2009年8月22日土曜日

海がめ

今朝の朝焼けは素晴しかった。一面、薄橙色。その色は透き通っていて、遠くに海にまたがる国境を越えたワシントン州にある「山のてっぺん」が薄っすら青白く輝くようにポツンと見えて。この朝焼けを見ていたら、昨日の凹な気持ちも吹き飛んだ。というのは嘘で、起きたての寝ぼけた頭で、そんなことは思い浮かばなかっただけ。

それでも、相変わらずの切り替えの早さというか、「いらないこと」は直ぐ忘れる体質で、すっかり忘れていた。ある意味淡白で、反省がない、向上心がない、欲が無いのナイナイずくしの私。いいのか悪いのか、そのおかげで心の病にはかからないのかもしれない。今のところ。

それにしても、凹凸って漢字。直感に訴える文字だ。今日はすでに心朗らかで、凸ではなく「口」な私。

日本に一時帰国するまで10日程に近づいた。私は1週間でとんぼ帰りではあるものの、日本の食事が楽しみ。嫁さんと色々食事に関して話したのだけど、「美味い米(新米)」を射の一番に口にしたい。色々、こちらの米を食したけど、やっぱダメ。我が息子も、生まれてこの方、それぞれの実家から送られてくる米で育っているものだから、手厳しい。少しでも甘みが少なかったり、ぬか臭かったりすると、食べない。大人の我々が我慢できても、息子は我慢できないのだ。そういうわけで、「美味しい米」にありつけるだけでも、日本に行く価値がある。また、「肉厚な椎茸のフライ」を食べたいが、今は夏。肉厚の椎茸は採れないのかもしれないが、食べたいです。宜しくお願いします。

前フリが長かったけど、標題のこと。昨晩深夜、起きてから今まで止め処も無く便意を催すのはナゼ。お腹の調子がいいのか、わるいのかわからない。というのは、痛いわけでも、便がゆるいわけでもない。正常なものが、それ相応の量、小出しに、まるで海がめの産卵のように我が体内から生み出される。お腹にあるものが全て出てしまいそうな勢い。昔読んだ、筒井康隆の短編が頭をよぎったりする出来事である。海がめのように涙を流して。。。は無いけど、して、またして、またまたして、の繰り返しはそれなりに体力を消耗する。現在、小康状態でもう産むことはないかもしれない。体の中にナゼか蓄積されていた、「それ」 が全て出た気がして、今はなんだかお腹が気持ちいい。

お昼、息子が公園に行きたいというので、公園へ。前まで怖がっていたブランコに息子は順応したようだ。大きく揺さぶっても、ケラケラしている。その横でブランコを支える横棒を使って、年甲斐も無く「懸垂逆上がり」、「片手ぶらさがり」、「小車輪(大車輪は360度回転するが、これは120度位、体をゆすっているだけ)」をして遊んでいた。ら、そこにいた二人組みの若いお兄ちゃんの一人が、こっちを直視(がん見)。その後、ナゼかその兄ちゃんはTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になって、遊具で僕と同じようなことをしようとし始めた。なんか、彼の内なる火を点火してしまったようだ。でも、懸垂とかできていなかったけどね。。。へへへ。年齢は10以上、向こうの方が若いように見えたけど、「おっさんだってやる気になりゃなんでもできるんだよ」と優越感に浸る。我が心の懐の狭いの、なんのって。

最近、このブログを、日々出会うネタを蓄積するネタ帳のように使っているなぁ。ネタなのに、公開しちゃってるけど。

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