2010年12月20日月曜日

眠気

寒いという天気予報であった。寒いが、想像していた程でもなかった。

昨晩は風呂で寝てしまい、そのまま布団へ。疲れていることをしているつもりはないが、身体はどうも疲れているらしい。最近、癖のように風呂に入ると猛烈な眠気が襲う。風呂で寝るのは良く無いとわかっているので注意しているのだが、昨晩はそういうことになってしまった。

かといって、不思議なのは眠りが浅いこと。疲れているのならば、深い眠りになるのだと思うのだけどそういうわけでもない。

今日も風呂で猛烈な眠気を感じるので、眠る前に上がった。そしたら、眠気が覚めている。風呂の温々加減が自律神経の働きにピンポイントで作用しているのだろうか。

そう言えば、布団で本を読んでいる時に、その内容に興味津々で入り込んでいるのに眠気が。自分にとって気分がいいことになると途端に眠気が出るということか。

否、今日、仕事中も眠かった。否、仕事がしていることが気分がいいってことか? 否。。。

2010年12月19日日曜日

動いている

起きる時間を気にする必要のない日曜日。目覚ましもかけず、目が覚めた時間に起きる。そしたら朝8時半だった。

朝飯は雑炊。雑炊に入れる卵がなんと贅沢かつ、雑炊を華やかにするということを最近、雑炊を作り続けている日々で感じる。だって、卵あるかないかで雑炊の見栄えも、味も全然違う。卵は「らん」なのだ。誕生を頂いているのだ。有り難く頂かねばならないのだ。鶏さんありがとうだ。

これといってすることはないので、自由時間。本を読む。ベッドで寝っ転がりながら。興味深い本を読んでいるのに眠くなって昼寝。贅沢。昼寝は眠りが浅いせいか、夢を沢山見た。

起きた後、外に青空が見えているのでダウンタウンへ歩いていってみた。人出はクリスマスシーズンで多かった。ただ、外の空気を感じたかった。だから、これといって何をしたわけでもない。晴れて冷え込んで歩いている時、頭が寒かった。帽子は必須だ。

家から、海を挟んで向こうの山が見える。真っ白に雪が積もっていた。それを見ながら、季節をぼーっと感じた。冬だ。そして、冬至を迎えたら春まっしぐらだと。

時間は止まらない。地球はぐるぐる回り、季節は一瞬たりとも止まらない。昨日の景色、今日の景色。全然違う。自分の心持ちも一瞬たりとも同じことはないのだなぁ。その時の心持ちは、その瞬間に思い感じていることと、過去の自分を積分して、脳に投影されているのではないか。その時に感じた直感というのは的を得ているのではないかとぼんやり考えた。

2010年12月18日土曜日

この心持ちを破るべく

最近の曇天のような心持ち。

それを、打破するべく、髪を刈り込んだ。バリカンでばりばり。そして、長さ3mmに設定するためのアダプターを取る衝動にかられる。

やっちゃへ。やってみたら3mmで刈り込んだ時とあまり変化がない。曇天打破出来ず。

そこで、剃るか。でも。躊躇。

だからこそ、曇天を打破できないのだ。こんなんじゃ、駄目だ。

頭に石けんを塗り。カミソリでモミアゲをじょり。まだ大丈夫。修正は効く。そして、じょり。斜めにそり落としたら、髪の毛3mmのスタートレックのスポック船長が鏡の前に現れた。

「あ、後戻できない」と呟きながら、一人でカミソリ持ちながら笑い転げた。変質者のようだ。

そして、もうやっちまえと思って全部剃り落した。慣れ親しんだ髭剃りでは忘れていた、爽快感。ジョリジョリという感覚も、髭よりも密度の濃い髪の毛では手が痺れるようだ。石けんを洗い流し髪の毛、もとい、頭皮をタオルで拭き取ると坊さんが現れた。

これでわかったことだけど、頭皮は極めて温度に敏感だということ。35年以上頭髪に守られてデリケートな皮膚は超高感度な温度センサーとなるのだった。現在部屋で暖房を付けているが、温度フロント(高い低いの境界/前線)を意図も簡単に見分けられる。また、料理をして居る時に上層の空気がコンロで暖められるその過程、その温度の時間勾配を感じられるのだ。

そして、今日になってみると、頭皮にすでに髪の毛が薄ら浮かんで来た。なでればジョリジョリ感が増した。そして、微々ではあるが延びた頭髪によってか、一日で鈍感さを増したためかその温度センサの感度は低下したように思える。

曇天のような心持ちを、剃髪で打ち破ったかはわからないけれど、『「ある髪」を剃り落すことはなんとも贅沢だ』とは思えた。

2010年12月17日金曜日

冬のなにもない日

久しぶりに晴れ。それに伴い、朝の寒さは厳しかった。

歩きの会社への往路、景色をじろしろ見ながら行く。先週の大雨で水かさが増して泥濁りが続く入り江。寒そうにしている通勤中の人々。冬枯れの木々。冬枯れとは言うが、葉を落としじっと構えている姿を眺めると、生きているんだな。となんとなく思った。その時点、微分で見るとなんとも悲しい感じだけど、いつか来る春に備えてしたたかに準備しているのだと。ありきたりなことだけど思えた。そんなことを思うと人間も木々も同じだなと思えた。

昨晩、胃の調子が悪いので雑炊を作った。冷凍庫に残っていた何時ぞのものかわからない市販品の切り餅を突っ込んでみた。不思議な事にあっという間に溶けてしまい、煮るうちに鍋底が焦げる原因を作っていた。家で作った餅はそこそこ煮立てても解けることはなかった気がするのだが。餅のつき方に違いがあるのか?

ハンバートハンバートの歌で「虎」を聴く。なんともどうにもならない人間臭さというか、自分のどうにもならない部分を感じてしみじみ。知らなかったけど、アセロラ体操とかいうCMの唄を提供していたんだな。

2010年12月15日水曜日

あっ







と言う間に今年があと半月になってしまった。今年の総括は大晦日にするとして、今年の月日の過ぎ行く速度の速さといったら例えるのも難しい。

現時点までを思い浮かべる。最近巷では言われる『数値的(具体的)にどうした」ってことは殆ど無い。只只、日々の出来事を丁寧に処理でき、日々の出来事を楽しめたのではないかと思う。少々、主観的に美化しているかもしれないが。

数値的にどう? ってことを問われ、その時点での結果を評価されることが多いけど、未来を語る時にはこの瞬間(まで)の過程が大事なような気がする。その過程を評価して時々刻々と修正しながら未来に向かっていくのがいいのではないか。結果よりも過程。そして、その過程を評価して修正することこそ大事な気がする。それができるには自分を客観的に批評することが大事だと思われる。それには、やっぱり教養だろうな。こればかりは、日々の蓄積であろう。

夕飯は親子丼の「親子」と「モヤシ、白菜、タマネギ、豆腐の醤油煮」を作る。「親子」は親子丼の上に載る卵でとじたもの。現在、脂っこいものを身体が欲していない。両者とも全く油を使わず。「親子」の鶏肉も皮がはぎ取られた最も安いものを使用。両者とも美味かった。他者が食べたらどうかと思うけど、自分の身体が欲しそうなものを食べると美味いと感じるようだ。身体は正直だ。

夕飯の一部材料を買いに隣のスーパーに行った時、月の周りにハロ(月の周りを囲む円周状の光の帯)が見て取れた。奇麗だった。雨がちで家に籠ることが多いけれど、外に出れば色んな変化が感じられるのだな と思うのだった。

2010年12月12日日曜日

晴耕雨読

雨。晴耕雨読。

といっても、ずっと本を読んでいるのは気持ちが悪いので、起きがけと、ご飯の前にヨガ擬き。基本的にウェイトトレーニングのような負荷はないのだけど、呼吸に注意しながらの伸びるのがヨガ(擬き)である。しかし、昨日したヨガ擬きによると思われる「心地良い」筋肉痛が残存するのだった。それは、痛い訳ではない、凝った感じと例えるべきか。

そこで、今日はゆったりと、だらりとした「アーサナ擬き」をしてみる。身体に正直、素直に対応すると気持ちいいのだなこれが。身体に素直にすると、身体は喜び、それは、身体の弛緩につながって、頭に冷静な思考を齎すような気がする。 つまり、身体に正直にすれば、良い判断がし易く、生活力(生き延びる:生きる活力)が増すのではないか。

これらは、昨日の「私の身体は頭がいい」を読んだことに感化されているのだと思うのだが、文武両道って一理有るなという気がする。それは、文武を高めることは、身も心も最善の選択をする機会を与える確率を高めるから。両者に秀でることは望ましいが、両者を平等に切磋琢磨するという行為が重要な気がする。これって難しく思う必要も無く、礼儀を知って、野山駆け巡って、色んな人と分け隔てなくコミュニケーションする(会話する)事と解釈できるような気もする。

ヨガ擬きの時間は読書。そして、背景に音楽を流す。その間、ホルスト、「惑星〜木星」を聞き思い出す。以前から、昔、時代劇のオープニングで流れていた音楽に似ていることが引っかかっていた。それは小学生の頃、家でレタスを包む、選別する、梱包する時に手伝いというか、その場に居た時に、流していた(誰も聞いていないのだけど)テレビの時代劇であることは認識していた。「江戸を斬る」と決めつけていたが、今日調べてみると、「大江戸捜査網」だった。Youtubeでそのオープニングを見てみて納得。平原綾香の「ジュピター」ではわからないが、その原曲を聞いて頂いたら解って頂けるのではないかと思うのだけど。

晩飯に白菜とタマネギをざく切りにして入れ、そこに豆腐をさいの目にして加えて出し醤油でコトコトと似て、最後に卵を加えた料理を作る。美味かった。醤油。やっぱり、身体に染み付いた味だ。美味い。同時に飲んだビールが相乗効果で美味かったことは言うまでもない。

2010年12月11日土曜日

船の続きと身体のこと

昨日の投稿で焦点がボケるので書かなかったのだけど、船で食べた昼食が凄く美味しかった。メニューがあって、そこから自由に選択できた。私はサーモンのサンドウィッチとスープを頼んだ。それをオフィサーが給仕してくれて、まるでレストラン。味もとても良かったし言う事無し。他にカレーとか、サーモンを混ぜたオムレツなどあったけど、それらを食べているチームメンバーも美味い美味いと言っていた。

少なくともこの味と、食堂の雰囲気を総合的に判断するとベストかもしれない。米国の船は何れもブッフェ形式で食べ放題だったけど、総じて脂っこくて、塩辛い味が私には馴染めなかった。日本は千差万別だけど、大学の船に乗っていた時は給仕などあり得なかったし、学校給食のようだった。が、その時はガツガツ美味い美味いと食べていたけれど。

ご飯もそして一緒に乗船した人間も素晴らしく、且つ、実験も結果的に上手くいったのでとても良い印象、経験になったと言える。とても良い勉強になった。

今日は終止雨。寝坊して起きて、久しぶりにゆっくり時間をかけてヨガ擬き。日本から買って来た本は一杯あるので、その内一冊、内田樹の「私の身体は頭がいい」を選択。午後はそれを読むことに終止。途中挫折しかかるものの、横文字を辞書を引きながら読む。読み終わったら日が暮れていた。1回読んだだけじゃ理解しきれない本だったが、納得する所は多かった。自分も経験ある『居つき』「足裏が床にはりついて身動きならない状態を差す。より、一般的には、心理的なストレスが原因で身体能力が極度に低下することを意味する(文中より)」に関しては合点した。本を読み疑似経験をする、思考実験をする、ヨガ擬きをして自分の身体と向き合うということは、「何事にも動じず判断できる」ようになりたいと思う自分の願望の裏返しかもしれない。少なからず、この本が示す『居付き』を逃れ「生き延びる力」を得るための鍛錬になっていることを願いたい。

帰国後、自炊は殆どしていなかったが、身体が酸味を欲していた。トマト風味の野菜中心のスープを作り今日の夕食とした。身体に染み入る上手さだった。身体は正直だ。風邪気味だった身体が偏った食事に嫌気を差していたのだろう。

去る月曜日に大野更紗さんの「困っている人 第7回 わたし、シバかれる: http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html」が更新されている。必読。

2010年12月10日金曜日

虹にみせられ 人にあこがれ

水曜日に船に乗って、挨拶して、船内の注意事項を聞くミーティングまで参加したのだけど、結局、下船。航海の準備が遅れてのこと。仕方なし。

そして、木曜日に乗船。といっても、船は、私が下船した後、海に出て作業を開始していたので救命艇を出して私を岸壁まで迎えに来たのだった。わざわざ。

朝から大雨の天気だった。しかし、救命艇が迎えにくる前に雨は中断し、虹。虹の横に見えるのは乗った観測船。虹が出たからには良い事しか無い。とこの時確信した。

そして、乗船した所はビクトリア空港に隣接する場所なので飛行機が虹の輪を通るのだ。なんと。




船に乗る理由は、実験。実験は最初混迷を極めたものの、友人に頭が上がらない程に助けられて成功した。

実験終了後、大雨がまた降っていたのだけど、また救命艇に乗って下船する時にには雨がやんで晴れていた。

確信の通り、人に助けられ、実験は成功し良かった、良かった。



私のようにただ一つの実験をするだけの暇人に比べ、友人は本航海の主要技術者。忙しいに決まっているのに、私の実験に快く助言してくれたのだ。それも、嫌な顔一つせず。そんな、懐の深い人間にちょっとでも近づきたいと思う仕事だった。これだから人との関わりが密接な航海に魅力を感じる。

2010年12月8日水曜日

明日は一日海の上

明日は仕事で乗船。その準備。忘れ物がないよう入念にチェックしたはずだが、どこか心配。久しぶりの海外研究船での作業だし、不安はあるが、それを超えたところに経験があるのだ。今は寝るべし。だが、目がシャキッとしているのだなこれが。

2010年12月6日月曜日

日本に帰って本を一杯持って来た。仕事、その他事情もあって帰ったわけであるが、帰って来たら何だかこちらが主目的だったかのようだ。

何か思う時がある時というのは無性に本が読みたくなるのが自分の性質のようだ。思い返せば、本を全く読まなかった高校まで。そりゃもう何も思うことなど無く、純粋に馬鹿だった。大学に入って以降は、一世代前の学生から見れば幼稚な本ばかり、と言われそうだがそれなりに本を読んだものだった。

そして今、読んでいる。暇さえあれば。

適当に選んだ本にも関わらず、今自分が必要としている何かに引っかかる本ばかりなのが驚く。今何か必要なものを本の中から意識的に取捨選択していることはあるが。

それにしても何か思う時に選んだ本というのは、得てしてそういうものであるということは経験的に合致するのだ。

現在外気温1℃。寒いぞ。

2010年12月5日日曜日

事情あって

本来は2週間だった日本行きが、事情があって約1ヶ月まで伸びた。そして、今日家に戻った。本来は家族でだったのだが、事情があって一人。

カナダ入国は相変わらずで手間取った。前回同様、別室へ。長く待たされて、詰問されて、それでもどうにか切り抜けた。綱渡りとまではいかないものの、心拍数は毎回10%程度上がるこの手続き。

2週間と考えていたので、植えてあるシソも、冷蔵庫の中身もあんまり力を入れて世話、整理していなかったせいか、シソは枯れ、冷蔵庫の中にあったチーズには青カビが生え、残った野菜ジュースは見事に発酵しガスが発生していた。

日本に居た後半は実家に家族と居候していた。その時は空気が何時もどおっと動いてたような気がするが、一人で帰った部屋は空気が止まっているようだ。

マックを開いたらデスクトップ画面が珊瑚で戯れる魚だった。そう言えば、1ヶ月前に気分転換と息子が帰って来た時を考えて、魚好きの息子を想像して変更していたのだった。