪で覆われているのだが。カッパ。アルシンド。不意をつかれた。一瞬の出来事であったが、ガラス越しからの気は凄まじかった。故に私はその一瞬を逃さなかった。軌跡とも言えるが、身体が反応していた。それにしても、美容室従業員ということを考えるとその髪型でいいのかとの疑問も浮かぶ。夢が無い。しかし、現実を見せているとも言えるか。

夕飯を作ることが面倒で今日は隣のスーパーでサンドウィッチを買って食べる。本当は醤油ラーメンが無性に食べたかった。全く異なる選択。しかたがないので、\ネットで実家周辺の美味いとされるラーメン屋を探して、その写真を見て我慢。一度も行った事はないので何時かの機会に是非行ってみたい。

2011年1月19日水曜日

満月

満月。

かといって何も無い。

朝は冷えて全面に霜がはっていた。霜を良く観察すると、微小な刺が万遍無く表面に突起するようだ。密度の高いチクチクと言える。どのようにしてこのようになるのか気になる。仮説はいくつか思いつくが。それを調べて確かめる気にはならず。

満月。

といっても何も無い。でも、通勤時の風景など見ながら昨日との違い、時間を感じたりもしている。

白鵬の連勝が止まった。きせのさとに連敗。白鵬は「苦手意識」を示唆したようだが、それってある種の呪いではないか。

2011年1月18日火曜日

自分のことなんてわからない

日の入りの時間が着実に長くなっていると帰宅時に感じた。東空にはほぼ満月の月が地平線からそれ程高く無い角度に輝き、その周りには綿菓子のような断片的な雲が並んでいた。輝く月の周りには薄らと円状の輪が懸かっていた。

どうも睡眠が浅い。夢ばかり見る。そして、その夢はあまり良い夢では無く、その物語の頂点で起きる。それが断続的に続き1時間程度で起きてしまう。最近の学習で起きた後、再び眠りに着くということはできるが睡眠がとぎれとぎれなのはどうも身体に疲れが残る。嫌な感じだ。

夕飯は三枚肉をトマトとタマネギで煮てみた。その中にカレースパイスを加えてアクセント。身体がトマトの酸味を欲していた。また、サラダが食べたかったのでほうれん草、マッシュルーム、ピクルス、ゆで卵のざく切りを加えて、冷蔵庫に眠っていたドレッシングを少々加えて完成。どちらも、身体が欲していたので美味い。身体の言う事は正しいような気がする。直感って身体が感じることなのか。などと思う。頭で考えるとバイアスが懸かるので身体の言う事は意外と正しいかもしれない。睡眠はとぎれとぎれ。でも、食には敏感な身体。なんなんだよ。自分。わからない。

卯年でペット兎の流行に比例して野に放たれる兎が多くなっているらしい。卯年の自分は身染み入る報道である。兎。飼うの難しいだろうよ。。。

白鵬独走。。。

2011年1月17日月曜日

一生涯の満足とは

最近の日記を見るといかに家に閉じ籠っているかが良くわかる。平日は会社との往復以外は外に出ず、週末は散歩程度。ただし、雨が降っていなければという限定付きである。先日の土曜は車にのって寄り道をしたが。基本的に寝クラ、出不精な性格なので用が無ければこういう生活様式に落ち着いてしまう。特に雨の多い秋冬は。

読みたい本が幸いにして目の前にあるので、外に出なくても時間は浪費しない。ところで、残りの人生で何冊位読めるのだろうか。平均寿命まで全うできれば、残り40年程度。一週間に1冊として年間48冊。40年で1920冊。再読無しの条件付きで新しい本に出会えるのはこれしかないか。そう考えると一回一回の読書時間は貴重だ。

閉じこもり生活で言えたものでは無いが、人の出会いも、新しい経験も有限である。こういう性格ゆえに一回一回が大事だと真面目で真っ当なことを考えながら、ふと、死ぬまでに一度も触ることのない表面上の身体部位はあるのかとか、一生出てこない宿便ってあるのか、などどうでもいいことまで徒歩中にトボトボと考えたりもした。

Yahooで都道府県特集みたいなものが出ていたので見てしまった。静岡県人男性は「優柔不断でおっとり」だそうだ。自分にあてはまるかどうか。自分はどうでもいいこと、些細なことは、即断即決である。が、肝心な事に関しては優柔不断。流され易いことは否めない。裏県民性テストなるものもしたところ宮崎県人だそうだ。遠州弁検定なるものもしたが、落第だそうだ。こんなことをしている間に読める本の冊数は目減りしていくのだろう。

大野更紗「困っているひと」更新。www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html

先号は何度も途中で読むのを止めてしまい、読了なかなかできなかった。数日かかった。今回は1度で読了するも暗くなる。最近話題の草の根のタイガーマスク現象。現象というものは瞬間最大風速的に一過性のものとも言える。弱者を支えるシステムは行政に頼らざるを得ないと思う。医療費削減の流れで長期入院ができない(難い)こと、それが難病患者にも例外無く適応されていること。。。所属する自治体の財政で補助がこれほどまでに依存してしまうものなのか。これを読むまで全く知らなかった。健康でいるうちは他人事と考えがちだが、現実にこのような実態がある。難病は否応無く振られたサイコロで誰にも起こる可能性があることを考えれば、今のシステムが最善の選択かをより深く考える必要がありそうだ。