朝起きてみたら太陽はどんより枕元の東を照らしていた。祝日の明け方のせいか、8時の風景は止まっているようにみえた。
何するかな。天秤にかけたら、どうしても内澤旬子 「世界屠畜紀行」を読みきりたいと思い、アパートの共同ジムへ。
本を読むだけでなく、体を動かしたかったのである。元来そうなのだけど、最近考える(といっても、それ程考えていない) だけで、動かず、結局面倒臭くなることが益々多く、これじゃぁいかん、ということで積極的に有酸素運動をしている。体を動かせば、何だかその呪縛から逃れられて、前に進める気がするのだ。ただ、その前進はナメクジのようにヌメッと重い。ナメクジならば、その粘液で経路にしっかり跡を残すのだけど、ジムでのワタシは足跡が無い。ただ、デジタル表示の画面に無機質に数字として表れるだけで、なんとも面白みにかける。
それじゃぁ、外に出て走ればいい、のだけど、今日は出る気力が無い。こんな日もある。無理強いして出ることもないであろう。そういうわけで、ジムで体を動かしながら、読書することにしたのだ。
相変わらずの自転車漕ぎで読書。昨日などは、誰もここにはこなかったけど、今日は何人か訪れて少しばかり気を使った。それでも、お互いなにを声掛けるわけでもない。隣のおじさんは音楽を聴きながら、時折、唄を口ずさんだ。そして、反対隣のおばさんは雑誌を読みながら無言で漕いでいた。
屠畜紀行は上下二段にびしっりかかれた本であるけど、書き方が淡々と客観的であって、自然にずんずん読めるノンフィクションルポであった。文体、筋立てが、自分の思考、嗜好に合致するのか、ページを進めるドライブがぐんぐんかかる本であった。ケツは途中で痛くなったけど、どんどん読んでで4時間強漕ぎ続けていたようだ。でも、その時間を読んでいる間気づいていなかった。呪縛から逃れたかは判らなかったが、さすがに、もういいや と思った。その時、周りに人はおらず一人であった。
家に戻った後、風呂。風呂でも「世界屠畜紀行」を読み、汗を洗い流すつもりが、また一汗かく。そんな、こんなで、読了。掛け値無しで面白い本だった。スーパーにトマトを、酒屋にワインを買いに。休みだし、感謝祭の祝日だし。食って、飲もうという魂胆である。というのはウソで、飲みたいだけ。
飲んで食ったら夕日も沈み夜だった。飲みながら、夕方から外を眺めていたのだけど、どんより亜鉛色の曇り空。その曇天に見覚えがあった。こっちにきた当初の冬の空だ。秋から冬に急速に季節は移り変わっているのだろう。有無も言わせず、季節は移り変わり、時は過ぎるということである。
晩秋。家から見える風景は、黄色とも茶色ともいえる木々が目立つ。落ち葉のカサカサした音、それを踏み潰した時の音はもはや普通だ。人々の着衣も厚手に変わってきた。秋は瞬く間に冬に向かって雨の多い日々になるのだろうか。憂鬱だ。憂鬱なのは雨の記憶からではなく、時の流れの速さに比べ、自分が遅々として進んでいないからかもしれない。
などと、辛気臭い薄っぺらな文章を書いて、盛り上がってる自分に嫌になっちゃうわぁ。
追記: 宮里藍さん、すごいな~ と尊敬するのです。が、どうも武蔵丸に見えてしまうのはワタシだけでしょうかねぇ。
0 件のコメント:
コメントを投稿